泥棒は悪人について説明する。

 ちゃんと、説明してやらなければいけない。

 

 この世の中には、悪い奴もいるのだ、ということを。



 マンションに戻ると、空が外で夜空を見上げながら待っていた。

「中に入っていれば良かっただろう」

「怖かった、ので」

 恐怖も覚えたか。いいことだ、とは言わないが、必要なことではある。

「そうか。まあ、靴を履きかえよう。そんで、少し歩くか。和菓子も買わなくてはいけないし」

「はい」

 一度部屋に戻って、TVと電気を消し、きちんと鍵を掛けて、二人で夜道を歩く。


「さっきの男、怖かったか」

「はい」

「大声を出すのは、難しかったか」

「はい。突然、だったので」

「練習しておいた方がいいな」

「はい」

 こいつにはまだ色々と教えておきたいことがある。あるんだ。あるんだが。

「お前に言わなきゃいけないことがある」

「はい」



「俺もな。俺も、さっきの男と、大して変わらないんだ」



 これを言ったら、もうおしまいなんだろう。でも、これは言わなくてはならないことだ。


 一人称を使うことを避け続けて生きてきた。

 誰かがそれを言ったから。誰かに頼まれたから。そういう大義名分がないと何をするのも嫌だった。自分で責任を取るのは嫌だったからだ。

 でも、この話は、俺が、俺の責任でしなければならないことだ。本当だったら、空が動揺している今、こういう話をするのは良くないのだろう。せっかく愛着関係を築けたというのに、それを瓦解させることにもなって、だから空の将来のことを考えたら、悪影響でもある。ようやく動き出した依頼そのものの不成立にもなるかもしれない。

 だから、話をするべきでない理由は山ほどあった。しなくてもいい理由は、沢山用意できた。それでも話さなくてはいけないと思った。空のためなんかじゃなかった。自分が納得するためだった。納得することが、何より大事だと思っていたからだ。


 俺は最低の、悪人だ。そんなことはずっと前から知っていた。だから今まで一人ぼっちだったのだ。流されて、急に人づきあいの輪が広がって、なにやら錯覚をしていたが、俺はもともと一人だった。一人でいるべき人間だったからだ。誰が悪いわけでもなく、ただただ自分で責任を取ることを避け続けてきたからだ。だから人間関係が不得意なんだ。


「どういう、ことですか」

「さっきな。あの男は家に鍵を掛けていた。だけど俺はその鍵を開けて、家に入った。そして、空を盗んで帰ってきた。鍵を掛けるということは、そこに入られたくないという意味だが、俺はそれを無視してそこに入って、誰かの物を盗んだり、見られたくないものを盗み見たり、そういうことをして生活をしている。こういう人間を、泥棒という。嘘つきは泥棒のはじまり、ということわざがあって、だから嘘は嫌いなんだが、つまり泥棒は嘘つきの終わりだ。とても良くないことだ」

「とても、良くない、こと」

「そうだ。とても良くないことをして生活している。なんだったら、あの男の方がマシなくらいだ。この星のルールを破って生活をしている」

「そう、なんですね」

「そうだ。本当は言うつもりもなかったし、言うとしてももっと後で言うつもりだった。お前の母親を見つけて、お前の身元を作って。お前の家を探して、お前の仕事を見つけてから。もっといろいろなことを教えてから。お前が今まで盗まれてきたものを取り返してから言おうと思っていた。でもな。良く考えたら、それじゃあ遅いんだ。そしたらお前は、俺のことを信用してしまうだろう。でも、俺は、悪人だからな。信用しては、いけない」

「そう、なんですね」

「そうだ。怖くなったか」

「いいえ。怖くは、ありません。でも、……でも」

「怖がった方がいい。悪い人間なんだ」

「でも」

「でも、なんだ」

「……わかり、ません」

「そうか」


 しばらく黙って夜道を歩く。コンビニを見つけたので、そこに入る。一応饅頭とかどら焼きを買っておく。携帯灰皿と、ライターと、煙草も買った。久しぶりだった。会計を済ませて店を出る。マンションに向かって歩き出す。その間、ずっと空は黙っていた。だから、俺も黙っていた。煙草に火をつけて、吸う。不味い。めちゃくちゃ不味い。しかも空がけほけほと咳き込んだので、すぐに火を消して、携帯灰皿に突っ込んだ。


 道に何もかも投げ捨てて帰りたい気分だった。


「今日は猫美のマンションに泊まるか? 言えば泊めてくれるとは思うが」

「いえ。帰りたいです。私たちの、うちに」

「そう、か」


 黙って家に帰って、もう一度風呂に入って、布団に潜り込んだ。

 全然眠れない。

 しばらくごろごろしていたが、起き上って頭をかいて、マンションの外に出る。もう一度煙草を吸ってみるが、やはり不味かった。すぐに火を消す。


 道端に座り込んで、空を見上げる。星はほとんど見えなかった。


 こんな空を綺麗だと言っていた空に、本当の綺麗な空を見せてやりたかった。

 もっといろいろうまいものを食わせて、食っているところを見たかった。

 病院に通って、ワクチンを打って、ちゃんと免疫をつけてやって、そしたら遊園地とか、そういう楽しいところに連れて行ってもやりたかった。

 空が学校に通い、友達を沢山つくるのを眺めて、遊びに行くのを送り出してやりたかった。

 猫美と服を買う約束をしていたから、みんなで服を買いに行くのも良かった。


  宇宙人が地球でいつまでも幸せに暮らす物語は、まだうまく作れていない。


 でもそういうのは、もっとまっとうな人間がやることだ。何が、盗まれたものを取り返す、だ。お前は今まで、どれだけのものを盗んできたと思っているんだ。懲りずにもう一本煙草に火をつけた。不味いし、おまけに煙が目に染みて、だから涙が滲んだ気もするが、それは仕方がないことだった。煙草は、久しぶりだったから。

 悲しかったわけではない。そもそも悲しがる資格なんてなかった。アスファルトに煙草を押し付けて、火を消す。


 いずれにせよ、だ。いずれにせよ、依頼は依頼だ。だから、空の母親を、探す。空が俺を怖がるならば、もう一軒家を借りたっていい。というか、怖がった方がいい。別に、一人だって仕事はできる。今までだってそうだった。

 そして、空の母親、または父親が見つかったら、あとは里見と甲賀、猫美、まあ良くは知らないが長内に任せて、そうだなあ。沖縄でも行くか。ここは寒すぎる。夏だというのに、夜は肌寒いくらいだ。勘弁してほしい。できれば雪が降る前に、南に行こう。


 ううん、と一伸びして、立ち上がる。振り返ると、そこに空がいた。


「うわおう」

 間抜けな声を出してしまう。空はこっちをじっと見つめている。寝間着は白いネグリジェで、初めて会った時を少し思い出す。あのときと同じ無表情に見えるが、そうではない。空は笑うことも泣くことも怒ることも覚えた。不安と恐怖も知っている。知っていて、今は真剣な顔をしているだけだ。大したものじゃないか。


「眠れなかったか」

「はい」

「急に変な奴に連れて行かれて、落ち着かないところに妙な話をして悪かったな。でも、今すべきだと思ったんだ。お前の気持ちを考えたら、今すぐする話ではないと思ったんだが、それでも。明日からは、ちゃんと鍵を掛けて家で待ってろ。さみしいなら、猫美とかに頼んでそっちに住んだっていいし、里見と甲賀も遊びに来てくれるだろう。遠くにいたって、それはひとりだということじゃないからだ。ちょっと上級編の人間関係だが、お前ならすぐ分かるさ」

「光平は」

「俺か。俺は、依頼を受けて仕事をする人間だからな。お前の依頼をちゃんと果たす。それはちゃんとやるから安心しろ」

「光平は、ずっと、一緒に」

 空の声が震えている。

 俺の声も震えていたかもしれない。

 でもそれは寒いからだ。ここはとても寒い。


「それは無理だともともと言ってたはずだ。ダメなもんはダメだ。里見も前に、言っていただろう。世の中には、こういう問答無用ルールがいくつかある。理屈とか、感情とかを抜きにして、ダメなもんは、ダメってやつが。人のものを盗んではいけないというのはその一つだ。それを破っている俺は、お前と一緒にいちゃあダメなんだ。本当はな」

 空は返事をしなかった。部屋に戻ろうといって二人で部屋に帰って、空を布団に入れる。相変わらず眠れる気はしなかったが、無理やり目を閉じる。


 なぜかどこかで赤ん坊の泣き声が、聞こえたようなそんな気がした。

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