【インタビュー】「軽トラおじさん」って一体何者? Xのバズポストがまさかの書籍化 加藤よしき『たとえ軽トラが突っ込んでも僕たちは恋をやめない』


「いい雰囲気のカップルの元へ軽トラに乗ったおじさんが突っ込む」という不条理なポストがX(旧Twitter)上で話題になり、万バズを重ねてきた加藤よしきさん。この度、そんな「軽トラおじさん」がまさかの小説に! ただの不条理だったはずの140文字がコメディからホラー、恋愛もの、私小説まで、幅広いジャンルの予想もしない人間ドラマに展開します。まさかの書籍化、その裏側と、作品に込めた想いについて伺いました。

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――『たとえ軽トラが突っ込んでも僕たちは恋をやめない』ですが、まず書籍化が決まった際の感想を教えてください。

 詐欺だと思いました。返信する前に、文面をそのままコピペして、グーグル検索にかけて調べましたね。どうやら本当らしいと分かり、やっと返信しました。子どもの頃から文章を書くのが好きで、作家になりたいという気持ちがあったので、やはり嬉しかったですね。ただ同時に「どうすりゃいいんだ?」という困惑があったのも事実です。というのも、少し複雑な背景がありまして……。
 まず編集さんの目に留まって、書籍化の決め手になったのは、カクヨムに掲載した「恋に落ちたら~殺人ザリガニ~」という短編です。ただ、担当編集の方は私がTwitter(現X)で昔からやっていたツイートを好いてくれている方でもありまして。

――“軽トラおじさん”と呼ばれるツイートですね。

 そうです。いい感じのカップルのところに、謎の中年男性が運転する軽トラが突っ込んできてグチャグチャになる、という話を140字内でやるツイートです。この“軽トラおじさんツイート”が、ありがたいことに多くの人から好評をいただきまして、軽トラ文学として異常に拡散されておりました。時おり「犯罪予告か?」と心配されることもありましたが、編集さんも一連のツイートのファンだったんですね。そこで、「この軽トラ文学を一冊の本にしませんか?」と、こう来たわけです。大いに困りました。何しろ140字で完結しているものですし、軽トラで突っ込んで来て終わりですから。ある意味での一発ギャグです。これを小説にするのは、「コマネチ!」を長尺コントにするようなもの。しかも編集さんから「今から無茶ぶりをしますが」と断ったうえで「もっと文学してください」という指示もありまして。EXILEのパフォーマーの小林直己さんが、自分のあり方について悩んで、LDHの首領であるHIROさんに相談したところ、「もっとEXILEになった方がいい」と言われた故事を思い出しました。

――HIROさんは深いことを言いますね。それはさておき「ツイートを小説にする」というコンセプトがあったうえで、どのように書籍の形にしていったのでしょうか?

 まず最初に書いたのが本の最後に入っている「???」ですね。「もっと文学してください」と言われたので、「そもそも文学って何だろう?」というのを考えたんです。それで思い至ったのが私小説でした。自分が本を読んでいるときに、「おっ、文学」と思うのは、作者さんの人生や価値観が垣間見えたり、異様に身を削ったり、人生を切り売りしている時です。「何もそんなことまで書かなくても……」と思う瞬間、そこに「おっ、文学」ポインツを覚えるんですな。これは小説だけに限らず、ノンフィクションや歌でも同様です。たとえば……好きなラップグループのTOJIN BATTLE ROYALがアルバム一枚通してずっと『3年B組 金八先生』の話ばかりしているのも、同じくラップグループであるTHA BLUE HERBが、いろんなバイトをやったが、いつもクビになったとラップするのも、どちらも個人的には文学ポインツですね。もっとカッコいいことや、もっともらしいことをラップすればいいのに、自分の言いたいこと、しかも下手すりゃマイナスになるようなことをガンガン出してくる。まさに「おっ、文学」ポインツです。だってクビになるよりは円満に辞めた方がいいですし、金八の話をすることに至っては意味不明ですからね。それをあえてやる。書かない方がいいかもしれんが、あえて書く。文学とは何かを考えた結果、それが私にとって文学だと気づきました。ですから「???」は、ああいう路線になったんですね。

――なるほど。たしかに最後に収録されている「???」は、そういう物語ですね。あの話が最後に来ることで、“軽トラおじさん”が何者なのかが分かる構成になっていますが、どうしてこういう形にしたのでしょうか?

 最初にあれを書いて担当さんに渡したところ、たいそう好評で。そのときにアイディアを出してもらったんですね。「???」を最後に持ってきて、いろいろなテイストの軽トラ短編の最後に、「結局、軽トラおじさんとは何か?」が分かる構成にするのはどうだろう? と。
 これには大賛成しました。最後に種明かしが待っているような造りは、やはりワクワクしますからね。それで、他の軽トラを書いていくことになったんです。単純に突っ込んでくるものから、突っ込まれた後の話、突っ込まれてから始まる話、軽トラはただ突っ込んでくるだけじゃないという話……そして「恋に落ちたら~殺人ザリガニ~」を経て、すべてが明らかになる「???」で終わる。編集さんの言葉を借りるなら、最初は無茶ぶりから始まりましたが、最終的にはひとつの筋が通っている短編集になりました。自分だけだったら、絶対にこんな構成にはできなかったです。ですから、編集さんには心から感謝していますね。

――少し話題を戻します。書籍化の決め手になった「恋に落ちたら~殺人ザリガニ~」なのですが、どうしてこのような話を書こうと思ったのですか?

 言ってしまえば、遊びの延長です。自分が楽しいから書こうと思いました。ただ、私は自分だけじゃなくて、誰かに楽しんでもらいたい、という気持ちも強いんですね。ものを書く人は、大きく二つに分かれると思います。誰にも見せなくて平気なタイプと、そうでないタイプ。自分は完全に後者です。以前は前者なのかなとも思ったのですが、そうではないと大人になってから気が付きました。
 自分は今もゲームのシナリオを書く仕事をしていますが、かつては会社員として社内ライターをやっていました。このポジションは「自分で思いついた話を書く」というより、「いろんな人が書いたものを取りまとめる」という、調整役的な面が強いんです。外部のライターさんが書いたものであったり、ゲームの仕様を考える人たちからの「ここで戦闘をさせたいから、そういう展開を考えてよ」という依頼だったり、プロデューサーなどの偉い人の「なんかイイ感じによろしく」といった意見だったりを聞きとり、テキスト・シナリオの形に整理する。自分の考える「面白い」よりも、開発スタッフの意見をまんべんなく取り入れて、形にするのが仕事でした。それはそれでやっていて満足感のある仕事だったのですが、恥ずかしながら、自分の考える「面白い」をシナリオに反映することができなかったんですね。優秀なライターさんなら、そこでシレッと自分の色も混ぜるのですが、自分はそんなに器用ではなかった。それで、フラストレーションが溜まることもあり……。いっちょカクヨムで憂さ晴らしをやったろうと。で、せっかくならTwitter(現X)もあるので、そのアンケート機能を使って、読者の方と一緒に作ってみたいなと思いました。そこで「こういうカップルがいたとして、どういう展開が読みたいですか?」と聞いてみたわけです。「殺人ザリガニ」でいうと、「夫に浮気をされた女性が、初恋相手と再会する。この後どうする?」として、「浮気する」「浮気しない」「殺人ザリガニに襲われる」の三択を用意しました。すると、ぶっちぎりで「殺人ザリガニに襲われる」が1位でしたから、じゃあ「殺人ザリガニで書くかぁ」と。こうなると、自分は「投票してくれた人のために書き上げなければ!」と思いますし、アンケートに答えてくれた方も、やはり自分が一票を投じた意識があるからか、読んでくれるんですよね。あとはしっかりしたものを書けば、好意的な意見をもらえますし。

――読者との対話で作品を作っていくという、コミュニケーションのような創作スタイルですね。

 この小説に限らず、私にとって創作は常に社会とのコミュニケーションです。言いたい事や伝えたい事、それらを小説という形にして、社会に生きる人たちに読んでもらう。というか、そういう形でしか社会と向き合えませんし、付き合っていけません。言いたい事も言えないんです。
 それに、私は誰かに読んでもらって、何らかのリアクションをもらえないと小説も書けないんですね。いわゆる孤高の天才にはなれません。書籍化の作業をしている時も、編集さんに相談して、いろいろな感想をもらえて助かりました。自分は、周囲の目がどうしても気になるんです。ゴーイング・マイ・ウェイなんて無理です。自分は本当に、ちっぽけな小市民だなと思うばかりです。今回、書けば書くほど、そのことを思い知りました。余計な発言かもしれませんが、「オレは世間の目なんて気にしないよ」と、ガールズを連れて山籠もりする東出昌大さんにはなれないと痛感しましたね。

――本当に余計なことを言わないでください。ちなみに、ここまで「???」と「恋に落ちたら~殺人ザリガニ~」が短編集の核であることは分かりましたが、他の収録作品で思い入れがあるものは何でしょうか?

 その二つは特別ですが、もちろん他のも好きですね。カクヨムに掲載したものを加筆修正した「ものつくりなふたり」「オレたち普通じゃない」は、前者はスピード感と単純に悪口が言いたかった、後者は転調するラブロマンスをやりたかったのですが、それぞれ思った通りにできました。書き下ろしの新作の「この夢を、きみと描けたら」は悩める高校生を主人公にしたかったのと、「天才と凡人」というテーマを自分なりの切り口で書きたかったのですが、どちらも納得がいくように書けました。最初に挙げた二つ以外だと、一番好きですね。あとは同じく書き下ろしの「夜の森のできごと」は、自分にもある男のいやらしい部分がテーマでした。書いていて自分の嫌な面を見るようで大変でしたが、ド派手な人体損壊もできて、仕上がりには満足しています。

――今回の本の帯には、王谷晶さんと麻布競馬場さんがコメントを寄せてくださっています。お二人のコメントはどのように受け止められましたか?

 ひと言でいうなら、身に余る光栄ですね。
 まず王谷晶さんは、Twitterを始めて最初の方に相互フォローになったんです。王谷さんも私も香港映画が好きなので、その辺の話題から仲良くなりました。とはいえリアルで会ったことは無いですし、一年に一回くらい、メールでやり取りする程度の関係性です。それでも時々「あなたは面白い!」と言ってくれて、いろいろあった時にも精神的に支えられました。そういう人から、ああいうコメントをもらえるのは、嬉しいですし、何より励みになりました。
 麻布競馬場さんとは、同じくリアル面識がありません。気が付いたらTwitterで相互フォローになっていて、「凄いことを書く人がいるなぁ」と興味を持っていたので、これをイイ機会にと、ダメもとでコメントをお願いしました。たぶん自分とは正反対の人なんですよ。お酒の飲み方だって、麻布競馬場さんは上品に飲める人です。私はボウルいっぱいのポテサラを食いてぇタイプです。そういう自分と正反対の人から、コメントを頂戴したのは嬉しかったですね。ぜんぜん違うタイプの人と接点ができるのは、創作の醍醐味だと思いますから。

――なるほど。今、ちらっと香港映画がお好きとの話が出ましたが、 普段から愛好していたり、今回の作品の執筆時に影響を受けたりした作品はありますか?

 今回の短編集は、間違いなく平山夢明先生の影響下にあります。ホラー作家の印象が強いお方ですが、私はメチャクチャなことが起きるヒューマンドラマの“イエロートラッシュ”シリーズが好きなんです。基本的に残酷で悲惨な物語なんですけど、何故か哀愁と、「ま、お前も頑張んなさいよ」と人生のエールをもらえたような、不思議な読後感があるんです。『デブを捨てに』(文春文庫/2019年)は執筆中に何度も読み返しました。
あとはマンガですが、たーし先生の『ドンケツ』(少年画報社/2011年~)も欠かせません。ネット上ですと「そしたら沢田のアニキが1人でその場所に行ってなァ ロケットランチャーをぶっぱなして~」っていうコマの画像で有名な、ヤクザの群像劇ですね。ヤクザの暴力性を徹底的に描くんですが、だからと言って露悪的でもなくて、むしろ優しさすら感じるんです。それにストーリーテリングの技術が凄い。人がボコボコにされて転がっているのに、ホッコリに着地させられるのは奇跡です。
 あとは先ほども出た香港映画ですね。功夫映画も好きですが、いわゆる香港ノワールからの影響は大きいです。『男たちの挽歌』(1986年)は魂に刻まれていますから。それと韓国映画に、三池崇史監督の作品も欠かせません。『大阪最強伝説 喧嘩の花道』(1996年)や『DEAD OR ALIVE 2 逃亡者』(2000年)とかですね。どれもパワフルなアクションと、情熱的な人間ドラマと、凄い人体破壊と、「今の何?」と二度見するような変なシーン、そして「これ、丸く収まった……のか?」と首をかしげる変な展開があります。今後も小説を書けるなら、これらの映画からの影響をもっと直接的に出していく感じの作品を書きたいですね。

――今後の話が出ましたが、次回作の構想なんかはあるんでしょうか?

 とりあえずカップルに軽トラが突っ込んでこない話になると思います。ですが、必ず他のものが突っ込んでくるでしょうね。それと、今回は自分の内面だったり、自分を取り巻く現実と地続きの話を書いた気がするので、次回は完全なるフィクションで、いわゆるキャラクター小説を書きたいと考えています。それこそノワールものを書きたいですし、他にもスポコンものか、伝奇アクションなんかも、あれこれ考えていますね。あとは映画に関する本を作ってみたいですし、取材時間と資金が確保できたら、ノンフィクションも書きたいです。そしてロシアへ普通に遊びに行けるような世界になったら、『なぜTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTはt.A.T.u.をシバかなかったのか?(仮)』という本を書きたいですね。ロシア側の当事者は、どう思っているのか知りたいです。t.A.T.u.は健在ですから、あのパフォーマンスをどう思ったのかとか、聞きたいことが山ほどあります。

――平成に魂が囚われすぎだと思いますが、楽しみにしています。では最後に、Xのフォロワーの方や、カクヨムの読者に向けて、何かメッセージはありますか?

 何はさておき「ありがとうございます!」、そして「助けてくれ!」と、「とりあえず買ってください!」ですね。読んで、ひと笑いして、少しでも日常の嫌なことを忘れてもらえたり、「明日も頑張ってみるか」みたいな気分になってもらえたら、これは作家という仕事として、最高の成果だと思います。それで気が向いたら褒めてあげてください。褒めてもらえると、加藤は喜ぶ傾向にあるんです。彼は人に優しくされた経験が少ないんですね。
 逆に面白くなかったら、「こうすりゃもっと面白いのに!」を形にするのも“あり”だと思いますね。私、踏み台に使ってもらうのも、それはそれで本望なんですよ。それに、怒りとか不平不満とかって、ネガティブに聞こえますけど、創作の大事な要素だと思うんです。自分自身、そういうタイプですしね。「俺に貸せ! 本当の〇〇を見せてやる!」という発想で書いた小説もたくさんあります。あとは、感想が虚無というか、心を素通りしていったときは……「ごめんなさい」としか言いようがありません。
 ともかく、今の時点で自分にできるベストなものを書きました。良いものが書けたとは思うのですが、やはり未熟さを思い知る箇所も多々あります。その点は次回までには必ず直します。そして次はもっと良い仕事ができるように頑張ります。余計なこともたくさん書くと思いますが、どうか引き続き何卒よろしくお願いします。

書誌情報


書名: たとえ軽トラが突っ込んでも僕たちは恋をやめない
著者:加藤 よしき
発売日:2024年12月16日
ISBNコード:9784041156384
定価:1,650円 (本体1,500円+税)
ページ数:224ページ
判型:四六判
発行:KADOKAWA
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322408000643/

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