第6話 陸舟車
この
最大の特徴は、車輪が四つ、それぞれ角に配置されていることだろう。これによってひっくり返ることなく、安定して地面に置ける。
「御覧の通り、一人で乗って遊ぶだけのものじゃ。別に速くもないし、大きなものを運べるわけでもない。まあ、人をもう一人くらいは運べるかもしれんな。がっかりしたか?」
「いいえ。より一層、好きになりました。して、どのようにして進むのですか?」
この実用性も何もない玩具を、それでも久平次は飽きずに眺めていた。
「よし。乗り方を教えよう。といっても、これは仕組みが単純でな。なんで子供たちがこの仕組みを理解できないのか不思議なくらいじゃが」
「と、いいますと?」
「前の車輪があるじゃろ。その内側に水車のように、板を張り付けておるんじゃ。この板に足をかけて、踏む」
「すると?」
「車輪が回り、地面を進む。それだけじゃ」
確かに、理屈を説明されれば簡単だ。しかし思いついたかと問われれば、そうではない。こうして教えてもらえれば何ということはないが、自力でたどり着ける答えではなかった。
「逆転の発想ですね」
本来の車輪とは、コロに軸をつけたものだ。大昔は重いものを運ぶため、丸太を並べてその上を転がした。この方法だと丸太をいちいち並べなおす必要があったので、丸太に軸を通してついてくるようにした。
それが車輪の、本来の起源だ。
なので『前に進むには車輪を回せばいい』という順番なら理解できるが、逆順で『車輪を回せば前に進むのだ』と考えるのは難しい。
例えば、『川の水が流れれば水車が回る』までは理解できても、『水車を回せば川に水を流せる』とは思いつかないだろう。『風が吹けば凧が上がる』と理解できても、『凧を引っ張れば風を起こせる』まで思いつくかと言われれば、無茶だ。
そのくらいの、驚くべき発想だった。さまざまな乗り物に精通していた久平次だからこそ、この異常さはよく分かる。
「これは、すごい発明ですよ。将軍様に献上してもいいくらいだ」
「それ、息子にも言われたわい」
「で、どうしたんですか?」
「ワシは興味が無かったし、乗り気になれなかった。この手のものは利便性ばかりを求める幕府には到底理解できぬし、仮に利便性があると思われてしまったら禁じられるかもしれん」
庄右衛門は、あくまで楽しめる玩具が欲しかったのだ。馬に勝とうとか、船に勝とうとか、そんな事は考えていない。ただ、乗っていて楽しいものを作りたいだけだった。
「まあ、ワシの考えとは違って、息子は結局、将軍にこれを献上したようだけどな。後のことは知らん。ワシはただの発明家だ。商売の知恵もあるが、発明と結びつけようとは思わん」
庄右衛門は、船のふちに腰掛けた。そして久平次に乗車を促す。
「行くぞ。夜の散歩だと言ったはずだ。おぬしが動かせ」
言われた久平次は、喜んで乗り込んだ。
ようやく乗り方に慣れてきた久平次は、いい調子で車輪を回していた。裸足で走っているのに、まったく足が汚れない。この踏み板が地面に直接つくわけではないからだ。
晴れた夏の夜に、星を見ながら散歩をする。そんな目的のために使うなら、これほど楽しい乗り物はそうないだろう。もっとも、いくつか気になることもある。
「庄右衛門さん」
「ん?」
「これ、方向を変えることは出来ないのですか?」
「できないなぁ。舵など切れる形ではないし、ただ真っ直ぐ走るだけじゃ。田んぼに落ちそうになったら、さっきみたいに降りて持ち上げるしかない」
「そうですか」
と、これは仕方ない。さっきから何度も船を持ち上げて、道に沿うように置きなおしている。
「ところで、もうひとつ気になるのですが」
「どうした?」
「これ、まっすぐ進んでいますか? どうも左に逸れる気がするのですが」
「そりゃまあ、古いからな。長年の使用で軸が歪んでいるのかもしれん」
「軸が曲がった方に逸れる、と?」
「車輪が向いている方に逸れるのじゃ」
「なら、意図的に車輪の向きを変えられれば、舵を取れるのでは?」
「……」
庄右衛門は何も言わずに前を向き、そのまま空を見上げた。そして何かに気づいたように口を開けたが、声を発さずに口を閉じ、すぼめてしまう。
「まさか、気づかなかったんですか?」
「ワシも歳じゃな。あーあ」
庄右衛門の態度で分かってしまった。
彼がこの船の存在を教えたがらなかった理由は、別に戦争に利用されたくないとか、誰かの利権のために使われたくないとか、そんなことじゃないのだ。
単純に「なんだ。こんなものか」と思われるのが嫌いで、だからこそ褒めてくれる人にだけ見せていたのだろう。
翌朝、久平次はすぐに帰ると言い出した。
「なんじゃ。もうちょっとゆっくりしてってもよいのに。おぬしになら、あの陸舟車をいつでも貸すぞ」
「ありがとうございます。ですが、もう柔らかい粥は煮るのも食うのも飽きました。そろそろ歯ごたえのあるものが恋しいのです。それに――」
「それに?」
「あなたの陸舟車を超える、最高の陸舟車を作ってみたくなりました。一刻も早く国へ帰り、作業に取り掛かるとします」
「ワシを超える、か。言ってくれるな。かっかっかっか。くっくっくっく」
大笑いした庄右衛門は、少しの間だけ目を閉じた。もっとも、長い眉毛のせいで目元は相手に見えていない。
「ワシの作った陸舟車は、すでに息子の手によって、将軍様に献上されておる。もしおぬしがそれを超えるものを作ったとあらば、その噂も瞬く間に天下の全てに轟く……とまでは言わんでも、江戸を通じてここまでは届くじゃろう」
「はい。おそらくは……」
「ワシは老い先短いぞ。ワシが三途の川を船で渡るより先に、おぬしがワシを超える陸舟車を作ってみせろ」
庄右衛門は、なんとなくだが、この久平次が自分を超えてくれると思えて仕方なかった。
そしてこれまた不思議なのだが、それが悔しくないのだ。
むしろ……
(こやつが発明した陸舟車、もし後世に伝われば、ワシの名も後世に残るじゃろう)
と思えば、心の底から応援したいところだった。
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