【カクヨム短歌賞】最終選考会のようすをお届けします

「カクヨム短歌賞」各部門の最終結果は、2/26(木)に発表しました。
10首連作部門においては2/8(日)に最終選考会を行い、大賞を篠原仮眠さん・由良鴻波さんの2名に、佳作を相澤零さん・甲斐さんの2名に決定いたしました。

kakuyomu.jp

この記事では10首連作部門の受賞者をどのように決定したのか、最終選考の記録をお届けします。

選考委員(50音順)

青松輝

1998年生まれ。YouTubeでも活動。歌集『4』(ナナロク社)。

郡司和斗

1998年6月生。茨城県出身。第62回短歌研究新人賞、第4回口語詩句賞新人賞受賞。著書に歌集『遠い感』(短歌研究社)、川柳句集『ヒント』。短歌アンソロジー『海のうた』、『月のうた』、『雪のうた』(いずれも左右社)に参加。歌誌「かりん」、俳誌「蒼海」、文芸同人誌「焚火」所属。修士(専門職)。専攻は不登校研究。高校教員。

初谷むい

1996年生まれ、北海道在住。第一歌集『花は泡、そこにいたって会いたいよ』(書肆侃侃房)、第二歌集『わたしの嫌いな桃源郷』(書肆侃侃房)、第三歌集『笑っちゃうほど遠くって、光っちゃうほど近かった』(ナナロク社)。共著に『スペース短歌』(時事通信社)。

全体の印象

――本日はファイナリストが公開した20首連作を中心に、10首連作の評価も加味しつつ、大賞・佳作の受賞者を決定いただきます。まずは全体の印象についてお一人ずつ伺いたいと思います。

郡司:はい。まず私のコンディションからお話しすると、今、果てしなく緊張しています(笑)。よく眠れずに早く起きてしまって、朝まで5時間もあるな……なんて思いながら外の雪を眺めていました。各20首連作の印象ですが、基本的にはどの作者も10首連作のときよりよくなっていると思います。ただ、中にはすこし力が入りすぎてしまったかなという方もいました。選考基準としては中間選考から引き続き、「何を書きたいのか」が見えてくるかどうか、それを書くための技術、そしてそれが書かれる短歌的・社会的な文脈をどう乗りこなしどう壊すかという3点を考慮しました。また前回と比べると10首から20首に歌数が増えた分、1首が特別良いかどうかよりも、連作性をいっそう強く意識した読みになったかと思います。よろしくお願いします。

初谷:20首連作はどれも本当におもしろくて、どのファイナリストもそれぞれの持ち味がよりはっきり出ているという印象を受けました。「自分はこの作風で、この自分自身で勝負するんだ」という気合いのようなものが全員から伝わってきて、すごくうれしい気持ちです。私の選考基準は「タイトルを含めた連作としてのおもしろさ」と「わかる・わからないのバランス」を重視するという点で、10首連作の時と基本的には同じです。ただ20首連作については、そこに「核となる力を持つ1首があるか」という観点を加えています。10首から20首になると全体のコントロールが効きづらくなるので、1首で下支えできる歌の存在は10首連作以上に重要になると判断しました。よろしくお願いします。

青松:中間選考と同様、とても楽しく読ませていただきました。僕は短歌が好きだと改めて思ったし、これを読んでいる皆さんも、同じように短歌を好きでいてくれたらうれしいです。短歌はおもしろいから。選考基準については、中間選考のときも話した「現代性」「技術性」「必然性」に加え、作者が何をしたいのか、連作のテーマはどこにあるのか、という単純な1首の強度以上のものを汲み取ろうと努めました。また賞の構造上、10首連作より20首連作のほうがよかった人の評価は自然と上がりました。最終的には、短歌にとって新しい作品とは何か、この賞で選ぶべき作家は誰か、これからも書きつづける必要のある作家は誰か、ということを考えながら印をつけました。今日はよろしくお願いします。

――ありがとうございます。選考委員のみなさまには事前に、ファイナリストの中から◎を1名と〇を3名選んでいただきました。結果は以下のとおりです。

作者20首連作初谷郡司青松
由良鴻波respawn
篠原仮眠ミックスピザ・トッピング・チョイス
相澤零ピサ
甲斐鏡ヶ原
京野正午新しいボウリング
瀬斗みゆきボイド
川口番メッセージ
小池耕人工島
紺野藍spark
高橋寧SUPREME BOY NOBUNAGA

――◎のついた作品から順に議論し、その後に受賞者を決定いただければと思います。まずは由良鴻波さんから、よろしくお願いいたします。

由良鴻波『respawn』

※作品の画像をクリックすると作品ページへ遷移します。

郡司:◎をつけました。私はこの作品がもっとも大賞にふさわしいと思います。この作者にしか書けないと思われる独自の質感が、10首連作よりさらに色濃く出ていました。タイトルの『respawn』(リスポーン)は既定の場所にキャラクターが再復活することを指すゲーム用語として昨今は定着しています。繰り返しでありつつも、重ねる周回にはそれぞれ差異があるという含意があります。メタな見方かもしれませんが、中間選考のあとに最終選考へリスポーンしているようにも読めて、おもしろいタイトルだと思いました。このタイトルもそうですが、連作全体にヒロイズムのようなものを感じます。単に虚勢を張っているのではなく、強気な自己提示の裏に脆さや奥行きがある、ちょっと尖っているけれどそれでいてまっすぐな、そんな精神性を連作全体から感じました。1首目〈蝶の目にわたしたちどう見えている 起き抜けの靴擦れが痛いな〉。蝶の視点で自分たちの輪郭を拡散させてから連作を始める。語り手や主体の骨格が一から作り上げられるような、しっかりとした導入です。ヒロイズムを強く感じたのは、6首目〈I’ll always be the one, おんなじように煤けて奥の奥の奥がよく見えた〉の〈I’ll always be the one〉や13首目〈合唱祭ぜんぶ無視して。I’m in the fast lane, from L.A. to Tokyo〉の〈I’m in the fast lane〉のような部分です。引用も交えつつ自分を強気に打ち出して、加えてそこにある痛みを開示している。そこに現代の読者が本気で読みこもうと思える、単純でありながらも複雑な主体の迫真さが見えてきます。1首1首で良い歌はたくさんありますが、連作のなかでもっとも象徴的に輝いてみえる歌は、14首目〈食欲をなくして奇麗わたしたち誤解しあって遠くに行ける〉です。自分だけが誤解する側、もしくは誤解される側ではないんですよね。被害/加害的な単純な図式ではない。互いに未熟な人格を持ちながら関わり合うことや食欲のなさをアイロニカルに肯定する。その不具合じみた感覚は極めて現代的です。しかしながら同時にインターネット掲示板やSNSの登場以降急速に人間から失われつつある感覚でもある。その活写として二重に優れた歌だと思います。熱量を持ちながらも文体を絶妙に抑制し、連作全体としては「明るい絶望」のようなものも漂っている。今この時代において、とても優れた短歌作品ではないかと思いました。

青松:〇で選んでいますが、10作のなかで2番目に高く評価しています。郡司さんがヒロイズムとおっしゃったのは、僕が中間選考で「王道主人公っぽさがある」と評したのと近い感覚ではないでしょうか。つまり、この人が何を考え、何を感じているのかをもっと知りたくなるようなカリスマ性が、フレーズのひとつひとつについ覚えておきたくなるようなパワーが、強烈にあるということです。5首目〈ラララ 身体は空間こころに作られて ピピピ 制服からメイド服〉は道重さゆみや大森靖子の引用だと思いますが、そういったガーリーな文脈を引き受けつつ、自分の身体が奪われたり消費されたりしていくことへのクリティカルな認識が書かれている。〈ハメ撮りは怖くてそれでよかったの 無料で入れる東京タワー〉のような歌もそうですね。それらを踏まえたうえで最後には前を向いて進もうとする、今この2026年を生きる上でリアリティのある主人公性を感じました。1位に推し切れなかった理由は中間選考と同じく、どうしても当たり外れが見えてしまったことです。言いたいことを優先するあまり、短歌1首における情報量のコントロールが二の次になっている部分が時折見受けられました。〈スタッズのデニムが椅子を凹ませる だいすきな黒歴史 みぬいて……〉〈不本意に甘いたばこはとっておき、じゃなくて普段使いしてよね〉なんかは、口調の操作に頼っているように思いました。この作者ならもっとスマートにも作れるはずです。全体的に歌の中に抽象的なモチーフが多くて、読みを深めるためのフックが少なくなっている歌もいくつかあり、それが解決すればもっとよくなると感じました。

初谷:〇はつけていませんが、中間選考では2位に選んだ作者ですし、今回も最後まで迷いました。非常に良い連作だと思います。ただ私の印象では、良さが前半に集中してしまい、後半がすこし失速したかなと感じてしまいました。前半の1首目〈蝶の目に〉、2首目〈星は恋 星座が閉じるとき恋は意味を置き去りにしてはじける〉、7首目〈血液のリズムにのって揺れている足を組んだら恋が歪むよ〉などは連作のムードを作ることに成功しています。一方で8首目〈もっと砕けてほしいだなんて怯えるね窓はいつでも開けておくから〉などはすこし甘さが残るように見えました。〈重なった世界を撒いて独りきり みかづき それからまた出会おうね〉の〈みかづき〉のような語をポンと置くテクニックも、確かにこういう手法はあるけど、この作者の持つ技術性やキャラクター性とはうまく噛み合っていないような気がします。

青松:初谷さんがおっしゃる「甘さ」はよくわかります。先ほども言いましたが、口調の持つパワーで1首をまとめようとする歌が多く、読みにくくなっている印象があります。挙げてくださった2首も〈怯えるね〉〈出会おうね〉の〈ね〉に負荷がかかりすぎている。ただ、僕は後半が弱いとまでは感じませんでした。たとえば18首目〈でもわたしは盗まれたことがない まだ試し書きコーナーの紙白い〉、20首目〈蜂鳥の羽風にミリも揺れないで咲いていられる花から泣いた〉はいい歌だと思います。この連作には〈冷えた手でわたしの化粧崩しつつきみは万引き犯に似ていく〉という歌が、予選の10首には〈だれにでも一つの白い部屋があり汚されたがっている メイジャー〉という歌がありますが、それらの「汚れていく身体」という文脈を引き入れながら、〈わたしは盗まれたことがない〉と(自らに言い聞かせるように)言うところに、被害者性を安易に背負うことを自分に許さないで、できる何かをしようとする、この作者にとっての倫理があると思います。

初谷:被害者性のお話、非常におもしろいと感じました。つねづね感じていることですが、短歌は主体を被害者という立場に置きがちな詩型だと思うんです。自分のことを弱い立場に置いた内容を言いたくなる引力があって、作者が意識的に踏ん張らないと引っ張られてしまう。被害者として自己表明する歌そのものがよくないということは決してありませんが、短歌の持つこの引力に作者は自覚的であるべきだと思います。その点、この作者は明らかに自覚的です。だからこそ、自意識の強烈さに反して、雑味なく読める爽やかさがあるのではないでしょうか。非常に現代的で、誠実な姿勢だと感じます。

青松:そうですね。連作全体を通して、ものごとを単純化せず、きめ細かい認識のなかで表現をしようとする丁寧さは、やはり他の作者にはないものがあります。

篠原仮眠『ミックスピザ・トッピング・チョイス』

初谷:◎を入れています。口調に良い意味での甘さがあり、子供らしく優しいトーンに調整されています。このような口調を選択する場合、歌が弱いと格好がつかなくなるのですが、そこを1首1首のおもしろさでしっかり成立させている。4首目〈ぜったいに会えないならずっと待てるのかもしれないね二個の噴水〉の〈ぜったいに会えないなら〉に表された相手との距離感や不在のムードは、連作全体の大きなテーマにもなっています。〈二個の噴水〉というモチーフの置き方も、しっとりしすぎずでいいですね。8首目〈夕方のクリームパンは表面の冷えたところが光るんだよね〉にはなぜか「そうなんだ……」と思わされてしまう、謎の説得力がありました。こういうよくわからない定理のような歌がしれっと入っていると、連作を下支えしてくれて、連作全体にプラスに働きます。終盤の流れもすばらしいですね。19首目の〈ろうそくを消すとケーキのにおいする ケーキないのに 前あったから〉という子供っぽい口調で表される切なさが、20首目の〈思いきり投げてしまえばそれまでのよくできた氷のフリスビー〉へ繋がり、連作を思い出にしていく。たとえばファイナリストのなかには、完成度の面で傷はあるが強い個性があると思わせてくれる人もいました。先に評した由良鴻波さんもその一人です。でも篠原仮眠さんの作品には、傷がない。ほとんど完璧な状態と言ってもいい。あらためて、すごい作者だなと思います。

青松:3位タイとして評価しました。僕はこの賞を新人賞のつもりで選考しているので、すでに歌集の出版が決まっているのもあってどうしても厳しめに見ていましたが、それでも無視できない良さがある歌群でした。使っている道具立ては決して大きくないのに、読者に与えるインパクトが大きい。モチーフの細かいコントロールと、意味のレベルでの操作が非常に巧みです。初谷さんが挙げた〈夕方のクリームパン〉も、単語自体は普通なのに〈表面の冷えたところが光る〉という描写に地味ながら確かな新鮮さがあります。10首連作にも見えた、短歌そのものへの自己言及的な側面は今回もあって、20首目の〈氷のフリスビー〉の歌はとても素晴らしいと思いました。切ない歌ですが、切なさを醸成するにも単に切ない雰囲気で書けばいいのではなく、納得感が必要です。この歌は、そこを氷という語の持つテクスチャーと、氷だから思いきり投げてしまえば当然砕けてしまうという明白なロジックで支えている。その明白さが逆に新鮮に感じました。非常によくできた歌で、よくできた連作だと思いました。

郡司:ある種の軽さと言いますか、「楽しさ」が連作のベースにあるように読めて、それはこの作者に独自のものだと思いました。短歌はどうしても重くなりがちな詩型ですが、この作者は軽さ、楽しさを意味内容ではなく一つのスタイルとして貫いている。そこが強い武器です。3首目〈好きなものに似ているものはちょっと好き セーターにセーターを重ねて〉や、15首目の〈違ったらちゃんと教えて、でもやっぱそっと教えて… つらら かまくら〉のように、言葉を重ねたり、似たニュアンスの単語を並べたりして、同じ単語近い単語でも手触りの違う奥行きを出す技が冴えています。一方で〈次の春あなたをこわくなくなってあなたじゃないみたいに思うのか〉など、書いてあるとおりに読み下せる歌もある。この歌大好きです。こわさ、わからなさにこそ「あなた性」がある。そしてそう捉える自分を発見している。ラカン的、レヴィナス的な両面の他者性を持っています。『ミックスピザ・トッピング・チョイス』というわくわくするタイトルで、いろいろと語やリズムで遊んできた作者が、終盤でこういう不意に我に返ったような歌をぱっと入れてくるのは連作として強いと感じました。

青松:この歌はスッと読めるけど奥行きがあっていいですね。今は〈こわい〉からこそ〈あなた〉であるという把握が、リアルかつロマンティックです。この作者の口調だと〈思うのかな〉で終わらせそうなところを、〈思うのか〉というやや固い語尾で終わらせているのも新鮮な感じがします。

相澤零『ピサ』

青松:中間選考でも1位にしましたが、今回も高く評価して、◎をつけました。10首連作のタイトルが『イタリア』で、20首連作のタイトルがイタリアの都市である『ピサ』。普通の発想なら他のテーマに変えたり、似たテーマにスライドしたりするところを、まさかズームするとは……とまず驚かされました。多くのモチーフが複雑な文脈の中にあって、何かしらピサもしくはイタリアに関係するように書かれています。このような方法論を使いながら、一見スタイリッシュな口語短歌として一連を読める点に、新しさを感じました。たとえば1首目〈右腕の火傷の話をした君の火傷の痕を想うアルノ川〉にはわかりやすく、イタリアに流れる〈アルノ川〉が登場します。〈アルノ川〉の前に1字空けを入れても自然ですが、あえて入れないテクニックが利いていて、この主体がいる場所なのか、比喩として火傷の痕をなぞらえたのか、もしくは〈アルノ川〉が〈思う〉の主語なのか、曖昧にすることで意味に重層性を与えています。5首目の〈あの日々を炎のような指先のくすぐったさが撫でるイタリア〉も、あまり見たことのない謎のかっこよさがあります。〈メディチ家〉や〈ピサ〉といったモチーフが、単なる知識の羅列ではなく、芸術や知性など、巨大な何かに対する官能的な感覚にスライドしていく。前作のタイトルが『イタリア』だったのに、その次の連作の5首目、しかも結句に〈イタリア〉を持ってくる不敵さもいいですね。後半には1首単位で見ると説明的すぎるような歌もありましたが、それでもこの斬新さは評価したいと思って、◎をつけました。

郡司:10首連作から20首連作のなかで、テーマをより深掘りしてくるか大きく転換してくるかの二択があったと思いますが、相澤さんは明確に深掘りしてきましたね。青松さんの指摘のとおり、土地や歴史を意識した固有名詞が、神経過敏的に頻出します。連作という枠組みのなかでは必然的に収まっているのですが、歌を1首で切り出したときにもベストな状態なのかは、やはり疑問が拭えない部分もありました。一方でおもしろかったのは、主体の立ち位置が旅行者とも居住者とも取れるところです。海外生活をことさらに強調するわけでも、露骨に観光客として異国情緒を楽しむわけでもない。〈アルノ川〉も〈ダンヌンツィオ〉も、この作者にとっては当たり前の語彙として自然に出てきている感じがする。その言葉の出所の不思議さに魅力を感じました。

初谷:ファイナリストのなかで、10首連作との関連をもっとも強く押し出した作者だったと思います。私も、まずそのことをおもしろいと思いました。イタリア、ピサを舞台にした物語の中に自分が入り込み、追体験しているかのような迫力があります。ただ、お二人がおっしゃっていたモチーフの先行は、やはり気になってしまいました。かっこよさは確かにあるのですが、どこか掴みきれず、理解しきれない。たとえば13首目〈重力に逆らうことは喜びで知恵を讃える奇跡の広場〉、17首目〈1 2 3 5 8 13 21 四角い墓と煙の螺旋〉などは特に、短歌そのものの良し悪しよりモチーフを入れることが先行してしまっている印象です。この点、今回はすこし評価しづらかったかなと思います。

郡司:7首目の〈牢獄の数に限りがあることを確かめ合った 夜の港で〉などの語彙の選び方はファンタジックでいいなと思いました。例えば似たような内容を書こうと思ったとき、語り手/作者が日本の文脈しか背負っていないのならば、〈刑務所〉と言いそうな気がする。そこが〈牢獄〉にできる。無理に合わせているのではなく、この人のなかから自然と出てきた言葉なんだろうなと想像できます。

青松:『ピサ』は予選の時よりも深い、ある意味で権威的な方向へ進化していて、それはいかにも短歌らしい濃さではあるのですが、個人的には『イタリア』の前半にあったような、わかりやすくいい歌になってくれる方向性も捨てがたいと思っています。ねっとりした濃さと、スタイリッシュな鮮やかさ、どちらも持っているのが相澤さんの魅力なので、そのバランスをどう取っていくのかは読者として楽しみです。

甲斐『鏡ヶ原』

郡司:中間選考では1位に推した作者で、今回は〇を入れました。10首連作はクオリティが明らかに高い一方で、作歌の方程式や手癖が見えすぎるのではないかという議論が、以前あったかと思います。今回の20首連作も非常におもしろいです。『鏡ヶ原』は、我々の住むこの世界はそもそも無意味にただそこに「ある」ことが本来土台を成しており、実は意味というのはその上にたまたま積もっている砂山であったことを改めて感じさせてくれる連作です。それでいて別に意味と非意味の二項対立ではなく、それらが互いにもたれ合っている言葉の運動を描いています。まずタイトルからですが、こうした作風において「鏡」という語を入れた自己言及的なメタさのバランスをどう見るかで、評価が一回分かれると思いました。私はこれがやや親切すぎるように見え、読みの方向が狭くなった印象がある。もっと何を言ってくるかわからない、虚をつかれた言葉を置いてもいい。しかし前半の歌がすばらしいですね。〈それは砂の果物なのに捥ぐ指が汚れない泣くほどじゃないよね〉。『爪未満』の〈どこで読んでもわたしのことを書いている夏の光だ褒めてあげよう〉にも通じるような、現実描写が心理描写へと巧みにすり替わる技が光っています。10首目〈夕立に打たれる花のAVが景品の大会で会おうよ〉も印象的でした。〈AV〉という生々しい言葉を、「花の二十代」的な花ともフラワーの花ともとれる〈花〉で形容して定着させている。毒気の抜きが非常にうまいと思います。そのまま景を取って読むこともできる。ただ、後半の〈心まで盗作だけどしかたなく階段を塗る良い給料で〉〈偽物でもうれしい人が立っている 手を振る 星も偽物だろう〉のような歌は、批評を若干先回りしているようにも思えて、この書き手がやりたい「小悪魔感」はそこなのか最後の最後まで悩みました。

初谷:〇を入れました。『鏡ヶ原』は、前回の『爪未満』を大きく超えてきたと感じています。もともと良かったのですが、1首ごとのレベルも連作としてのまとまりも、どちらも明らかに向上しました。良い意味で嫌な味がずっとしつつ、モチーフが多彩で飽きさせない。タイトルについても、私はすごくおもしろいと思いました。迷子になるような感覚を誘発する文体ですが、それを『鏡ヶ原』という広大な鏡のなかの世界を彷徨うイメージに帰着させたことで、連作としての深みが増したように思います。郡司さんのおっしゃった批評の先回りについては、私はむしろこれが連作のテーマなのだと受け取りました。自分も世界も偽物なのではないか、という問いのような。その問いの最後にあたる20首目に〈偽物でもうれしい人が立っている 手を振る 星も偽物だろう〉を置いたことに、率直に言って感動を覚えます。『爪未満』ではまっすぐ表現して読者を感動させることを、どこか拒絶しているような作風だったのに、最後でこれほどわかりやすく感情を揺さぶる1首を置いた。新しい一面を見せてくれたうれしさがあり、その挑戦に心打たれました。技術面においても、6首目〈一晩中テレビを舐める叔父さんを盗み見る将来の自分を〉の〈舐める〉から7首目〈バス停は歯型まみれに帰れなくなりたい人の列ができてる〉の〈歯形〉、13首目〈なんとなく夜景に変えた待ち受けがチケットとして確認される〉の〈待ち受け〉から14首目〈思い出が気分の悪くなるビデオだったのは笑顔で嘘みたい〉の〈ビデオ〉と、モチーフを数珠繋ぎにしながら思考を補助するコントロールが巧みです。

青松:〇を入れています。非常によかったです。具体的には篠原さんと同じく3位タイで評価しています。前回の『爪未満』よりも親切に作られていて、僕もその点は高く評価しました。独特の、怪異っぽい湿り気のあるモチーフはそのままに、今回は意味がしっかり通る歌が戦略的に配置されています。たとえば1首目〈親友がひとりもいなくなるくらい叶えてくれる深夜番組〉では、深夜番組と波長が合いすぎて、自分の理想をあまりに叶えてくれていて、友達が必要なくなる、というようなストーリーを(正しいかは別として)思い浮かべられる。理解や共感がなんとなく可能にしてあります。終盤の展開についても、僕はメタ的というよりはエンターテインメントとしての親切さだと捉えました。20首目に〈偽物でもうれしい〉というベタなエモさに繋がりうる歌を(皮肉っぽく)置いてあることに、ある種のおしゃれさというか、上品さを感じます。予選の10首連作では本来繋がらない単語を強引に結びつける非文的なおもしろさが目立っていましたが、20首連作では文としての可読性をすこし残しながら、ギリギリのところで詩的な飛躍を成立させている歌も目立ちます。中間選考の評価を汲み取った上で、ご自身の作家性を損なわない範囲でしっかりアップグレードしてきた印象です。そのバランス感覚が見事でした。

郡司:私が言うのも変ですが、ありがとうございます。批評の先回りに関する懸念も、お二人のように読者を導く回路として肯定的に捉えられるのであれば、それはこの連作がそれだけ強固に構築されているということだと理解しました。心配しすぎてしまいました。

初谷:最後の1首でグッとさせてくれたのは、やはり読者に対する親切さだと思っています。

青松:最後の1首があることで、この作者に対する信頼度が上がる、という面があると思うんです。これだけはっきり感情を動かす方向にも短歌を書ける人が、あえて非文的な、不穏な歌を作っていた、ということが最後にわかる。それでいて〈星も偽物だろう〉のイヤな感じは他の人には書けない。この20首目は、この作者の作品史においても大きなブレイクスルーになりうる歌だと思います。

京野正午『新しいボウリング』

初谷:〇を入れています。すごくワクワクする連作でした。連作全体に高揚感のある、海外旅行のようなムードが漂っています。旅行とボウリングという一見無関係な二つが、独特のテンションで一つにまとまっているというのは、あまりほかに類例を思いつかない構成です。特にすばらしいと思ったのは14首目〈速すぎて止まって見える千文字の回文に二度出てくる銀河〉。〈速すぎて止まって見える〉という耳馴染みのあるフレーズを使いつつも、それが〈千文字の回文〉をどう形容しているのか完全にはわからない。そんなスピード感のなかで、〈二度出てくる銀河〉で終わる。この連作を下支えする、非常にエネルギーのある1首だと思います。一部、〈国際会議〉や〈国家〉といった重いモチーフがやや浮いているように感じるところもありましたが、それ以上に「次は何が出てくるんだろう」という期待感を持たせてくれました。

郡司:〇を入れました。10首連作のときはギャガーの印象が強かったのですが、20首連作に拡張されたことで、実はかなり叙情に根を張っている作者なんだなと驚きました。たとえば2首目〈空酔いは降りてしばらく続くもの立直・一発・通信空手〉などはギャガーらしい印象を引き継いでいますが、17首目〈振り返ればわるくなかった人生の二番の歌詞がほぼサウダージ〉や18首目〈どうしてもふざけた(夜がコンタクトレンズの水をうばいきるまで)〉のような、スッと読める叙情的な歌が混ざっている。このバランスが、連作としての深みを作っています。10首連作と比べると爆発力は抑えめかもしれませんが、その分20首というスパンのなかで旅行とボウリングを一つの筋書きとして練り上げていく構成の技術が見えてきました。最後の〈隕石の遅さに大笑いしたい雨季のハワイにはしゃいだあとで〉も、ハワイという娯楽の場のテンションと連作の文体のアッパー感が上手くリンクしています。スケールの大きさがいいですね。

青松:前回の選考会で「抒情的な路線をもっと見たい」と言った記憶があるのですが、まさにその方向に進んだ印象です。10首目〈もう誰も泣かないように初手で詰むマインスイーパ 光の埃〉のように、ワードの強さで歌を牽引していく力はやはりすごいなと思いました。ただ、抒情に寄った分だけ粗さが目立った歌もありました。たとえば7首目〈すこし歩けば潮風に頰 さびついた記憶はいつの日のシーグラス〉の〈シーグラス〉なんかは歌の着地としてすこし意外性が弱いように思いますし、〈サウダージ〉の歌も、この楽曲の歌詞のウェットな質感が、果たしてこの作中主体のカラッとした雰囲気と噛み合っているのかは疑問でした。また〈立直・一発・通信空手〉や3首目〈スプリット スペア あなたを中国語字幕のように理解していく〉はパッと見は良い歌なのですが、中国語(麻雀)というものを揶揄しているとまではいかずとも、すこし無邪気におもしろがりすぎているように思い、若干の危うさを感じました。もちろんそれはこの作者の味でもありますし、配慮をすれば良いとも思わないのですが、すこし気になった点ではあります。

郡司:10首連作のタイトルが『素数蝉』でしたが、今回の〈素数かつ偶数、コットン+ウール、ゆずというれもんのなりすまし〉にも〈素数〉という語が出てきますね。前作と比べるとやや唐突な気がしつつ、それが逆に高揚感を作っている気もしていて、初谷さんはこのあたりどう思いますか?

初谷:おっしゃる通り、10首連作のときと比べると唐突な使い方ではあると思います。〈素数〉に限らず、〈なにもふれなければなにも起こらない鍵盤よ 愛すべきはれものよ〉なども「急になんの話が始まったんだろう」という戸惑いはありますね。ただ、こんなふうにわーっと散らばっていくところが、この作者のおもしろいところでもあるのかなという気がします。ただこの連作には旅行という大きな筋書きがあるから、こういう唐突な歌とうまく折り合っていないのかもしれません。

郡司:わかります。作者の素養としては筋書きがあるものより、『素数蝉』のような言いっぱなしの作風が向いているような気がしました。

青松:〈素数〉に関しては、作者がただただ〈素数〉が好きなのかなと解釈しています(笑)。そう解釈したくなる楽しさ、明るさは、この作者のいいところなんじゃないでしょうか。

瀬斗みゆき『ボイド』

郡司:ほかのファイナリストは表現がいろんな方向に跳ねていくタイプが多かったのですが、『ボイド』は1首それぞれに隙のない歌が並んでいる印象です。描かれているのはAmazonでの買い物や散歩といった身近な生活なのですが、丁寧に描写されている一方で、連作の中核があんまり見えてこないのが逆におもしろいかなと思いました。だから『ボイド』というタイトルなのかな。正直、もし歌会だったらどの歌も取ってしまうレベルなのですが、特に秀逸だと思ったのは11首目〈アウターに五つもあったポケットを冬の終わりに使いこなせる〉。最初はどこに何を入れるか迷っていたアウターが、冬の終わりには身体に馴染んでいる。その時間の経過の捉え方が非常に巧みです。14首目〈LAWSONはビルの合間に看板を覗かせていて抜かりなかった〉も、〈抜かりなかった〉という一言を入れることで単なる情景描写の一歩先を行っています。〈LAWSON〉で上がった短歌的ハードルを越える発見・把握があるのは本当に凄い。ただ連作の顔とも言うべき1首目で、技術的に気になるところがありました。〈シークバー動かして咲く薔薇があり、逆に動かすなら閉じる薔薇〉の〈動かすなら〉の部分なのですが、この〈なら〉の言い方だと認識的条件文の感が強く、せっかく映像的なおもしろさを狙っているのだから、言い切ってしまう表現の方がそれを迷いなく強調できたのではないでしょうか。とはいえ全体としては、非常に高いレベルの作品だと感じました。

初谷:中間選考の10首でも高く評価していましたが、今回の20首は構成が非常におもしろいですね。前半は〈シークバー〉〈Amazon〉といったインターネットの関連語と草花のイメージが同居しています。近いモチーフが密集するのは本来避けたいところですが、この作者の場合は歌が格段にうまいので、まったくストレスなく読めてしまう。そして後半は一転して都会での生活が詠まれています。〈人が通ると灯る仕組みの照明がすでに灯っている高架下〉。こうした、誰もが経験しているけれど言葉にしていなかった瞬間を閉じ込めるのが本当にうまい。20首目〈ゆるむ口を垂れるよだれはいっときの静けさのあと落ちるしかなく〉の終わり方も、連作を閉じてしまわずにオープンなままにしておく印象を受けました。ただ、あまりに平均点が高すぎて、どの歌を核とするのかがすこし見えにくい、ある種の平たさは感じました。

青松:中間選考の『魚影』と比較すると、個人的には評価がやや下がったかなという感じでした。もちろん〈抜かりなかった〉の歌や、〈首だけの椿が溜まる側溝に冬は溢れるほど終わらない〉などキレのある歌はありましたが、『魚影』にあった、主体の顔が見えないような謎めいた雰囲気が、今回はすこし損なわれた気がします。歌数が多いのでどうしても仕方ないとは思うんですが、たとえば1首目の〈シークバー〉の歌や、5首目の〈謝罪するピエール瀧を何回も再生できて一度だけする〉。動画において、視聴者が時間をコントロールできるという把握自体は鋭いと思いつつ、すこし説明的な感じがしました。短歌がうまい作者であることは間違いないのですが、前作ほどの衝撃は受けなかったというのが正直なところです。

郡司:謎めいた雰囲気が損なわれたというのはよくわかります。しかし今後の活動や歌集の出版まで含めたスパンで見れば、今回のようにある種どうしようもなく語り手の像がくきやかになってしまうことは僕はプラスに捉えたいです。

青松:像が見えてくること自体に否定的ではないのですが、人間が見えてくるならくるで、それによる新しい歌の可能性をもうすこし感じたかったというのが正直なところです。〈なぞれば揺れる水面のような素直さで踏んだリンクがAmazonに飛ぶ〉なども、 2026年現在の僕の感覚では、もっとシビアな切り口が欲しくなってしまいました。

川口番『メッセージ』

青松:〇を入れています。甲斐さん、篠原さんと並んで3位グループの高い評価をしました。前作の『ビューティフル』と比べて、抒情的で透明感のある作風がベースになっています。語順や助詞の操作によって1首をコントロールする技術が目立っていました。たとえば〈伝えたいことの何かがあるというその一心を降る冬の雪〉。通常なら〈伝えたいことが何かある〉と書くところを〈伝えたいことの何かがある〉として引っかかりを作っています。〈政党の名前が変わる 思うときどうやってあなたはいるだろう〉の〈どうやってあなたはいるだろう〉も同様で、語順と言い方を軽く操作するだけで強いインパクトを残しています。すこしだけ時事性が感じられるのもおもしろいです。

初谷:私も、非常にレベルの高い連作だと感じました。〈夕景が産み落としていく感情に今見たことを忘れてしまう〉〈ときに心は老いへ向かって花八手夜の駅舎の静けさを言う〉などの歌がとても好きです。今回は10首連作のときに比べて、よりキャラクター性がはっきりした印象がありますね。助詞の使い方や語順で崩しを入れる手法が、そもそも丁寧でわかりやすい文章のなかで効果的に機能しています。他のファイナリストの作品と比べると、初読の印象の強さはやや薄味とも考えられますが、オリジナリティという点ではけっして負けていないと思いました。タイトルの『メッセージ』についても、やや手垢のついた言葉ではありますが、連作を通して読むと「これはこの人なりの必然性を持って置かれた言葉なんだ」という説得力があります。

郡司:お二人とほぼ同意見で、〇を入れるかギリギリまで迷った作品です。使われているアイテム自体は短歌において珍しいものではありませんが、1首それぞれに絶妙に再現不可能な節回しがありました。7首目の〈これから長くやっていきたい 店先に千客万来のまねき猫〉の〈千客万来のまねき猫〉の韻律などもフックとして非常に巧みに機能しています。口語でありながら、伊藤一彦*1や小池光*2のようなまっすぐさと屈折が同居しているラインを感じました。〈ときに心は老いへ向かって花八手夜の駅舎の静けさを言う〉の第3句の体言止めと上下の切れもびしっと決まっていますね。最近の複雑化した口語短歌だとあまり目にしない作りだと思う。こうした韻律の使い方が、雪や光、植物を歌うことを、この作者だけの特別な表現にしていると感じました。

青松:僕のなかでは、川口番さんと瀬斗みゆきさんが近い路線で競っていると感じていて、中間選考では瀬斗みゆきさんのほうを高く評価していましたが、最終選考では評価が逆転しました。川口番さんは前作で見られた皮肉っぽさが薄まって、20首として読みやすくきれいにまとまっていたと思います。あえて注文をつけるなら、こうした作風のなかで〈美しい欅の樹形 もう一度すこし離れてから撮ってみる〉と「写真を撮る」行為をそのまま出すのはすこし自作に対して説明的すぎるというか、既視感がある気がしました。〈年月がそうしたように壁紙の葡萄の蔓が日に焼けている〉の〈日に焼けている〉も、この連作のレベルからするともっと攻めてもいいように思います。

小池耕『人工島』

初谷:中間選考では1位に取った作者です。今作は「科学館のような建物を見て回る」というストーリーが明確に存在するタイプの連作ですが、ストーリーに対して短歌の強度がやや足りていない気がしてしまいました。詠まれている光景に、「確かに科学館にはそういうものがあるな」というあるあるネタ以上の感動する部分が私にはわからなかったという印象です。あるとすればこの語り手の幼さ、純粋さというキャラクター性ですが、そのキャラクターも強い個性があるふうには感じなくて、前作『戦隊モノ』ほどには良さが見つけられませんでした。たとえば〈10円玉ぐるぐる吸い込まれていく 人も近づいたらこうなるの〉。ブラックホールか何かの再現模型のようなものかなと思います。〈人も近づいたらこうなるの〉というとぼけたような把握はおもしろいのですが、一方でどこか想像で作った反応というか、嘘っぽい反応のように感じてしまいました。作者が実際に科学館に行ったのかどうかとかそういうことを指摘したいわけではなく、やはりこういう連作では1首1首の表現の独自性で、一緒に科学館を巡っているかのような臨場感を出せなくてはいけないと思います。その点、今作は想像の範囲内に収まってしまったところがあり、上位候補にはできませんでした。

郡司:すこしねじれた言い方ですが、僕は『戦隊モノ』より『人工島』のほうを高く評価したいと思いつつも、『戦隊モノ』のほうがこの人にしか詠めない連作だったのではないかという気がしています。『人工島』は科学館のような場所を回っている連作ですね。人工島なので、もし東京ならお台場なのかもしれません。でも大阪万博のようにも読めるし、つくばのエキスポセンターのようにも読める。ただ具体的にこの施設だろうと完全に特定はできない、イメージのなかにある科学館という印象でした。〈足もとにさかなのむれが映されて泳いでいった メロディに合わせて〉の〈メロディに合わせて〉などはあえて説明的な言い方をすることで無骨さを出そうとする試みだと捉えましたが、それにしても説明以上のものを、特に連作後半の歌からは受け取りづらかったのが、評価が難しかったポイントかなと思っています。

青松:前提として、しっかりストーリーテリングできていることは高く評価したいです。『戦隊モノ』はそこの整理がすこし曖昧なことで読みづらくもあったので、そこはきちんと評価したいです。1首目〈やわらかいタッチパネルを押しこむと大人がかわいい音でふくらむ〉が良いですね。この連作はこういうことがやりたいんだなというコンセプトが伝わってきます。言葉にするなら、ファンタジーっぽさと丁寧な描写のバランス、というところでしょうか。20首目〈まんまるの手を振るマスコットキャラクター なんの動物だったんだろう〉の物語が解決しないまま終わったようなオチも、具体性を排した人工島、科学館という舞台との相性がいい。ただやはりお二人が指摘するとおり、ちょっと具体的な設定を投げ出しすぎている感じはしました。〈遠くても仲良くなれる ためにある これが未来のインターフェース〉の〈これが未来のインターフェース〉なんかは、具体的な情報がなさすぎて入ってきにくい。あえて要素を削ぎ落した、骨組みだけにするおもしろさも当然あると思いますが、それならそれでもっと工夫のしようがあると思いました。

紺野藍『spark』

青松:中間選考では4位に推しましたが、今回は票を入れませんでした。この人にしかない感覚、パワーは10首連作に引き続き健在で、そこはよかったと思います。13首目〈火が歌を 歌が炎を 吹き荒らす言葉はなんの熱さだったの〉の切実さ、15首目〈わたしからなだれるように冬へゆく 切っ先になでられるような冬へ〉の独特なテンポ感など、見るべきところは大いにありました。しかし10首連作のボリュームでは好印象だったパワフルな歌の連打も、20首連作のボリュームで同じことをすると、すこし読み疲れてしまったのが正直なところです。作者の向いている方向性がはっきりしているのは美点だと思いますが、技術的に似た処理が重なってしまうのはもったいない。たとえば1首目〈愚かなり わたしはわたしのかけがえのなさに眩んでいるべきでした〉から4首目〈癇癪で捨ててしまった星の砂 違うの みんなには同じでも〉まで全ての歌で、〈でした〉〈だから〉〈だなんて〉〈の〉〈でも〉など語尾によって感情的なニュアンスを演出しています。この単調さは10首連作のときには配慮して回避できていた点のような気がしました。また6首目〈強さで勝ってそれからはなに?だとしてもわたしが何に代えてもやるの〉などは言いたいことが先行しすぎていて、1首の短歌として成立しているのか疑問が残ります。自身の短歌をもっと意地悪な目で見る、ある意味で作品を商品にするような意識、つまり読者のための導線を作る意識があるとよかったと思います。魂の熱量みたいなものをそのまま書きたい、というスタンスは紛れもなくこの作者の美点だと思うのですが、短歌があくまでも誰かに読んでもらうものである、という部分への配慮というか、サービス精神がもうすこしだけあったらもっと良くなると思います。

初谷:2首目〈公園の遊具はのどがかわく色 気持ちは作られるものだから〉など、10首連作と変わらず歌のレベルは高いと感じました。今回の20首は、14首目〈青嵐 激しい心の女の子として君臨していた日々よ〉に象徴される〈激しい心の女の子〉としての自意識の連作として読みましたが、その自意識を語る際のアプローチに広がりがないことが、青松さんの言う読み疲れに繋がったのかもしれません。唯一無二の魂の色を感じさせる作者なので、読みやすさに配慮するところまで幅が広がれば、そのパワーをフルで短歌にぶつけられるのではないでしょうか。

郡司:確かに、10首連作のときはもうすこしいろいろな方向性の歌があった気がするんですが、20首連作では1個のテーマで貫いてそれで思いっきり吹っ飛ばすみたいな勢いがありました。それはそれでパンチがあって、僕は評価しています。〈痛さで覚えたものを言うのはうれしいねそのための一人称がなくって〉では、栗木京子*3〈春浅き大堰の水に漕ぎ出だし三人称にて未来を語る〉を思い出しました。栗木さんの歌はあてどない、大学生くらいの持て余した時間感覚が歌われています。〈三人称〉なので屈託はありますが、希望も感じる。一方で紺野藍さんの歌は時代が進んで、言葉にできない痛みのなかに生きる昨今の人間の真理を言い当てているように思います。後がないヒリヒリした感じがある。ただ青松さんの指摘するとおり、読者ではなく自分自身のための歌に終始している印象はあります。もちろん自分自身のために歌を作る姿勢自体はまったく否定しませんし、作者がそう書いていると確定しているわけでもありません。ただ実際の姿勢はともかくそう読まれてしまう遊びのなさ、読者の入り込めない隙のなさは、もしかしたらそのままでは大きなものを掴みえないのかもしれないとは考えました。

高橋寧『SUPREME BOY NOBUNAGA』

郡司:今回の連作10個の中で評をどう言おうか、ある種の難しさにいちばん直面した連作でした。ある面ではズバッと言い切るのも簡単な連作なんですけども。『SUPREME BOY NOBUNAGA』では、10首連作に比べてとにかく作り込む、技巧で攻める、パンパンにして押し切るという意識を感じました。その技術を勉強して取り込んでいるのはもちろんすごいのですが、中間選考で初谷さんがおっしゃっていた「技術さえあればこの人じゃなくてもこれを書けるんじゃないか」という危惧が、的中してしまった感じが若干あると私は思います。現代短歌の文脈をあまりに踏まえすぎたといいますか。でもやっぱり作者だけの美質が滲んでいる箇所はあるはずなので、探りたい。1首目〈SUPREME BOY NOBUNAGA 極東の列島のぼくたちの非言語〉と20首目〈信長はBOX LOGOのビーニーを目深に被り直して 嗤った〉の二つの「信長」で挟んで、あいだに〈国歌斉唱〉〈逓信省庁舎〉〈歩兵〉等々の語を散りばめて、近世以降くらいの「日本」の空気感を批評の射程に入れて作れてはいます。ただ結局のところ、言葉のうえで「おもちゃ」になった「信長」や「日本」以上のものが僕には見えてこなかったです。すみません、おもちゃという言い方はかなり良くないし、場合によっては言葉をそういうふうに扱ってこそのおもしろさもあるとは思うんですが、膨らみがありそうな単語がたくさんあるのにどれも奥行がなく、のっぺりと同じように見えてしまったというのが正直な考えです。そしてそれは10首連作と比べたときに、明確に作者の固有性を損なう方向へ進んだと判断しました。もちろん歌を個別でみれば、いくらでも褒められるくらい上手いです。〈電飾のひどく冷たいクリスマス・イヴは意識の西側にある〉、アッパー系の身体感覚に歴史性を織り込む技は、どの歌でも光っている。これだけ力があるなら、絶対にもっと凄い作品が書けると信じています。

初谷:この連作に関しては、私が資質として良い読者になれていないだけなのか、作品自体の問題なのか、判断に迷いました。魅力的な歌はあります。5首目の〈満月が 球技にしては退屈な美しさを競い合うばかり〉、16首目〈地球儀が回って祖国は心臓の位置で止まった 息がくるしい〉など、やはりかっこいいですね。ただ、社会的なモチーフが頻出するわりに、郡司さんの言うおもちゃのような、単語を記号としてパッチワークした以上の必然性が読み取れませんでした。10首連作のときは完璧に近いかっこよさがありましたが、20首連作ではかっこいい感じがする、というところまでしか行けなかったように思います。それはやはり、具体的な意味の取りづらさや不親切な詩的飛躍が、単語の必然性を損なっていることによるものではないでしょうか。20首目、信長が〈嗤った〉で終わらせるのも、この一連の不透明さを信長に背負わせ、安易に投げ出したような印象を受けました。既存の歌人、たとえば瀬口真司*4のような先人たちが確立したスタイルと比べて、この作者固有の良さを見出すことはこの20首のなかでは困難でした。

青松:初谷さんが最後に瀬口真司さんの名前を出されましたが、僕からもすこし踏み込んだことを言わせてもらいます。正直に言って、この連作はあまりにも瀬口真司の作風に寄りすぎてしまっている。短歌1首1首の完成度自体は高いと思います。この作者は、短歌に愛されているというか、何を書いても成立させられる才能がある。中間選考のときは「当て感が鋭い」という言い方をしましたが、その評価は最終選考でも変わっていません。だからこそ、僕はこの連作は良くない、と指摘しなければならない。この連作の〈信長〉〈国歌〉〈祖国〉というふるい日本や日本語に対する自己言及的なモチーフに、〈Windows95〉〈バスキン・ロビンス〉〈BOX LOGOのビーニー〉のようなモダンなモチーフを重ねる。これはあまりにも瀬口真司の「KILLING TIME」や「パーチ」に似ている。この点は、笹井宏之賞の選考会でも同じことを大森静佳さんがこの作者に指摘しています。具体的に言えば、この連作では〈信長〉が出てきていますが、瀬口の歌集『BEAM』には〈幸福でありますようにってみんな祈る。雨のなか秀吉は朝鮮へ〉〈次があれば家康公の肖像は根底的に修正される〉と〈秀吉〉〈家康〉が出てきます。「Baskin-Robbins」というもともと英語表記の固有名詞を〈バスキン・ロビンス〉とカタカナ表記することのポエジーなら〈つやめいてメトロ・ゴールドウィン・メイヤー本当は地球よりも大きな〉〈どうせ避けられないことならばはにかんで カートゥーン・ネットワーク・フォーエバー〉などの類例がある。そのほか、〈一体感〉〈月〉〈心〉〈時間〉〈舌〉〈傷〉など細かいモチーフの類似は枚挙に暇がありません。もし、この作り方の問題点に自覚的でないとしたら危険だと思う。この作者以外にも、誰かの短歌に影響を受けて無意識に似てしまっている短歌が応募作の中にあまりにも多かった。短歌を書く上で好きな作品があること、何かに影響を受けることはまったく悪いことではない。ですが、それらのインプットをさまざまに組み合わせて自分のオリジナルなものを作るのが、作家である、ということとイコールだと僕は考えている。誰かのオリジナルな作品は、誰かが人生と実存をかけて作っている。誰かに無意識に似てしまう、ということには、悪意がなかったとしても、誰かを傷つけることにつながる可能性がある。他の作品を確認する限り、これ以外の方向性も書ける作者だと思うし、気持ちが入っているからこそ影響源がはっきり見えてしまうのは誰にでもあることだと思う。才能のある作者なので、これからもいろんなものを書いていってほしいです。

最終選考

――全作品の検討が終わりました。ここで一度、現時点での評価を伺いたいと思います。

青松:◎を相澤零さんに入れていますが、お二人の意見も踏まえて、強引に大賞に推したいとは考えていません。客観的に見れば、由良鴻波さんと篠原仮眠さんが競っている印象です。

郡司:◎をつけた由良さんはもちろんですが、お二人の話を聞くほど篠原さんの完成度の高さも際立って見えてきました。相澤さんの『イタリア』『ピサ』のセットの魅力も捨てがたい。そこに全員が〇をつけた甲斐さんを加えた4人が、ひとまずは上位の候補という印象です。

初谷:非常に悩みますが、篠原さん、あるいは甲斐さんでしょうか。由良さんは紛れもなく短歌界の新星ですが、現時点での純粋な完成度で言うと、篠原さんや甲斐さんに一段劣る気がしています。ここをどう判断するかですね。

青松:由良さんは明らかに独自性があって、しかも20首連作で想定を上回ってきた驚きがありました。ただ、初谷さんのおっしゃるとおり、完成度で見るとまだ隙があるのも事実だと思います。

郡司:伸びしろのような点をどのように評価するかは、賞の難しいところですね。現時点での完成度ベースで言うなら、篠原さんが篠原さん自身のポテンシャルの到達点にいちばん近いと思います。そこに唯一肩を並べられるのが、いままでの議論だと甲斐さんになるのでしょうか。私は由良さんを一位にしているので、当然良いと思っていますが。

青松:そうですね。一方で、傷があるからといって由良さんのこのパワーを捨てて良いのか、というのもあって。

初谷:由良さんはまだ発達途上の輝きという気がします。ここで大賞に選ぶことによって、これが由良鴻波という作者のある種のピークである、ということにしたくはない。作品の質だけで選ぶなら、やはり篠原さんか甲斐さんかなと。

青松:正直、皆さんの◎と○のつけ方を見て、この4人が最後に残るのではと予想して、今日は来ました。同時に、この4人の誰を大賞にするかという決め手は自分の中にはない、と思ってもいました。しかしあらためて篠原さんの傷のなさを前にすると、なにか論破されている気がするというか、認めざるを得ない。「これを選ばない理由はないだろう」と突きつけられているような。大賞の2名同時受賞って可能なんですかね。

郡司:単独受賞に自然となるのであれば、単独が良いでしょうね。同時受賞はそれはそれで受賞者にとっての苦労があります。過去に経験した身としては。

青松:そこで言うと、初谷さんはやはり作品の完成度で、篠原さんか甲斐さんという感じですか?

初谷:そうですね。そこは、嘘はつきたくない。由良さんは非常にいいのですが、絶対にこれから先もっともっとよくなっていく作者だと思うので、「ここでいいんだ」とは思ってほしくない気持ちがあります。

青松:そうですね。よくわかります。

郡司:初谷さんの由良さんへの評価についてもうすこし詳細にお聞きしたいです。僕としては伸びしろもあると思いつつ、現時点でも大賞を受賞させて問題ないクオリティのように思いますが。

初谷:受賞にふさわしくない、とはまったく考えていません。連作自体はすごく良かったです。ただ、ときどき推しきれない弱さや甘さのある歌があることがやはり気になりました。青松さんが指摘していた掴みどころのない歌を整理したり、1首目のような物体を取っ掛かりに読めるような歌をもっと増やしたり、とパッと思いつくだけでいくつか改善点を挙げられる。そういう伸びしろのある作者に大賞を受賞させることがいいことなのか迷っている、という意見です。繰り返しますが、めちゃくちゃおもしろい作品だとは思っていて、唯一無二の作者であることに異論はありません。

郡司:なるほど、ありがとうございます。それは本当におっしゃるとおりですね。

青松:いまいくつかの可能性を考えていて、もし同時受賞させるならという想定をしていたんですが、現時点の完成度なら篠原さんか甲斐さんだし、新鮮さという観点なら由良さんという気がした。少なくとも、篠原さんと甲斐さんのどちらを上位に置くのかを決めなくてはいけないのではないでしょうか。

初谷:非常に難しいですね。篠原さんは完璧に近い。完成度で見るなら、篠原さんかもしれない。でも今回、私が一番グッときたのは甲斐さんでした。ただ甲斐さんは、20首連作で読者に歩み寄ったとは言え、まだ読者を選ぶところがある気がしてしまう。逆に言うと、この20首連作で私はこの作者がもっと先へ行ける可能性を感じたんです。そういう点も含めて、現時点での完成度でどちらを推すかと言うと、篠原さんになります。

郡司:私も甲斐さんは強く推したいけど、読めば読むほど、どれだけ議論しても選考委員3人の総意となると篠原さんに行きつくような気がしています。3人受賞になっても選者としては文句ないくらいの作品なんですけども、3人はさすがに無責任だし多すぎますよね。

青松:個人的には篠原さんと甲斐さん、どちらを強く推すということもできないのが正直なところです。初谷さんが甲斐さんについて言うところもわかる。現時点でまだ上級者向けな感じがする。でも、甲斐さんの連作は20首目があることで篠原さんに拮抗している、とも思った。篠原さんについても、短歌がうまい人がうまい短歌を出して、それで評価されないのは違うだろう、と感じています。

――ここまでの議論を踏まえて、あらためて大賞についてのお考えを聞かせてください。

初谷:由良さんを推したい気持ちはあります。しかし20首連作は、まだ改善の余地があると思った。全体的にレベルが高く、新しい才能の持ち主だと思いましたが、篠原さんを差し置いて大賞にすることはできないというのが私の結論です。なので、もし1名を選ぶなら篠原さんになりますが、同時受賞が許されるなら由良さんと篠原さんにお願いします。

郡司:同時受賞なら由良さん・篠原さんの2名。1名なら由良さんです。

青松:同時受賞にしましょう。由良さんが単独で受賞するのにも、初谷さんの言うような違和感があって。自分の中で一番おもしろいのは、由良さん・篠原さんの組み合わせなんですよね。由良さんに傷があるというのもわかるけど、傷のない短歌賞に自分は絶望してきたんじゃなかったっけ、ということも含めて、由良さん・篠原さんの同時受賞がいいと思います。

――それでは大賞は、由良鴻波さん・篠原仮眠さん2名の同時受賞ということでよろしいでしょうか。

青松郡司初谷:問題ありません。

――佳作についてもご検討をお願いいたします。

郡司:佳作は、受賞の検討に残った甲斐さんと相澤さんでいいのではないでしょうか。

青松:それでいいと思います。特に甲斐さんは、限りなく受賞に近かったと思います。

初谷:はい、いいと思います。

――それでは大賞を由良鴻波さん・篠原仮眠さんの2名が、佳作を相澤零さん・甲斐さんの2名が受賞ということで決定させていただきます。選考委員のみなさま、本当にありがとうございました。最後に、一言お願いいたします。

郡司:はい。まずは賞に参加してくれたみなさま、運営のみなさま、青松さん初谷さん、ありがとうございました。今、どっと疲れが来ていて、ちょっとくらくらしてきました。ほぼ1年にわたって、新しくなったカクヨム短歌賞がどう転ぶのか、盛り上がってくれるのかといろいろ考えていましたが、最終的には非常におもしろい作品を送り出すことができたと考えています。今回の選考で何より幸運だったのは、受賞に値する作品がなくて悩むのではなく、受賞に値する作品が多すぎて悩めたことでした。これもいい、でもこっちもいいと、高いレベルの作品をベースに議論ができた。その内容をこうして世に出せることは、短歌/文学/文化にとっても非常に有意義なことだと確信しています。カクヨム短歌賞は作品が事前に公開され、選考記録もネットに公開され、かなり剥き出しで全員が活動しています。これは非常にシリアスな営みです。ゆえに応募者にとっては「選考」や「受賞」が雑誌の賞とは別の特殊な意味を帯びている感じもしますが、そうした圧を楽しみつつも、でもヘンリー・ミラーくらい自由に各自が書いていけたらいいなと思います。本当にお世話になりました。

青松:ファイナリストの10名はもちろん、すべての応募者の短歌を読ませていただけたことは、贅沢で幸せな時間でした。今回、候補作を読んでいて気づいたのは、自分にとってのいい歌とは「なにかを考えたくなる/考えてしまう短歌」だ、ということです。佳作以上に残った作品には、特にそうした力を感じました。応募者の皆さんには心から感謝しています。今後もこの賞にはぜひ続いてほしいです。そして、受賞者の二人には、できれば短歌を書きつづけてほしい。これは僕のわがままですが、1年に1人か2人しか選ばれない「大賞」というものの重みを信じて、しんどい時があってもやっていってほしい。最後に、もういちど言っておきたいのは、この膨大な応募作の中には必ず、(誰かにとっての)世界を変える絶対的な1首がある、ということで、そのことは今回の選考の結果とはいっさい関係なく、もっと遠いどこかへ届きつづけると思う。これから僕はそういう歌を書きたいし、あなたにも書いてほしい。よろしくお願いします。

初谷:どれも本当におもしろかったです。ファイナリスト以外の方たちの中にも、「この人が20首書いたらどうなるんだろう」と興味を惹かれる人がたくさんいました。短歌にはまだまだわからないおもしろさが詰まっているんだなと、この3人でその可能性を探る過程に携われたことは、とても貴重な経験でした。選考の中で自分が何をいいと思うのかを突き詰めるうちに、むしろ私はどんどんわからなくなっていった感覚があります。でもそれは悪いことではなくて、私にとっての正解は一つではないし、短歌に絶対的な正解なんてないということを再確認できた、ということなのかなと思います。自分の中に、こんなにも多様な短歌を面白いと感じる余地があるのだと気づけたのは大きな収穫でした。これからも新しい才能が次々と現れるでしょう。私たちが今回の方々を大賞に選んだのは、一瞬のすれ違いのような巡り合わせかもしれません。これが世界の全てではないけれど、一つの価値として提示できたことは誇りに思います。本当に楽しかったです。ありがとうございました。

――以上で今年の「カクヨム短歌賞」は終了となります。選考委員のみなさま、ありがとうございました。そしてご参加いただいたみなさま、お読みいただいたり話題に上げていただいたりしたみなさま、ありがとうございました。またお会いできることを楽しみにしています。

注釈

伊藤一彦
歌人。歌集に『言霊の風』(KADOKAWA)、『遠音よし遠見よし』(現代短歌社)など。
小池光
歌人。歌集に『サーベルと燕』(砂子屋書房)、『梨の花』(現代短歌社)など。
栗木京子
歌人。歌集に『新しき過去』(短歌研究社)、『ランプの精』(現代短歌社)など。引用歌〈春浅き大堰の水に漕ぎ出だし三人称にて未来を語る〉は第一歌集『水惑星』(雁書館)より。
瀬口真司
歌人。歌集に『BEAM』(書肆侃侃房)。引用歌はすべて『BEAM』より。