泥棒はお引越しをする。

 スーパーカブに二人乗りとか自殺行為でしかないので、ちんたら歩いてアパートに帰る。わずか1日しか離れていないが、なんというか、物凄く長い時間が経った気がする。宇宙人は、まだ電信柱が突き刺さる家を見て、

「あれは、どういう、ことですか」と問い、

「自然は時々、怖いということだ」という答えに、あまり納得していない様子だ。後で説明してやるから、少し待っててくれ。


 室内にはガラスが散乱しており、だから宇宙人を外に待たせて、持ち出し忘れた荷物――当座の着替えとか、スマホの充電器とか――をいくつか取り出しているうちに、保険屋がやってくる。もともと、この街ではかなり珍しい四畳半のぼろアパートで、家賃も笑えるほど安かった。大家には保険金と、プラス国から多少補償金が出るらしく、電信柱を取り除いた後修理するくらいだったら、更地にして駐車場にした方が安上がりだ、という判断に至ったらしい。

 今加入している火災保険では家電周りの補償はできかねるが、大家が加入している方の保険と補償金で店子の引っ越し費用を負担してもらえるらしく、それは一定額でかつ実際の引っ越し費用とは無関係に使っていいということだった。

 それなりの家に引っ越して、敷金礼金払ってもお釣りがくる値段だったので、引っ越しをしてお釣り部分を家電の買い替えに充てては、ということだった。このアパートにも結構愛着があったんだけどな。テレビの配線が旧式の、なんかこうネジで留めるやつで、結局テレビセットはDVD再生とゲームのディスプレイになっていたところとか。冬は寝て起きたら水道管が凍結しているから、毎晩水抜きをしないといけないところとか。いや、皮肉のようだが本当だ。できの悪い子ほどかわいい、みたいなことで。


 仕方がないな。引っ越しか。

 保険屋の車で近場の不動産屋まで送ってもらう。宇宙人は車の窓から流れていく景色を物珍しそうに眺めていた。

「昨日の地下鉄よりは遅いだろう」

「でも、地下鉄は、あまり、景色が、見えなかったので。こちらの、方が、早く、感じます」

 そりゃそうか。今度電車にでも乗せてやろう。

 個人的な好みとしては、安くてぼろいアパートが好きなのだが、おそらく当分はこの宇宙人と同居しなくてはいけないことを考慮すると、四畳半というわけにはいかないだろう。物凄く冷静に考えれば、この宇宙人が地球で暮らせるようになるまで、ホテルに住まわせるなり、甲賀の家に置いておくなり、まあそういう形で別々に暮らすのが正解なのだろうが、なんとなく、一人にしておくのが不安な気もした。天地神明、なんなら異星人に誓ったっていいが、下心はない。


 ということで、標準的な学生マンションみたいなものを何軒かめぐる。時期的には引っ越しシーズンではないので、物凄い出物という物件はない代わりに、不動産屋側もあまりがっついていない感じで、ほどほどに好条件で、ほどほどの家賃の物件をいくつか紹介される。一応相見積もりというか、他で相談すると条件が良くなるというのが世の常なので、もう二社に行って、今こういう物件を紹介されているが、これより条件がいいものがあるか、と相談して回るが、今時不動産情報はネットで管理されていて、だからあとはどこに行っても情報自体は同じなのだと言われ、だったら何をもって差別化するのか疑問だったが、そういうことならと最初の店に戻って、月々6万円で済む2LDKのマンションに決めた。北海道の良いところは、広大な大地のおかげか家賃がとにかく笑えるほど安いということだ。


 ここまででとっくに昼を過ぎていたので、飯を食おうと辺りを見渡すと、冷やし中華が始まっていた。なるほど、と言いながら中華料理屋に入る。入ってみたらレバニラも食いたくなったので、宇宙人に冷やし中華を注文させてシェアすることにした。

「パン、に、挟まって、いるのと、この麺、ですか、この上に、あるのとでは、トマト、の、味わいが、また、違って、そして、この麺は、スープとはまた違う、この、形状による、快感が、なんとも、いえず、素敵、ですね」

 相変わらず飯を食うと幸せそうで、かつ饒舌になる。こっちまで楽しくなってくるので、これはなかなかの効能だ。基本一人で暮らすことに不自由は感じないが、飯は複数で食った方がうまいな。特に中華は。

「レバーはちょっと独特な食感で、地球人でも苦手な奴は多いがこれはどうだ」

「これが、苦手、というのは、せっかく、地球に、住んでいるのに、もったいない、と感じます。私は、まだ、経験不足、ですが、これまでの、食べ物とは、若干、分類の、違う、食べ味で、なるほどと、目を開かされる、思いです」

 勝手に刮目していた。そうやっていっぱい飯を食って、楽しげにしていればいい。

 

 支払いを済ませて外に出る。さて、次は引っ越し屋か。何もかもぶん投げて身一つで引っ越すという手もないではないが、ぶっ壊れたテレビはともかく、たぶん無事であろう冷蔵庫とか洗濯機、あと本やら何やらのこまごまとしたものはできれば新居にも持っていきたい。が、室内はガラスとテレビが散乱していて、まず部屋を見てもらって見積もりを出してもらうということができないので、どうすっかなあ、という感じだ。部屋が通常の状態だったら、トラック借りてきて甲賀を使って運び出してもいいんだけどな。宇宙人も、いずれはどこかに住んだり引っ越しをしたりすることになるんだろうから、その経験にもなるだろうし。そう思って宇宙人を見ると、宇宙人はまた空を見上げていた。

「日が高くなったな」

「はい。綺麗な、空ですね」

「そう、だな」

 正直空を見上げることなんてめったにないし、こんな町中で綺麗な空、と思ったこともなかったが同意する。もっと広くて綺麗な空はこの世の中にたくさんあって、この程度で綺麗という宇宙人が、なんとなく悲しい。だから富良野にでも連れて行ってやろうかと思う。

 どうもよくない。こいつを見ているとああしてやりたい、こうしてやろう、とつい益体もないことを考えてしまう。のんびり観光旅行をするのはまずはこいつの身柄をなんとかしてからで、そしてそうなったら、たぶんこいつと一緒にどこかに行くことなんてない。

 まったく。台風が来てからどうかしている。そもそも、こんな仕事は全く本業ではないのだ。なんとかして、さっさと終わらせよう。しかしまずは、目の前のことを片付けよう。先のことは後で考える。いつだってそうしてきていて、それは今この時も変わらないのだ。


 大手の引っ越し業者は最低パック料金みたいなことがほぼ決まっていて、あまりイレギュラーな事態には対応できないか、できても上位パックを注文しないと無理、みたいな状況だったので、おらが町の引っ越し屋さんみたいな中小のところで依頼すると、引っ越し日程にもよるが、と前置きされたうえで、破格の値段を提示された。作業員が二人つくというが、これ、二人分の時給にするとすげえ安くない? 大丈夫?という価格だ。この際冷蔵庫を階段から落とされたところで構わない、という気持ちで契約を取り交わす。

 ひと段落だな、と思ったところで、不動産屋から連絡が入った。どうも、人材派遣会社アンビシャスの肩書が弱かったらしく、連帯保証人を付けられるかという。このへんが泥棒の泣き所だな。社員の名前でもいいんですか、と尋ねると、結局大家さんが判断することですが、もう少し固い方がいいかと、なんて言われるので、仕方ない。定年間際の親父を頼るしかないか。


 数年ぶりに親父に電話をする。元気か、飯はちゃんと食ってるのか、といつもと変わらぬ返事をくれるのがありがたい。

「実は、昨日の台風でアパートのガラスをやられて引っ越すことになったんだ。そういえばそっちはどう? 車倒れたりしてない?」

「ああ、うちは母さんも家にいたし、特に何も。そりゃ大変だったな。うちに戻ってくるのか? 部屋は空いてるぞ」

「ありがたいけど、仕事があるから。いや、それで引っ越そうと思うんだけど、連帯保証人が要るって言われて。親父の名前、使ってもいい?」

「ああ、いいぞ。ちょっと顔を出したらどうだ。今日は8時くらいには帰ってると思うから、なんか書くものあれば書いてやるよ。母さんも喜ぶと思うし」

 顔を出してもいいが、今は宇宙人を放っておくのもどうかと思うし、連れて帰るのはもっとどうかと思うので、遠慮しておいた。悪いが勝手に名前と職名を書かせてもらう、と言うことで、今の勤め先の住所なんかを聞いて、電話を切った。親父は教師をやっているので、勤め先はちょくちょく変わるのだ。公務員なので、固さには問題なかろう。

「待たせたな。とりあえず今日できることはほぼやった。疲れてないか?」

「はい。あの、光平は、親父に、電話すると、少し、話し方が、変わりますね」

「お前の父親ではないからな。親父、と呼ぶのはあまり良くない。まあ、なんというか、その人との人間関係によって、多少話し方は変わる。お前の、その、敬体というのか、ですます口調は、誰にとっても概ね対応可能だから、とりあえずはそのままでいい」

「なるほど。学習を、深めたいと、感じます」

「ただ、その、里見を悪く言う訳じゃあないが、いきなり名前を呼び捨てにするのは、あまり好ましいことでもないかもしれない。今更、真城と呼べとは言わないが」

「名前を、呼び捨て、とは」

「ああ……。人の名前には、苗字、という家庭で代々続く部分と、名前、と言って、個人でそれぞれ別につける部分があるんだ。真城、が苗字で、光平、が名前。初対面の場合、概ね苗字に「さん」をつけておけば間違いない。「さん」というのは、まあ、敬称という奴の一種で、これも色々あるんだが、とりあえず「さん」を覚えておけば、それで良いかな」

「光平は、真城光平さん、と言うのですね」

「そうなる。そういや、自己紹介をしていなかったな。真城光平、地球人だ。よろしくお願いします」

「よろしく、お願いします。私も、地球人です。私には、固有の、名称も、家の、名前も、ありませんが」

 そう、だな。なんとなく、何かに対して腹を立てたい気分になった。

 けれど、何にどう怒ればいいのか、それは分からなかった。

「その辺りはな……まあ、色々あるから、後で考えよう。宇宙人、でとりあえず、我慢してくれ」

「はい。あの」

「なんだ」

「真城さん、と呼ぶのが、良いですか?」

「呼びたいように呼べばいいさ」

 そう言うと、宇宙人は、口の中で、ましろさん、こうへい、こうへいさん、と色々な呼称を転がし始める。

「なんというか、光平、が一番、その」

「しっくりくるか? だったらそれでいい。なんというか、そうだな。一度覚えた人の名前って、言い換えにくいよな。口につく、と言うんだろうか」

「口につく、そうですね。私の口に、光平が、もう、ついています」

 それはなんとなく誤解を招く表現だから、やめていただけないだろうか。


 名前のない宇宙人。そのフレーズを思う時に、胸に走る、この怒りに似た感情の名前はなんだろう。とにかくいつか、こいつにも、誰かが口につくような名前が、きちんとつけばいいと、柄にもなくそんなことを願った。


 夕方、高校生コンビに会って、新聞作戦がはかばかしくなかったことを知る。仕方ないので飯を食わせて(これは経費につけるべきなんだろうか)、翌日は引っ越しの準備があるから、ここに来ても無駄だということを伝える。

 里見は不満そうだが、引っ越し業務について来たってしょうがないだろう。二日後は朝から真面目に動くから、好きなタイミングで来いと伝えて、なんとか和解する。宇宙人を風呂に入れてから、着替えのストックが尽きたことに気づき、これこそ里見に働いてもらうべきだったと思うがもう遅い。慌ててコンビニに行って、目をつぶって適当に下着なんかを買い揃える。服はまあ、しばらくこの恰好でいてもらおう。


 翌日、午前中に不動産屋での手続きを済ませ、週末には住めるというので、今度は引越し屋に相談し、一応部屋の状況を見ておきたいと言われたので、社長さんを連れて部屋を見せる。ガラスなんかが散乱しているのは大変なので、一度業務用の掃除機を持ち込んで、ざっと掃除をしてくれるということで、非常に助かる。もう面倒くさいし盗まれて困るものもないので、鍵を渡そうとしたが、さすがにそれは立ち合いのもとで、ということだったので、少し待って掃除機をかけてもらう様子を見守る。この分は料金に足してもいいですよ、と提案するが、どうせ今時期はあまり引っ越しの仕事がないから、サービスだ、と言われ、頭を下げるしかない。ありがたいことだった。世界がこんなに優しいのは、単に気づかなかっただけか、それとも宇宙人のおかげか。

 色々と環境が変わり、どっと疲れて、UFOグループを覗くことも、書き込むこともなく、しかしとにかく明日からは「なんでも屋」としての初仕事をせねばならず、何をどうするか、考えていたらいつの間にか眠りに落ちてしまった。

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