悩めるクリエイター・カップルと、うまかっちゃんと、そこに軽トラで突っ込んでくる全裸おじさん

 山崎啓子(やまざき けいこ)は、大人しく、優しく、誰もが認める常識人だ。欠点は引っ込み思案なところで、よく周りから「もっと自分の意見を言っていいんだよ」と言われている。しかし当の啓子本人は、その点を短所だと捉えていなかった。たしかに言いたいことを我慢して、嫌な気分になることはある。けれど自分が少し我慢するだけで、その場が上手く回るのなら、そっちの方がいいと思った。それに「嫌な思い」なんて、ほとんどは2~3日も経てば忘れてしまう。そうやって大学2年生になるまで生きてきた。これまでの人生で大きな問題に出くわすこともなかったから、この先も今の感じで生きていって、問題ないと思っている。

 それに啓子は今、「嫌な思い」を我慢するよりも、はるかに厄介な悩み事を抱えていた。何故だか最近、あの「うまかっちゃん」が美味しくないことだ。

 「うまかっちゃん」とは、九州で流通している豚骨味のインスタントラーメンだ。豚骨ラーメン好きの九州人の舌に合うように研究・開発されたもので、ちぢれ麵に粉末スープと後乗せオイルが絡み合い、絶妙なハーモニーを作り出す。そこらのお店のラーメンより美味しく、九州の人間にとっては魂の味である。いつ、いかなる場所で食べても美味い。それが「うまかっちゃん」だ。

 啓子は九州出身であり、当然「うまかっちゃん」も大好物だった。茹で時間は短めの1分半。お気に入りのトッピングは、紅ショウガとメンマと焼き豚。もちろんスープは絶対に一滴も残さない。スタンダード版がベストで、比較的新製品の「濃厚新味」が2位につけている。小学生の頃は土日のお昼に食べ、中高生になると勉強の夜食や、友だちの家での外泊のお共になった。啓子の人生で常に隣にある、最良のパートナー。それこそが「うまかっちゃん」だ。

 そんな「うまかっちゃん」を、最近の啓子は美味しく食べれていない。

 何故だか最近、うまかっちゃんが美味しくないのだ。インスタント麵だから味が変わるはずがないのに、味が薄いように感じてならない。お湯を少なくしたり、普段より濃く作っても、今一つ何かが足りない気がする。

 「どうして最近、うまかっちゃんが美味しくないんだろう?」この悩み事は厄介だった。「うまかっちゃん」とは人生を共に歩んできた。人生の相棒であり、人生の支えが変わってしまったのだ。「何故? どうして?」悩んでしまって、どんな時も頭から離れない。

 啓子は悩み事を忘れようと図書室にやってきた。しかし「うまかちゃん」不味い問題にばかり考えがいって、本の内容が頭に入ってこない。今は『三国志』を読んでいるのに、「曹操が早合点で一家を皆殺しにした。けれど、それはさておき、何故うまかっちゃんが美味しくないんだろう?」そんなことばかり考えてしまう。これでは読書の意味がない。啓子は図書室から出ようとした。そのとき、

 「好きだ!」

 と女子の声が聞こえた。続けて、

 「オレだって好きだ!」

 と男子の声がした。

 啓子が「何事?」だと確認すると、同期の永森 悠李(ながもり ゆうり)と、倉川 美菜(くらかわ みな)が立ち上がっていた。

永森 悠李は、大学2年生で、啓子の同期であり、紙の小説を2冊も出版している作家でもある。1冊目は高校生の時に書いた『ライク・ア・ローリング・ティーンスピリット』、2冊目は今年になって出た『ありふれたボクらに花束を』。啓子は一応、どちらも読んでみた。2冊とも高校を舞台にした少年少女の群像劇で、前者はクラスメイトが自殺してクラスが団結する話で、後者はクラスメイトが自殺してクラス全体が疎遠になる話だ。啓子の感想は「ああ、こういうのね」以上でも以下でもなかったが、世間ではそれなり売れている。ただ本人は小説家と呼ばれるのは嫌いで、

 「小説家と呼ばれるのは抵抗がありますね。面白いことができれば、媒体は小説じゃなくてもいいと思っているから。だから僕はコンテンツ・クリエイターなんです。とにかく面白いことやりましょうよ(笑)」

 ……と、聞いたこともないネット・メディアのインタビューで語っていた。最近も歌い手や絵師とコラボレーションして、自分の書いた短編小説をベースにした『綺麗』という曲のミュージックビデオがそこそこバズった。ただネット上では曲調からミュージックビデオの雰囲気やら、全てがYOASOBIのパクりすぎるだろうとも叩かれたが、悠李本人と仲間たちは「YOASOBIさんのことはリスペクトしていますし、その影響から逃れることは不可能です」と、褒めてんだか開き直ってんだか分からないコメントを出し、存在その物がそこまで注目されていないことも相まって、本格的に燃えることなく乗り切った。

 そんな悠李の彼女である倉川 美菜は、SNSのインフルエンサーだ。「ココロ ミーナ」の名前で顔出しの動画で活字/漫画のレビューをやっていて、彼女の発言は実際の本の売れ行きに影響を(軽微ながら)及ぼすという。最近はインフルエンサー仲間との集合写真や晩ご飯の画像を上げたり、社会問題を取り上げたり、活動の幅が広がっており、何だかんだでInstagramもX(旧twitter)も10万人くらいのフォロワーがいる。そして時おり彼氏の悠李を引っ張り出してInstagramで独占ライブ配信インタビューを行う。この独占インタビューは週一の頻度で行われていて、永森 悠李とココロ ミーナ(美菜)の2人が恋愛関係にあるのは、視聴者のあいだでは周知の事実だ。カップル系の動画配信者という側面もある。

 そんな2人が、突然に図書室で愛の告白を始めたのだ。「何で急にそうなった?」と啓子は聞き耳を立てる。しかし、会話を続けるのではなく、悠李と美菜はキスを始めた。2人が抱きしめ合って唇を重ねた瞬間、啓子は心臓がドキリとして「マジかよ」と呟いた。そして、

 「見てる人がいるよ」

 そう言うココロ(美菜)に対して、

 「構うもんか」 

 悠李が答えるのもハッキリ聞こえた。

 啓子は内心で「迷惑だなあ」と思いつつ、同時に「でも、いい光景だ」と思った。誰かに見られているのに、普通なら躊躇する状況なのに、「構うもんか」と夢中で愛を確かめ合うカップル。素敵な光景だ。というか羨ましくすらある。

 啓子には彼氏がいた。難波辰雄(なんば たつお)という男で、大学の同期だ。イカつい名前に反して、真面目で、穏やかで、本を愛する優しい男だ。趣味も合うし、常に物腰柔らかで、自分が何か失敗をしても、笑って許してくれる。いい人だと思うし、大好きだ。けれど不満もあって、彼は決して、今目の前で起きているようなことをしない。誰かに見られていても「構うもんか」とキスはしてくれないのだ。素直で優しいけれど、奥手すぎると言ってもいい。こっちが一歩引いたら、そのまま一歩引く。そんな態度は悪くはないが、時には前に踏み出して欲しいと思ってしまう。不安になる。自分に魅力がないのかなと。

 啓子が自分の彼氏への不満について思いを馳せるあいだも、悠李とココロ(美菜)は激しくキスを続ける。周りにはけっこうな人数の学生がいるのに、まるで誰もいないかのように。

 そして、

 「昨日はごめん」

 悠李が謝ると、ココロ(美菜)は笑って尋ねる。

 「何で今なの?」

 「今じゃなきゃダメだと思ったんだ」

 「謝るなら早く謝ってよ。昨日の夜にさ」

 「あの時は、オレも折れちゃダメだと思ったんだよ」

 「何それ?」

 「でも、気づいたんだ。オレのプライドなんかより、美菜の方がずっと大事だって。美菜よりも大事なものなんて、この世にないんだって」

 「もう、何それ」

 ココロ(美菜)が笑う。悠李も笑う。

 啓子は何となく事情を掴んだ。どうやら2人は昨夜にケンカをしたらしい。そういえば、最初に図書室に入ってきたのはココロ(美菜)1人だった。彼氏とケンカをして、1人になりたくてここに来た。そこに彼氏が追ってきて、ケンカの件を詫びて、愛を確かめ合うためにキスをした。啓子はますます素敵な光景だと思った。

 そのとき、悠李が言った。

 「でも、これだけは分かってほしいんだ」

 「何?」

 「オレが同年代のクリエイターと絡むことを、余計に勘ぐらないで欲しい。オレの彼女はお前だけだ。眼球舐子(がんきゅう なめこ)さんとは、純粋な、クリエイティブのために付き合ってるんだ。オレは眼球さんは天才だと思ってる。オレとあの人が組めば、世界にだって素晴らしいクリエイティブなものを届けられるはずなんだ」

 啓子は思い出す。ガンキュウナメコ? 何か聞いたことある。えっと……ああ、そうだ、歌い手の人だ。でも、たしか高校の1年か2年だったような?

 「でも、眼球舐子が裏垢のペロペロオメメの方で、悠李のことが好きだって言ってたよ。ココロのこと、ウザイって言ってたよ」

 「あれはなりすましだよ。ちゃんと眼球舐子さんに確認を取った。何なら今から連絡をとって、確かめたっていい。オレらは、そういうのじゃない。本当にクリエイティブな仲なんだ」

 啓子は嫌な予感がした。同時に悪口が体の奥から湧いてくる。悠李の言い分が、浮気をしていない証拠に1ミリもなっていないことも拍車をかけた。「いや、裏垢じゃないって聞いたって、それ証拠になんないじゃん。っていうか高校生と浮気? マジで? 犯罪じゃないの? 何をクリエイトしてんだよ?」というようなことが浮かんできたが、わざわざ口には出さない。

 「……分かったよ。悠李、きみはクリエイターだもんね」

 「分かってくれて嬉しいよ、美菜。それでこそ、クリエイター、ココロだ」

 美菜が笑って、もう一度、今度は彼女からキスをした。

 「その代わり、また独占インタビューさせてね。私とキミの声を、私とキミの話を、楽しみに待ってくれているココロニアン(※……美菜のファンの総称)がいっぱいいるんだ。私たち2人を応援してくれてるココロニアンのためにも、私たち2人の声をちゃんと届けなきゃだもん」

 啓子は「ほう、できるな」とココロ(美菜)のしたたかさに舌を巻いた。先ほどから「2人」「私たち」を強調して、暗に圧力をかけている。ココロ(美菜)の言葉からは、自分から離れる気ならば、すべてを表沙汰にしてやるという強い気持ちが感じ取れた。ココロ(美菜)は悠李の浮気疑惑をまったく許していないのだ。ココロ(美菜)は口調こそ穏やかだが、完全に悠李を脅迫している。

 「いいよね、悠李?」

 「ああ、もちろんだ」

 美菜が念押しすると、悠李が笑った。するとココロ(美菜)も笑顔になって、

 「分かるよね。私だってクリエイターなんだもん」

 「ああ。お前もオレも、クリエイターだ」

 そして2人は笑い合う。啓子は少しずつ「クリエイター」という言葉が何かの隠語に聞こえてきた。

 そのとき、どすんと大きな音がした。悠李が机のうえに、ココロ(美菜)を押し倒したのだ。さらにそのまま、2人は激しく求めあう。セックスを始めた。

 その光景を見た瞬間、啓子は「あれ? 私って死んでたんだっけ?」と思った。自分は既に死んでいて、幽霊になっていて、周りから見えないのだ。だったら2人が自分の目の前でセックスを始めても何らおかしなことはない。いわゆる逆『シックス・センス』。他の図書室を使っている学生らも、みんな死んでいるのだろう。

 「ここで?」

 ココロ(美菜)が尋ねる。

 「ああ、ここでだ。美菜、嫌か? 今すぐ始めないと、この心に芽生えた衝動が、霞んでしまいそうなんだ。一生、忘れられないセックスにしたい。嫌かな?」

 「嫌じゃないけど……今じゃなきゃダメなの?」

 「ああ、今すぐ。オレは、この気持ちを物語にしたいんだ」

 「そういうことね。だったら最後までしなくちゃ」

 「はは、やっぱりお前もクリエイターだ」

 「でしょっ? その代わり、ちゃんと書くこと」

 「ああ、オレ、次はオレとお前の物語を書くよ。オレらみたいに、クリエイティブなことに悩んで、ブツかって、それでも乗り越えて創作を続けていく、そんな素敵な恋人たちの物語を、オレは書くよ」

 「それ、すっごく嬉しい! 最初に読ませてね!」

 啓子は腹の底から「言ってることがサッパリ分からん!」と叫びそうになった。けれど黙っておいた。どうせ自分は幽霊だ。見えていないのだから。怒鳴っても無駄だ。すると、

 「おい、お前ら。出ていけよ」

 悠李が言った。何かの間違いだろうか? 幽霊を怒鳴るなんて。

 「今の、オレらの話、聞こえただろ。さっさと出てけよ。今からオレたちはクリエイティブなことをするんだ。お前らがいると、集中できねぇんだよ」

 二度目。間違いではなかった。悠李の言葉は、この図書館にいる自分たち全員に向いている。自分たちは死んでいない。生きていて、確かにここに存在している。

 「出てって。普通に考えたら、分かるでしょう? ここから先は、クリエイター以外は立ち入り禁止だよ」

 ココロ(美菜)も言った。

 その瞬間、啓子の中で再び「死ねよ」という言葉が喉まで出かかったが、ギリギリのところで飲み込んだ。自分に言い聞かせる。いけない、2人の行動は、愛ゆえの行動だ。ついさっき、自分は2人のキスを祝福したじゃないか。まぁ、高校生と肉体関係疑惑のある悠李は、ある種の汚物のように見えたけれど。

 悠李とココロ(美菜)に言われるがまま、図書室の利用者たちが出ていく。みんな分かっている。ここは出ていくのが正しいと。

 啓子は考える。まさに今が、そういう時だ。これまでと同じじゃないか。自分は少し嫌な思いを抱えるが、その代わり場は丸く収まる。2人は堂々とセックスをしようとして、みんなが黙って図書室を出ていくのなら、あえて反論する必要はない。

 啓子は退室する列に加わった。列を形成している者たちは、雨に降られたような「しょうがないよ」「こういう日もあるよね」という薄っすらとした笑顔を浮かべていた。悠李やココロ(美菜)とは違う、大人の顔だ。その余裕ある呆れ顔を見ると、啓子はこの列に加わることが、正しいと感じた。

 けれど、その一方で、啓子は心の奥底から湧き出て来る気持ちがあった。それは純粋無垢な疑問だった。自分たちが出ていくのが、本当に正しいのか? 

 改めて周りを見る。図書室から出ていく人々が、誰一人として納得はしていない。ただ大人の対応をしているだけだ。何もせずに厄介事を避けたいのだ。たとえ自分が、ほんの少し嫌な気持ちをしても。みんな自分と同じだ。問題ない。自分だって同じはずだ。なのに今日に限って、押さえられない気持ちが噴き上がって来る。それは

 「死ねよ。ここ図書室だぞ。セックスしたけりゃ家でやれ」

 そういう気持ちだ。啓子の頭で疑問が渦巻く。なんでこんなにイラついているのだろう? 「うまかっちゃん」を美味しく食べれていないせいだろうか? 彼氏の辰雄との関係に悩んでいるせいだろうか? たった一滴の水滴でも、表面張力ギリギリのコップに落ちたらなら、それはコップを溢れさせてしまう。怒りと疑問が啓子の足首を掴み、後ろ髪を引いた。そして図書室から出ていく群れから、彼女を孤立させた。

 2人の前戯でガタガタと揺れていた机が静かになった。

 図書室から出ていく人々が足を止め、薄っすらとした笑い声が消えた。

 すると悠李が勃起した逸物を誇示しながら言った。

「そこのお前! 早く出ていけって! 聞こえないのか!? オレたちのクリエイティブを邪魔すんじゃねー!」

「死ねよ。ここ図書室だぞ。セックスしたけりゃ家でやれ」

 啓子はそうハッキリと口に出した。直後「やっちまった」と思った。その瞬間、

 グォォンバギバギ……!

 異常な音が聞こえた。そして啓子は見た。軽トラックが窓を突き破って図書室に突っ込んできたのだ。白い車体に真っ赤なナンバープレート。刻まれた数字は666、悪魔の数字。そして軽トラは悠李と美菜にスーパーボールのごとくパパンっと撥ね飛ばした。信じがたい光景だが、現実だ。啓子の目の前には確かに軽トラがある。

 やがて運転席のドアが開き、1人の中年男性が現れた。頭頂部がハゲかけて、だらしがない体型をしている。しかも全裸だった。陰部があまりに小さく、陰毛にすっぽりと隠れてしまっている。それに今しがた人を撥ねたばかりなのに、落ち着いた、やさしい表情をしていた。啓子はその姿に修学旅行で見た仏像を重ね合わせた。

 すると軽トラ男は、啓子を指さして、

 「そこのお前、言わんとダメぞ」

 啓子はワケが分からず「何をです?」と問う。すると軽トラ男は答えた。

 「我慢ばっかしよったら、メシが不味くなる。味がせんくなる。そんでメシが不味くなったら、人生が嫌になるんちゃ。おじさんも経験があるからね」

 啓子はワケが分からなかった。しかし同時に、図星だった。自分は今、メシが不味くなってる。しかし何故、目の前の変態は、私がうまかっちゃんを美味しく食べれないことを知っているのか?

 「あなた、何なんです!?」

 啓子が怒鳴ると、軽トラ男は答えた。

 「そういう仕事なんよ。これが、おじさんの仕事やから。嫌な仕事やけど、仕事やから。やらんといかん。それにね、やり甲斐も少しはあるんよ」

 男は運転席に戻った。エンジンの音が響く。軽トラは走り去っていく。

 啓子も、図書室にいた人々も、全員が固まったまま、軽トラを見送った。けれど「ほげ~~」という悠李だか美菜だか分からない呻き声が響くと、皆が一斉に「大変だー! 2人の体が、一部合体してしまっているぞ!」と悲鳴を上げた。

 啓子は2人に駆け寄った。幸いにも、2人は生きていた。全身が明後日の方向に曲がっているが、元気に苦悶していた。啓子は119番を通報して、救急車を呼んだ。

 救急車を待つ間、啓子は少し気まずかった。「死ねよ」と言った途端に、2人が撥ねられたのだ。変わり果てた2人を見ていると、「何もここまで酷い目に遭わなくても……」とも思った。命は尊いものだ。どんな人間にも生きる権利がある。こんな2人にだって、大切な人たちがいるだろう。この2人の遺族……いや、まだ生きているから親族か……親族や友人たちは、どれだけ沈痛な面持ちになることだろうか。耐えがたい悲しみがあるはずだ。

 そんな理屈で、気まずかった。しかし、それはそれとして――。

 「天罰ってあるんだなぁ」とも思った。

 救急車を見送り、警察署でお巡りさんと話をした後で、啓子は家に帰った。

 帰り付くと22時だった。一人暮らしのアパートの前で、彼氏の辰雄が待っていた。啓子を見るなり、辰雄が抱き着いてきた。そして辰雄は「良かった、無事で良かったです」と泣いた。啓子も辰雄を抱きしめて、自分からキスをした。キスしたかったし、今だと思ったし、もう待っていられなかったからだ。

 そのまま2人は部屋に入って、玄関先で倒れ込んだ。そのまま夢中でキスをして、辰雄は「ここでいいんですか?」と言ったが、「ここでいい」と啓子は答えて、セックスをした。

 すべて終えると、23時になっていた。

 「お茶でも飲みましょう」と辰雄が言った。2人は服を着て、テレビをつけて、色の丸テーブルに冷えた麦茶の入ったコップを並べた。テレビをつけると、大学に突入した軽トラのニュースをやっていた。

 ニュースを見ながら、啓子は全てを話した。悠李とココロ(美菜)のケンカとキス、それに憧れた自分。そしてセックスを始めた2人に出て行けと言われて、「死ねよ」と言ってしまったこと。その途端に軽トラが突っ込んできたこと。軽トラ男が、何故か自分の悩みを知っていたこと。最後に、自分が最近「うまかっちゃんが不味い」と悩んでいること。すべてを聞き終えた辰雄は、まず「心配をかけて、ごめんなさい」と謝った。次に、

 「悠李と、あのココロ(美菜)って、そんな酷いことしてたんですか!? そりゃ誰だって『死ねよ』って思いますよ! 逆にみんな、何で我慢して、普通に出て行こうとしたんですか!?」

 辰雄がそう言った後、間髪入れず、

 「だよね!?」

 啓子はそう答えた。何も考えず、反射で出た答えだった。そして「だよね!?」と言った途端に、啓子は猛烈に腹が減ってきた。不意に、あの軽トラ男が言ったことを思い出した。

 「我慢ばっかしよったら、メシが不味くなる」

 啓子は気が付いた。「うまかっちゃん」を不味くしていたのは、自分だった。だとしたら、きっと今なら。

 予感は当たった。その夜に啓子が食べた「うまかっちゃん」は、しっかりと味がして、いつも通りの大好きなうまかっちゃんだった。


 それから少し経って、無事に退院した悠李はトラックに突っこまれた体験を元にした『衝突』という小説がそこそこ売れた。けれど眼球舐子を入院中に病院へ連れ込んでセックスしたこと、さらに一回の行為につき現金12,000円のやり取りがあったことが発覚し、ネットから姿を消した。ココロ(美菜)は同じく『さよならイノセンス―ココロの告白―』という悠李との日々を暴露する系のフォトエッセイ本を出したが、前半は眼球舐子と悠李を罵倒し続け、後半から日本は謎の組織に支配されているという突然の陰謀論だったせいで、まったく売れなかった。なお眼球舐子は高校卒業を機に、素人参加系の格闘技の大会に出るそうだ。名前をSHOCK=EYEとあらためて。

 そして啓子は、就職活動を早めに始めた。不安もあるし、忙しい。しかし、辰雄との関係は上手くいっているし、「うまかっちゃん」は相変わらず美味しい。だから今のところは問題ないと思っている。

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