「カクヨム短歌賞」選考委員にインタビュー!
6月2日(月)より応募受付を開始する「カクヨム短歌賞」。
10首連作部門では、20代の歌人3名による選考が行われます。
▼応募要項はこちらから!
kakuyomu.jp
本賞をきっかけに初めて短歌を作ってみる人や、1首で作ったことはあっても「短歌連作」に挑むのは初めてという人も多いと思います。
そこで今回は選考委員の3名にインタビューを実施。ふだんどのように歌作に取り組んでいるか、どのような作品を期待しているかなど、気になる疑問を聞いてみました。
今回お答えいただいたのは初谷むいさん。すでに2冊の歌集を出版し、そのユニークな作風が短歌界隈の内外から支持を集めています。
ぜひ歌作の参考にして、「カクヨム短歌賞」を楽しんでいただければ幸いです。

初谷むい(はつたに・むい)
1996年生まれ、北海道在住。第一歌集『花は泡、そこにいたって会いたいよ』(書肆侃侃房)、第二歌集『わたしの嫌いな桃源郷』(書肆侃侃房)。共著に『スペース短歌』(時事通信社)。
短歌をはじめたきっかけ
――このたびは、「カクヨム短歌賞」の選考委員をお受けいただきありがとうございます。まず読者の方に向けて、自己紹介をお願いします。
初谷:初谷むいと申します。北海道の札幌市在住で、短歌を作っています。2018年に第一歌集『花は泡、そこにいたって会いたいよ』を、2022年に第二歌集『わたしの嫌いな桃源郷』をいずれも書肆侃侃房から出させていただきました。ふだんはソロでの活動のほか、歌人の温さんと一緒に「イルカーン」というユニットを組んで、楽しく活動しております。
――20代のうちに2冊も歌集を出版しているというのは非常に速いペースで、初谷さんの人気を物語っていると思います。初谷さんが短歌をはじめたきっかけはなんだったのでしょうか。
初谷:高校生のときに、文芸部に入っていたんです。主に小説を書いていたんですが、なぜか書けば書くほど一作の長さがどんどん短くなっていって、最終的にショートショートを書きつつ「もうちょっと自分に向いているものがあるのでは……」と悩んでいました。そんななかで、高文連(全国高等学校文化連盟)の文芸部の地方大会だったかと思うんですが、歌人の山田航さんによる短歌ワークショップを聴講したんです。そこで紹介されていた笹井宏之さんの〈「雨だねぇ こんでんえいねんしざいほう何年だったか思い出せそう?」〉(『ひとさらい』、書肆侃侃房)という一首に衝撃を受けたのが、短歌との出会いでした。

――最初に読んだのが笹井宏之さんだったんですね。
初谷:そうです。たった1行で、こんなにかっこいいことができるんだ、とビックリしました。それで翌年の2年生のとき、高文連の大会に短歌部門でもエントリーしたんです。まぁ本当は小説部門が狭き門だったので、短歌とか俳句とか詩とか、全部門にエントリーしてたんですけど(笑)。でも結果的に短歌だけ通って、なにか賞をもらったと思います。
――2年生の高文連大会までの1年間、たくさん短歌を作っていたのでしょうか。
初谷:いえ、この時点では読むようになった程度でした。ちょうどTwitter(現X)のbotとか、そういうところで目に入ってくるようになったという感じで。
――たしかに、あの時期はSNSで短歌を見かけるようになりはじめたタイミングでしたね。本格的に歌作を始めたのはもっと後だったのでしょうか。
初谷:さらに翌年、3年生の高文連大会でまた短歌部門に出したら、最優秀賞をいただけたんです。そこで「あ、わたし才能あるのかも」と調子に乗って、短歌を作り始めました。作品を発表していたWEBサイトのログを見たら、その夏のうちに60首とか一気に作って投稿してますね(笑)。これが本格的に歌作を始めたタイミングだと思います。その後、大学生になって「北海道大学短歌会」に入ったり、文学フリマ東京に出店したりしつつ、2018年には書肆侃侃房の「新鋭歌人シリーズ」に選ばれて第一歌集『花は泡、そこにいたって会いたいよ』を出版しました。
――書名も表紙も、〈イルカがとぶイルカがおちる何も言ってないのにきみが「ん?」と振り向く〉のような作品もすべてがキャッチ―で、第一歌集は短歌界の内外で大きな話題になりました。そのときに初谷さんを知った、というファンも多いと思います。
初谷:そして2022年には第二歌集『わたしの嫌いな桃源郷』も出しました。2024年にはイルカーンでの同人誌『海風そばにいてさようなら』も作って、今に至ります。
「カクヨム短歌賞」の印象
――選考委員をお受けいただいたカクヨム短歌賞について、どのような印象をお持ちですか。
初谷:まずは選考の過程がすごくおもしろいな、と思いました。SNSでも話題になっていましたが、10首提出して勝ち上がったファイナリストは20首というのは斬新でワクワクします。また、ほかのコンテストや新人賞だと応募作を読めるのは選考委員だけでしたが、応募にあたって「カクヨム」上に公開されるということで、そこにリアルタイム性が芽生えることも期待しています。もしかしたら、選考以前に話題になる作品が出てくるかもしれない。こういう新しさのある賞が、どんなふうに盛り上がっていくか。そのことが、短歌という文芸が今後エンタメとして発展していくために、大きなヒントになるんじゃないかと思っています。
――ご自身を含む選考委員3名については、どのようにお考えですか。
初谷:全員20代というのも、大きなポイントですよね。既存の賞だとしっかり経歴を積み重ねた年配の歌人が選考委員を務めることが多いので、今までは拾い上げられなかった感性、一部の人しか知らなかった作者を掬い上げていくような場になるのかもしれません。もちろんこれまでの短歌文脈をしっかり汲んだ歌も再発見していきたいですし、これまでになかった価値観の歌にも出会いたい、と思っています。
――どんな作品が集まってくるか、楽しみですね。
初谷:こうした重要な場で選考委員を務めるのは、正直ちょっと怖い気持ちもあります(笑)。責任重大だと思います。こういった賞は、人の人生をちょっとだけ変える。そのちょっとってすごく大事なので。いずれにせよわたしに言えるのは、「真剣にやります」ということくらいですね。わたしにはわたしにしかできない審査があると思うので、情熱を持って挑みたいと思います。
小説書きが短歌を作るなら
――カクヨムには小説を書いているユーザーが多く、今回「カクヨム短歌賞」をきっかけにはじめて短歌にチャレンジする方もいると思います。初谷さんももともと文芸部で小説を書いていたとのことでしたが、小説を書く方に短歌のおもしろさやコツを伝えるなら、どんなふうに伝えますか。
初谷:小説って、「書きたいシーン」というのが大なり小なりあるんじゃないかと思うんですよ。そのシーンのカタルシスに向けて、筋道として他のいろんなシーンを準備するという。わたしはそういうふうに書いていたんですけど、短歌では最短距離で、そのシーンだけを書けるんです。しかも、ギュッと1行に濃縮した形で。あくまで短歌が好きなわたしの感覚ですが、読んだときの感動は、1行の短歌も小説に負けていないと思います。それだけでもけっこうおもしろいかもしれません。
――たとえば恋愛小説なら告白のシーンが書きたくて、告白に至るまでの関係性を丁寧に描写していくというケースがあると思うんですが、短歌であれば「告白時のピークの感情」だけを取り出して表現できるということですね。
初谷:もちろん、具体的なキャラクターがいて、その二人が一歩ずつドラマを作っていく、ストーリーを紡いでいくというのは小説のほうが得意だと思います。短歌はむしろ、告白しているときの感情や情景だけ見せられて、じゃあこの二人がどういう関係性で、どんなドラマがこれまであったんだろう? と想像できるようなところが、小説とは違ったおもしろさではないかなと。
――短歌というものは、実際に自分に起こったことを詠まないといけないのではと考えている人も多いと思います。短歌でも、小説を作るように、フィクションとして作っていくやり方もありなのでしょうか。
初谷:もちろんありだと思います。ありだと思うし、なんと言うか、それってフィクションであっても結局は本当のことだと思うんですよね。たとえば実際には「りんごを食べたらおいしくて、嬉しかった」という経験があったとして、大事なことは「嬉しかった」ということじゃないでしょうか。だからそれが作品になるときに、「梨を食べたらおいしくて、嬉しかった」になってもいいし、食べたという事実も変えてとにかく「嬉しかった」でもいい。その核の部分が残れば、実際にはなにが起こっていたかというのは割とどうでもいいことだという気がします。小説だって、作者が自分のなかの感情を大事に見つめたうえで書きたいことを決めることもあるので、必ずしもフィクションと言い切れない部分もあると思います。
――あまり、フィクションかノンフィクションかにこだわらず、書きたいことを書くのがよいということですね。
初谷:そうですね。物語が好きなら、今回は10首連作なので、それこそ小説を書くように短歌10首連作を作るということも可能かもしれません。告白の歌の前に、相手が自分のことを好きなのか足踏みしてしまう歌を入れたり、逆に関係ない風景描写の歌を入れたり。短歌の作り手からは生まれてこない発想の連作があってもおもしろいかもしれませんね。
1首は独唱、連作は合唱
――今、連作の話がありましたが、初谷さんにとって「短歌連作」とはどういったものでしょうか。あまり詳しくない人にとっては、短歌とは1首単位で鑑賞するもののように思われるのですが。
初谷:もちろん、1首で鑑賞するのも基本的な読み方です。「1首が独唱だとすると、連作は合唱」というのがわかりやすいかもしれません。1首は誰にも頼らず、自分の足で立ってお腹から声を出して、全身で表現することが必要になる。一方で連作は合唱みたいなもので、いろんなパートがハモることで人の胸を打つことができます。だからハモらせるためにどんな歌を入れるか、どんな順番で並べるか、検討することが割といっぱいあって。「1首単位で見てもいい歌を並べるべき」というのは前提だと思いますが、1首単位で鑑賞されるのとはすこし戦い方が変わってくる感じがします。
――1首が短歌にとっての個人競技だとすれば、連作は団体戦、チームプレーだということでしょうか。具体的に初谷さんが1首単位で好きな短歌、連作単位で好きな短歌連作はどんなものがありますか?
初谷:1首で好きな歌だと、やはり最初に出会った〈「雨だねぇ こんでんえいねんしざいほう何年だったか思い出せそう?」〉でしょうか。笹井宏之さんの、2008年の歌集に掲載されている歌ですが、現在の目から見ても割と変わった歌です。鍵括弧で括られているのでだれかの発話だとはわかるんですが、その内容がちょっとヘンというか。
――たしかに、うまく言えませんがヘンですね。
初谷:雨が降っていて、それはそれとして墾田永年私財法の年号を思い出せるかを聞いている。テスト前とかなんでしょうか。こんなヘンな歌が胸を打つのはすごく不思議なんですけど、読み解いていくと、やはり「墾田永年私財法」が〈こんでんえいねんしざいほう〉とひらがなに開かれているのがポイントだと思います。これによって〈こんでんえいねんしざいほう〉が、教科書に載っている言葉ではなく未知の呪文のように見えてきて、すごいパワーを獲得しているような。そうすると〈思い出せそう?〉という終わり方もあって、「なにも思い出せない」みたいな空気感が1首を包む気がするんですよ。そもそもこんなふうに話してたことがわたしにもあったんだっけ、話していた相手は誰だったんだっけ、という気持ちにさえなる。自分の記憶の思い出せないところで、だれかが不思議なことを言っているぞ、みたいな。それがすごくかっこいいです。
――表記を漢字からひらがなにするだけで、大きく印象が変わるのですね。鍵括弧で括って、1個の台詞がまるごと1個の短歌になっているという形式も、こんな作り方もあるんだと思わされました。それでは、連作として好きな作品についても教えていただいてもよいでしょうか。
初谷:はい。まず前提として、わたしなりに考えた「よい連作」についてお話ししておきたいです。「よい連作」は、要素として①統一感、②味変、③終わり方、④タイトルの4つが挙げられると思うんですね。「統一感」は語り口や語り手のキャラクター、共通したモチーフ、配色によって連作内に一貫したバランスを取ること。「味変」は逆に変化をつけること。連作の形式だと、淡々と進んでしまうとどうしても飽きが来るので、統一感を損ねない程度に味わいの違う歌を配置する。「終わり方」はその名のとおりですが、最後の1首を中心に連作がどう終わるかということ。終わり良ければ総て良しという言葉もありますが、やっぱり終盤って心に残るんですよ。そこをどうクリアするかが、連作ではすごく大事になってきます。最後に「タイトル」ですが、タイトルって連作に1枚かかっているベールのようなもので、連作の方向性とか味付けを決められる。短歌そのものだけではなく、こういった要素も連作感の醸成には重要です。
――なるほど。かなり実践的な定義で、初めて連作にチャレンジする人にもわかりやすいと思います。
初谷:それで連作として好きな作品ですが、一緒にユニットを組んでいる温さんの連作、「秒単位」を挙げたいです。これは短歌結社なんたる星の同人誌『なんたる星 わっしょい号』に収録されているもので、さっきの4つの要素のどれもがすごくいいんですよ。ここですべての歌を引用することはできませんが、たとえば〈うれしい わたしはあなたに会えたことが紙吹雪のなかの始球式〉のようなど真ん中でエモい歌もあれば〈指をいったん曲げてから伸ばす トウンと鳴る架空の金属 トウン〉のような変わった歌もあって、統一感と味変のバランスが取れている。終わり方についても、ラスト2首が〈ねぇ、一緒に写真撮ってくれませんか?……〉〈ホップ/目を見て ステップ/手をつないで ジャンプ/ジャンプ〉なんですが、すこし切ないお願いのあとにちょっとハッピーでシュールな歌で着地するという、胸がギュッとなりつつ嬉しい気持ちで終われる、というのがいいです。全体的に切なさと嬉しさが同居しているなかでタイトルの「秒単位」がすばらしくて、読んでいるあいだずっとチクタクのリズムが聞こえているのが、嬉しい気持ちをゆったりと引き延ばしてくれるような気持ちになるんですよね。すごく大好きな連作です。
――ありがとうございます。「統一感を持たせつつ味変する」ということのイメージが掴めたような気がします。
初谷:どんなにおいしいハンバーグでも、ハンバーグしか食べないとありがたみが薄れるじゃないですか。だから「ハンバーグ定食」みたいな感じで、ハンバーグを軸にサラダとご飯とお味噌汁と漬物とデザート、みたいな感じで組み立てていくのがわかりやすいと思います。もちろん、ハンバーグ定食なんだけどサラダの割合がめっちゃ多いとか、デザートをパフェにしちゃうとか、そこはオリジナリティを出せるところですね。連作は「自分だけの完璧な定食を作ろう」です。
――「定食」というのはすごくおもしろい捉え方ですね。とはいえ初心者にとっては、バラエティ豊かな歌を作るハードルは少し高いかもしれません。そういうときは、どんなところに気を付ければよいでしょうか。
初谷:まずは1首ずつ作ってみて、並べるときに「体言止めの歌が隣同士にならないように気を付ける」「同じ言葉を含んでいる歌が隣同士にならないように気を付ける」といったところから意識するといいかもしれません。それだけでもずいぶん読みやすくなると思います。

短歌を作るプロセス
――1首ごとで言うと、初谷さんはどうやって作っていますか?
初谷:祈る。降りてくるように祈る。そしたらいずれ降りてきます。
――祈る……。
初谷:すみません、さすがに参考にならなすぎるかもしれません(笑)。正直に言ってしまうと本当に「祈る」でしかないのですが、もう少しヒントになりそうなことで言うと「今見える範囲のものから始めてみる」などでしょうか。たとえば今、テーブルの上に七味唐辛子があるので、これで作ろうかなと考えたとします。まずは、七味にまつわるいろいろなことを思い浮かべてみる。うどんに入れるよな、七味っておもしろい名前だな、振りかけるときに自分はどんなこと思ってるかな、振りかける動作ってどういうものかな、みたいな七味にまつわることをなんでもいいので考えてみる感じです。この思いつきを深掘りして、「七味」を「七つの味」とあえて書き下してみたらおもしろいかもとか、ただ振りかけてるだけなのに「降りそそぐ」とか言うとおもしろいかなとか、そうやってフレーズを細かく作っていって、最後に歌の形に整える。〈七つの味で七味キラキラ降りそそぐわたしの嫌いなわたしのために〉……みたいな。あんまりいい出来じゃないんですけど(笑)、たとえばこういうプロセスを踏んでいくという作り方はあると思います。あとは、自分の哲学ですかね。こういうことをふだん考えているよなあ、みたいなところ。
――ふだん思っていることを短歌にするのは、チャレンジしてみたい人も多いと思います。たとえば「お金がなくて苦しい」みたいな気持ちを短歌にするぞと思い立った場合、まずなにから考え始めればいいでしょうか。
初谷:そうですね。いろいろありますが、わたしなら「どんな雰囲気でこのことを伝えたらおもしろがってもらえるかな」ということでしょうか。読者への出し方をまず考える、というか。「お金がなくてなにも買えないよ」みたいなことを言いたいとして、「お金がなくてワニも買えないよ」と嘆いてみるとかですかね。
――相当お金がないとワニは買えないだろ、というツッコミが来そうですね(笑)。
初谷:そうです。まぁワニがおもしろいかは置いておくんですが、こんな感じで短歌として仕上げていく工程が必要になるのではないかということで。不思議と、思っていることを本当にそのまま短歌にしてしまうと、作品としてはどうしてもおもしろくならないことが多い、と自分でもやっていてよく思います。だからユーモアにしてもいいし、思いっきり悲しくしてもいいし、どうやって読者にそれが届くかということを検討するといいかもしれません。
応募者へのメッセージ
――最後に、応募しようとしている方に向けてメッセージをお願いします。
初谷:いろいろ言ったんですが、いい歌かどうかを決めるのはあなた自身だと思っています。世の中でいいとされている上手な歌、うまいこと言っている歌って、つい真似したくなると思うんですよ。それももちろんいいことなんだけど、それでできあがった歌が本当に自分にとっていい歌なのか、は自分に向けて問わないといけないというか、自分にとって心の底からいい歌というものを、ちゃんと追及することがなによりも大事なことだと思うんです。だから、逆に言うともうそれだけがんばればいいんじゃないかなという気もします。上手な短歌を作らなくていいから、あなたが本当にかっこいいと思っているものを見つけて、あなたの味をさせてほしい。あなたがなにを信じているのかを知りたい、それをおもしろがりたいと思っています。たくさんの作品をお待ちしています。
――ありがとうございました。選考、よろしくお願いします。
初谷:ありがとうございました。一生懸命がんばります。
「カクヨム短歌賞」の応募受付は、6/2(月)に開始します。
ぜひお楽しみにお待ちください!