第24話 駕籠の仕事

 後日、アカネは仕事の合間を見て、久平次の家に寄ることにした。ちょうど客を近くまで乗せたついでに、庄右衛門の陸舟車が気になったのだ。


「よ。久平次の旦那。それから爺さん。調子はどうだい?」

「おお、アカネか。ついに完成したところなのだが……」

「ん? どうしたんだよ。何か不満そうだな。つーか、爺さんは?」

「庄右衛門さんなら、琵琶湖へ泳ぎに行っている。気に入ったらしい」

「ふーん」


 アカネの興味は、老人よりも陸舟車に向いている。目の前にある見たこともない形の陸舟車に、すぐさま近寄った。


「これか。久平次さんのと違って、舵が無いんだな。それに車輪が四つある」

「うむ。駆動部に関しては、拙者の方式を採用した。その方が速いのでな。変速歯車もついているぞ」


 と、ここまではよいのだが、


「これ、どうやって曲がるんだ?」

「それがだな。拙者にも分からんのだ。どう見てもまっすぐ進むだけだな。これでは武蔵国で見せてもらったのと何も変わらぬ」

「そうか……」

「あのご老人も七十を過ぎている。もう本当に耄碌し始めているのかもしれないな」

「そりゃ残念だな」


 アカネはすっと立ち上がり、脚に巻いた紐を締め直した。彼女の細い脚に、痕がつくほどきつく縄が食い込む。


「それは?」

「ああ、アタイら駕籠者の知恵だよ。脚への気の流れを抑えて、疲れにくくするんだ。飛脚たちも使ってる方法だ」

「ほう……なんだか初めて見る気がするのだが、拙者の気のせいか?」

「アタイはいつも、脚絆きゃはんでこれをやってるからな。でも陸舟車の時は脚絆を使わないだろ。そうなると縄だけ単体で持ってくるのさ」


 脚絆とは、脚を怪我しないために使う脛当てだ。木の枝や草など、峠には多くの危険が潜む。それらを避けるための工夫なのだが、たしかに陸舟車には必要ない。

 そうなると縄だけを脚に巻いて、このように鬱血させるらしい。血流を抑えることで酸素の量を抑え、筋肉を疲労しないよう調整する――と、このような知識をどこまで正確に知っているかは不明だ。アカネも半分ほど、感覚だけで使っている。


「それじゃ、アタイは爺さんを探すついでに、琵琶湖で泳いでこようかな」

「それは構わぬが、そろそろ水も冷たくなるぞ。何より、水着を持っているのか?」


 ここ最近、水着と呼ばれる着物が作られ、飛ぶように売れている。湖水浴の奨励に伴って、呉服屋が売り出した婦人向けの着物だ。浴衣の袖を無くし、裾を短くしたものである。


「大丈夫だよ。裸で構わないだろ」

「アカネが言いそうなことだと思ったし、法度としては問題ないが、その……風紀がだな」

「じゃ、またな。旦那」

「話は終わってない……が、言っても聞かぬか」


 ちなみに、この後アカネは庄右衛門と会えるのだが、あまり詳しい話を聞くことはできなかった。言葉では説明しにくいらしい。

 代わりに、水は冷たくて気持ちよかった。




 また別な日、アカネは仕事で駕籠を担いでいた。今日は陸舟車ではなく、駕籠の方が都合がいい場所までの客だ。


「陸舟車じゃ、こんな荒れた道は走れないもんな」

「まったくだ。中山道と一口に言っても、その山や宿場によって道の整備も全然違うからよ」


 と、アカネの兄貴たちが言う。今日は長距離を走るため、四人での交代で走っている。

 駕籠を背負わないで走っていたアカネが、にたりと笑って言った。


「アタイは、たまに兄貴たちと一緒で嬉しいぜ」

「こいつ……」

「いい子だな。変な時ばっか素直になりやがって」

「本当の妹より妹かもしれないわコイツ」


 駕籠には駕籠の、陸舟車には陸舟車のいいところがあるのだろう。駕籠屋の一同、それを感じる瞬間だった。


 宿場で客を下ろすと、もう夜も更けていた。アカネたちは話し合いの結果、これから客を取るのは困難だと判断する。


「よし、今日は城下までカラ戻りだ。宿場で一泊するより安上がりだろう。俺たちの足なら走れる」

「せめて団子だけ食ってから帰らねぇかい?」

「俺はこんにゃく煮が食いてぇな。真っ赤なこんにゃくがうめぇんだ」


 各々、夕食の話に花を咲かせていると、一人の男が正面から歩いて来た。その男はふらふらとよろめき、そのまま兄貴たちの中でも最も大きな体の男にぶつかる。


「おい、気をつけろ」

「俺たちを彦根の駕籠屋と知っての無礼かぁ?」

「いってててて。骨が折れた。どうしてくれるんだ? ああ?」


 と、まるでチンピラの三下みたいな発言が兄貴たちから飛び出る。

 しかし相手の男は様子がおかしかった。地面に倒れたまま、謝るでも逃げるでも、まして殴り掛かるでもなく、ピクリとも動かない。


「どうした?」

「おいおい、大丈夫か?」

「お前の骨が折れたのかよ!?」


 おろおろする男たちを差し置いて、アカネはすぐに彼に手を差し出した。額に手を当てて、状況を確認する。


「あ……あ」

「ひどい熱だ。こりゃ風邪だよ」

「うっ……あ」

「なんだって?」


 聞けばこの男、江戸から京に向けての大事な親書を運んでいる飛脚だそうだ。体調が悪いのは百も承知の上で、それでも重要な仕事に穴をあけまいと、必死で走っていたそうだ。


「とにかく、体の方が大事だろ。アタイの法被でよければ着ろ」

「あ、ありがてぇ。……あったけぇ。それに、いい匂いだ」

「お、俺たちの半纏も着るか?」

「俺の法被も着ろよ」

「俺のもいいぞ」

「ありがてぇ。ありがてぇ。……臭ぇ。臭ぇ。臭ぇ」

「おい、やっぱコイツ山に捨てるか」


 荒くれ者だが優しく温かい。そんな駕籠屋の助けで、風邪の男も少しは楽になったらしい。


「ついでに、頼みを聞いてくれ。見たとこ駕籠者とお見受けする」

「ああ、そうだ。どうした飛脚の野郎?」

「この親書を、京へと届けてくれ。なに、本当に京まで行ってほしいわけじゃない。近くの駅で同業が待ってる。そこまで繋いでくれ」


 それを聞いて、最も年上の兄貴がすぐ判断する。


「よし。担当を決めたぞ。俺はコイツに付き合って、この宿場に一泊する。平助と源平は、駕籠を持って宿場町に戻れ。それとアキアカネ」

「アタイか?」

「ああ。お前はこの親書を持って、次の宿場につなげろ。その後は戻ってこなくていい。そのまま帰って寝ろ」


 この分だと、もっとも身軽なアカネが一番乗りで帰れそうだ。


「雨も降るかもしれない。この季節のおてんとさんはアキアカネより気まぐれだ。気をつけろ」

「あい」

「うす」

「わかった。親書はアタイに任せてくれ」


 こうして、アカネは臨時で飛脚になるのだった。

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