
「カクヨム短歌賞」選考委員にインタビュー!
6月2日(月)より応募受付を開始した「カクヨム短歌賞」。
10首連作部門では、20代の歌人3名による選考が行われます。
▼応募要項はこちらから!
kakuyomu.jp
本賞をきっかけに初めて短歌を作ってみる人や、1首で作ったことはあっても「短歌連作」に挑むのは初めてという人も多いと思います。
そこで今回は選考委員の3名にインタビューを実施。ふだんどのように歌作に取り組んでいるか、どのような作品を期待しているかなど、気になる疑問を聞いてみました。
今回お答えいただいたのは郡司和斗さん。第62回短歌研究新人賞、第4回口語詩句賞新人賞などの多くの新人賞を受賞されているほか、俳句や川柳など幅広い領域で活動されています。
ぜひ歌作の参考にして、「カクヨム短歌賞」を楽しんでいただければ幸いです。
郡司和斗(ぐんじ・かずと)
1998年6月生。茨城県出身。第62回短歌研究新人賞、第4回口語詩句賞新人賞受賞。著書に歌集『遠い感』(短歌研究社)、川柳句集『ヒント』。短歌アンソロジー『海のうた』、『月のうた』、『雪のうた』(いずれも左右社)に参加。歌誌「かりん」、俳誌「蒼海」、文芸同人誌「焚火」所属。修士(専門職)。専攻は不登校研究。高校教員。
短歌を始めたきっかけ
――このたびは、「カクヨム短歌賞」の選考委員をお受けいただきありがとうございます。まず読者の方に向けて、自己紹介をお願いします。
郡司:郡司和斗です。歌人としては「かりん」という短歌結社に所属して、そこを軸に作品を発表しています。短歌のほかに、「蒼海」という俳句結社で作品を発表したり、最近は川柳で私家版の第一句集も出したりと、いろんな詩歌をやりまくっています。
――ありがとうございます。郡司さんが短歌を始めたきっかけはなんだったのでしょうか。
郡司:高校3年生のとき、岩手県盛岡市で開催の「全国高校生短歌大会(短歌甲子園)」に出場したんですよ。文芸部に所属していたわけではなかったんですが、授業を真面目に受けていたら国語の先生から声をかけられて、そこで初めて短歌を作りました。といっても、それが短歌を始めるきっかけになったというわけではないと思います。「短歌甲子園」のあとはしばらく、短歌と無縁の生活をしていたので。
――では、本格的に歌作を始めたのはもう少し後なのですね。
郡司:はい、本格的に始めたのは大学1年生の春ですね。けっこう恥ずかしい話なのであんまり言ってなかったんですが、きっかけは「短歌甲子園」で仲良くなった人のことが、ちょっと気になっていたことです。
――詳しくお願いします。
郡司:短歌甲子園が終わってから、その人とよくLINEでやりとりしていたんです。そのときに「東京の大学に進学するつもり。短歌も続けたい」とその人が言っていたので、僕も東京の大学行こうと思ってたところだし、じゃあ短歌もやろうかな、みたいな(笑)。それで大学に入学した四月から、歌会(互いの短歌を批評し合う催し)に通うようになりました。
――その方とは実際に、東京でいっしょに短歌をやっていたんですか?
郡司:いえ、結末から言うと、その後話すこともありませんでした。おそらく向こうがスマホを変えたときにLINEを引き継げなかったのか、春にアカウントが消えて連絡が取れなくなってしまって。実は、上京してすぐに行った「文学フリマ」で偶然見かけたんですが、雰囲気が「短歌甲子園」のときからガラリと変わってて……。髪も茶色に染めてて私服もおしゃれで、黒髪の制服姿しか知らなかった僕は、どうしても声をかけられませんでした。今思うとかなり気持ち悪い精神性というか、そんなこと気にするなよって感じなんですが、当時18歳の僕にはちょっと衝撃が大きくて。世界がガラガラと崩れる音を聞きながら、顔をそむけてすれ違うだけで終わりました。その後、その人を短歌の集まりやイベント等で見ることはなく、逆に僕がそのまま短歌にドハマりして、今に至ります。
――なんと……。もしかしたら今でも、郡司さんのご活躍を見守っているかもしれませんね。
郡司:そのときの「文学フリマ」はこの事件もあったし、もう一つ、休憩コーナーで座っていたら、ずっとファンだった批評家の東浩紀さんが目の前の席でカレーを食べていた事件もあったしで、とにかく「東京ってすげえ……」と思わされました(笑)。衝撃に次ぐ衝撃の一日でしたね。僕もカレーを食べていたんですが、チラチラ見るだけで東さんに話しかけることもできませんでした。2017年のことです。
――そのようななかで、短歌活動を本格的に始動されたのですね。
郡司:はい。大学で「松風短詩会」というサークルを立ち上げたり、週5で各所の歌会にいったり、馬場あき子さんが主宰する短歌結社「かりん」に入会したりと、大学1年生、2年生のときはかなり短歌フリークとして生きていました。俳句もこのころに、大学の講師だった堀本裕樹さんから勧められて始めています。
――そして大学3年生のときには、連作「ルーズリーフを空へと放つ」で短歌の主要な新人賞のひとつである短歌研究新人賞を受賞されています。〈一人だけの民族みたいはなびらをひたいにつけて踊るあなたは〉など、光る発想に大きく注目されての受賞でした。
郡司:ありがとうございます。短歌を始めて数年で、短歌研究新人賞を受賞できたのは幸運だったと思います。その年に結社の賞ももらいましたし、2022年には第4回口語詩句賞新人賞という新しい詩歌の賞もいただきました。そして2023年に歌集『遠い感』を短歌研究社から出版した流れになります。
「カクヨム短歌賞」の印象
――選考委員をお受けいただいた「カクヨム短歌賞」について、どのような印象をお持ちですか。
郡司:最初に仕組みを見たときは驚かされました。最初にファイナリストを短いネタで確定させて、その後それなりの尺で王者を決めるというのは「M-1グランプリ」のような他ジャンルの賞レースを思わせる立て付けですよね。選考段階が分かれていることで、選考過程の一つひとつに読者がリアクションを返していける点が、非常にいいと思います。応募者みんなの10首もファイナリストの20首もどちらもカクヨム上で公開されるので、選考に先立って「この人の作品が好き」「自分はこの人が好き」と応募者や短歌好きの間で盛り上がってくれるとうれしいですね。
――ファイナリストが発表されたときの反応も、今から楽しみです。
郡司:ファイナリストが10人なのもちょうどいいですね。短歌の新人賞だと最終候補は30人くらい残すことが多いですが、30人もいるとちょっと作風が被ることもあるんですよ。その点10人だと一人ひとりの個性が立って、読者からも「俺のナンバーワンはこの人だ」みたいな意見が出やすいんじゃないかなと。
――ご自身も含めた、選考委員3名についてはいかがでしょうか。
郡司:20代で固めたのは特徴的だな、というのが第一印象でした。それは短歌界隈の新陳代謝を高めるという意味でもいいことだと思います。あとは3人という人数もあって、同じ20代歌人でも各自のポジショニングのバランスがいいですね。短歌の活動の場って結社があったり、インターネットがあったり、学生のサークルがあったり、新人賞があったりすると思うんですが、今回の選考委員3人はそれぞれの出自にしても現在の活動領域にしてもわりとバラバラで、そこは面として広く取れているのではないかという気がします。
セオリーを壊すということ
――今回は「10首連作部門」の選考委員をお務めいただきますが、短歌1首と短歌連作にはどんな違いがあるのでしょうか。
郡司:まず教科書的に答えてしまうと、短歌連作には色々な持ち味の歌が入っている方がいいと思います。これは勤務校の文芸部でも生徒に話していたんですが、短歌連作はフルコースの料理に近い。食べる人はやっぱり、お肉も食べたいけど野菜も食べたいし、魚も食べたいし、お酒も飲みたいんだと思うんですよ。だから1首としていい歌がたくさん並んでいることは大切だけど、野菜の次に野菜、その次にまた野菜だと「肉も食いたいよ」となるし、逆に肉ばかり連続しても胃もたれする。だからフルコースとしていろいろ揃っていると読みやすいというのが基礎的なセオリーだと思っています。
――ありがとうございます。選考委員の青松輝さんからも「コース料理」の比喩があり、初谷むいさんも同じ主旨で連作を「定食」になぞらえていました。
郡司:おお、そうなんですね。ただ僕が本当に主張したいことは、これはあくまでセオリーであって、セオリーはいつでも破っていいということです。だから野菜連続でもお肉連続でも、激辛に次ぐ激辛でも、やりたいならやっていい。作者はそれぞれ別のお店を構えるわけで、それがなんのお店なのかはこのセオリーをどう壊すかによって決まるところがあると思います。
――壊し方にこそ個性が出るということですね。
郡司:僕もそうですし、ほかの選考委員の方もおそらくそうだと思うんですが、別に「おいしいもの」を食べたいわけではない。それよりは「まだ味わったことのないもの」を求めています。「今まで誰もやっていないけど、これはおもしろいのでは?」という予感があるのなら、それで攻めてみてください。もしかしたら、それが新しい定番になるかもしれないから。
――野菜だけのフルコースになってもいいし、なんなら見たことのない食べ物が並んでいても構わない。
郡司:そうです。初めてチョコバナナができたときだって「バナナにチョコ!?」って驚かれただろうけど、今やお祭りの定番ですもんね。そして今度は、チョコバナナにカラースプレーをかける人が現れる。そしてカラースプレーをかけたチョコバナナが、フルコースに組み込まれていくかもしれない。そういう新しい発想を、今回もし見られたらうれしいです。
脳内ガチャを引いて1首を作る
――今回、郡司さんには自選10首として、書き下ろしの連作「誰かが思い出すたびに遠くの石鹸が光る」をご寄稿いただきました。もしよろしければ、ここまでの話の実例として、この連作を実際にどう作ったのかお聞かせ願えませんか。
郡司:はい。まず、1首をどう作ったかという話をしますね。というのも僕の場合は「連作のために歌を作る」タイプではなく、「1首として作った歌を連作に整えていく」タイプなので。あまり才能という言葉を使いたくはないですが、最初から連作を想定して作ろうとするのは、かなり修練しないと難しいんじゃないでしょうか。才能、センスが要る。そういうタイプもいるかとは思いますが、少なくとも僕にとってはまず1首1首を作っていくのが基本です。この連作では初めに、1首単位の短歌を20首ほど作りました。
――10首連作だからと言って10首だけ作るのではなく、もっとたくさん作ったなかから選んでいくのですね。1首は、どういうところから作り始めるのでしょうか。
郡司:特定のひとつの作り方ですべての歌を作れるわけではないというのが前提ですが、3割くらいは使いたい単語やフレーズから始めていると思います。「誰かが思い出すたびに遠くの石鹸が光る」でいちばんわかりやすいのは〈野外仮設のスケートリンク輝いてすべてのCookieを受け入れよ〉ですね。この歌の出発点は、「すべてのCookieを受け入れる」というひとまとまりのフレーズを短歌で使いたくなったことです。このフレーズをまず下の句に置いて、じゃあこの下の句に合うイメージって何だろう、という思考の順番でした。
――〈すべてのCookieを受け入れよ〉から、どのようにして〈野外仮設のスケートリンク輝いて〉が導かれるのでしょうか?
郡司:言語化が非常に難しいですが、強いて言えば〈すべてのCookieを受け入れよ〉という言葉が最もハジけることができるように、「真逆の手触りの言葉を並べた」ということだと思います。〈すべてのCookieを受け入れよ〉はちょっとネットの不気味さというか、怖さがあるフレーズですよね。「本当に受け入れていいのか」「なにか取り返しのつかないことにならないか」という漠然とした不安や、命令されていることの居心地の悪さを感じる。それに融合させるなら幸福感や気持ちよさのあるフレーズやモチーフがいいと思って、商業施設等にくっついている小さなスケートリンク、あそこだけ空間がひらけてちょっと輝いて見えるスケートリンクを持ってきました。そうすることで二つの気分が混ざって、気持ちいいんだか気持ち悪いんだかわかんない、みたいな読後感を作れたらいいなと考えていました。実際にはこういう「半取り合わせ」みたいなことを考えていたわけじゃなくて、もっと無意識に頼っているのですが。
――「幸福感のあるフレーズ」を狙いとして定めてから実際にこのフレーズを見つける過程は、やはり作者本人の直感、感覚に依存するということになりますか。
郡司:最終的にはそうなると思います。というか、ロジックや計算に落とし込みすぎると、自分の想像を歌が超えてこないんですよ。作り込んであるだけの、つまらない歌になってしまいがちなんです。だから短歌としては、どこか壊れている部分があったほうがいい。そのためには「幸福感のあるフレーズ」みたいな狙いはプログラムとしては最小化しておいて、無意識の領域とか、直感からフレーズを導き出していくのがいいと思います。作歌は常に再現性のない言葉の再現ですね。これは脳内でガチャを引いている感覚に近いです。ガチャを何回か引いてある程度のランダム性の中から当たりの言葉に出会えたときが、僕にとって「簡単に読み終わらない1首」、「広がりのある1首」を生み出せるときです。これは意味不明な短歌を作るということではありません。また、少し注意なのが、何を「当たり」と判定するか、その基準は個人の直感依存ということです。それはつまり完全にランダムということではなく、各々の身体が軸にあって、実はかなりの偏りを持って歌が生まれるということ。そこの判断基準こそを知りたいと思うかもしれませんが、それは追随するものではなく、新しくみんなで作り上げるものです。初めてチャレンジする方にもぜひ自分の直感を信じて試してみていただきたいですね。
連作の”軸”を見つける
――そのように1首ずつ作り、短歌が20首揃ったあとに、どう連作にしていくのか伺ってよろしいでしょうか。
郡司:まずはできた20首を眺めます。眺めているうちに、だんだん歌どうしの共通項が見えてくるんですよ。たとえば〈ミモザは光を光はきみを呼びながら既視感のある大回顧展〉〈平成を愛しはじめている僕がホームビデオの未必の故意の〉などの歌は「ノスタルジー」という感情が共通しているし、〈氷を齧る音だと通話ごしにでもわかるよ書評委員のように〉や〈もう一度だけ、仲良くなれたらって思う。メディチ家が広めたアイスクリン〉には「冷たいモチーフ」が共通している。これで、この連作の”軸”は「ノスタルジー」と「冷たさ」なんだなと把握できます。この軸に沿って20首から7首くらい抜き出し、残りの3首を使って連作としての精度を高めていく。今回の10首はおおよそそのような流れで連作を構築しています。
――ということは、10首連作を作るのに20首以上の短歌を作っているんですね。
郡司:時と場合によりますが、そういうことも多いです。短歌に身体が慣れてくると一首の打率も上がってきますが、まずは量を作るのが第一歩かなと思っています。
――先ほど連作の軸についてのお話がありましたが、軸というのは連作の中心的なテーマということでしょうか。
郡司:テーマとも言えますが、そこまで強いニュアンスではないです。なんとなく歌どうしに似通った感触があると、連作としてひとつの大きな感触を持ってくれる、くらいの経験則ですね。だから、必ずしもすべての歌が連作の軸に奉仕する必要はない。むしろ歌ごとに軸との関連性はあったりなかったりするほうが、連作としての奥行きは出やすいと思います。さっきの「簡単に読み終わらない1首」の話に近いですが、連作もまた全部の歌が特定の軸で説明できてしまうと、一辺倒な印象しか与えられないので。これは少し話しそびれてしまったことなんですが、仮に1首がバラバラな方向を向いていても、タイトルがバシッと決まると、不思議と連作の軸やトーン、コンセプトが定まったり、なんてことも……。
短歌初心者におすすめのアンソロジー
――初めて短歌にチャレンジする人は、まず短歌とはどういうものかインプットしてみたいという希望もありそうです。どんな本を読むのがおすすめでしょうか。
郡司:ご質問からは逸れてしまうのですが、インプットしなくても作れそうな気配がするのなら、あえてインプットする必要はないのではないでしょうか。まだなにも摂取していない状態ってめちゃくちゃ貴重で、そのときしか作れない歌もあるので、それでおもしろい短歌が作れるのであれば、その期間は維持できるだけ維持したほうがいいような気もします。
――短歌を作るために、短歌を読むことは必要条件ではないということですね。
郡司:はい、そう思います。それでもどうしても読みたいと思ったときには、やはりアンソロジーがおすすめですね。いろいろな作風を一気に摂取できるので。たとえば左右社の『桜前線開架宣言』とか、新書館の『現代短歌の鑑賞101』とか、そういった本です。もしインプットすると決めたなら、アンソロジーを活用してとことんインプットするのがいいと思います。
――気合を入れてインプットしまくれば、なにかが見えてくるということでしょうか。
郡司:僕はそう思っています。これは字面通り受け取られると各所で怒られるかもしれないのですが、インプットするなかで「この人の作風いいな」と思ったら、最初は作風を思いっきり真似て作ってみるのもいいと思うんですよ。もちろん1首を丸パクリするのはふつうにNGですが、雰囲気や語の選択のセンスを似せて作るのはいい練習になります。というか、誰かを真似しようとしたって、実はそう簡単に真似られるものではありません。ふつうに無理です。そして、それでも真似ようとして影響を受けて生まれた歌には、逆に自分が強く滲んでしまうものです。で、その滲んだ部分こそが一首のグッとくるポイントだったりするから、おもしろいんですよね。いったん真似から入るのは、ギリありかなと思います。
応募者へのメッセージ
――最後に、応募しようとしている方に向けてメッセージをお願いします。
郡司:応募告知時のメッセージでも「私の考えを裏切ってくれる作品をお待ちしています」と書きましたが、そのときと気持ちは変わっていません。セオリーは所詮、セオリーでしかない。最終的にはそれを超えてくる作品を自分も目指しているし、そういう応募作が読みたいと思っています。しかし、新しければいい、新しくなければいけないということでは決してなく、一般的に旧来的と見なされている作風でもその作風の最大出力が出ていればしっかり評価します。だから「自分はこの方向性ならいちばん本気出せる」というエリアを見つけたら、そこでがんばってほしい。僕がここで言ったことを分析して「こうすれば正解なのか」と考えるのではなく、自分の本気が出せるエリアで勝負してほしいです。それを胸張って出してもらえれば、もうこちらは死ぬ気で読みますので、よろしくお願いします。ご応募を楽しみにしています。
――ありがとうございました。選考、よろしくお願いします。
郡司:ありがとうございました。みなさんの作品をお待ちしています。
「カクヨム短歌賞」の応募受付は、6/2(月)より開始しています。
ぜひ奮ってご応募ください!





