第27話 時そば
「はいよ。かけ三丁、お待ち」
湯気の立ちのぼる温かい汁に、太い蕎麦がしっかり浸っている。これがこの店の蕎麦である。
「お、面白い器を使ってるね」
「分かるかい、嬢ちゃん。それは江戸で流行りの
立切型と言われる、上に行くほど広くなっていく鉢だ。これに蕎麦を盛るというのが、最近の流行りらしい。
「陶器じゃなくて漆器だね。いいね。蕎麦は器で食わせるっていうものなぁ」
「なんかその褒め方、聞いたことあるな。まあでも、そんな可愛い嬢ちゃんに褒められたら、俺も気分がいいや」
可愛い嬢ちゃんことアカネは、着なれない振袖を纏っていた。裾に牡丹をあしらった藍色の振袖は、久平次の妻から借りたものだ。まさか裸で蕎麦屋まで連れ歩くわけにもいかない。
紅色の帯と小さなおはしょりが、アカネの素朴な可愛らしさを強めていた。
「主人よ。ちくわぶは薄いのじゃな。どうやって切ったのじゃ?」
「蕎麦はうどんと見紛う太さだな。粘りが足らんからぽろぽろだぞ。歯ごたえがない」
「その貶し方もどっかで聞いたな。喧嘩なら買うぞジジイと侍」
その様子を見ながら、アカネは内心、そば切りというよりそばがきに近いと思いながら食った。
箸で切れるほど薄いちくわぶを一口大に切り、一緒に口に入れれば、汁が口の中で弾けて美味い。薄味の汁もこれなら満足感がある。
まあ、とどのつまり不味いのだ。
「あ……」
アカネが、うっかり蕎麦の入ったどんぶりを落としてしまった。中身は土にぶちまけられ、どんぶりはころころと転がっていく。このまままっすぐ転がれば、お池にはまって大変だ。
ころころころころ……ころん、ころん、からからからから。
立切型のどんぶりは真っ直ぐ転がることはなく、斜めに傾いて起き上がり、独楽のように回って立ち上がった。
「……なあ、久平次の旦那。爺さん。これ、行けるんじゃないか?」
アカネの呟いた意味を、二人は正確に読み取った。
「なるほど。その方式があったか」
「ふむ。帰って作ってみるかの」
久平次たちが考えたのは、陸舟車の車輪を立切型にするというものだ。先日のどんぶりと同様に、外側に行くほど細く、内側にくるほど太い車輪を作る。
斜めに削られた車輪は、外側ほど円の径が小さく、内側ほど大きくなるわけだ。
これを、
「線路の曲がり角に合わせれば、遠心力で車体が外側にずれたとき、線路と接触するところの径が変わる」
「これなら無段階で変速が可能じゃ。それも、急な曲がり具合になればなるほど、顕著に当たり所が変わる。遠心力が強くなるからのう」
「ついでに車体も傾くから、重心が内側に来るってわけだ。そのぶん重心を軸にした曲がり方もできるよな」
実際に制作して試してみたところ、何度か角度や速度を変え、ついに満足のいく形が実現した。最終的には、ぴったり合う必要は無い。大雑把になんとかなっていれば、それで解決するわけだ。
また、線路から外れる確率も大幅に下がった。立切型の車輪は左右から中央に落ちるようになるので、車体が常に中央に引き戻されるのだ。おかげで車輪の内側につけた突起も、さほど線路を擦らなくなった。
「やはり、天才ですな。庄右衛門さん」
「この嬢ちゃんの思いつきじゃよ。かーっかっか、くっくっく」
「アタイはどんぶりを落としただけさ。車輪を削り出したのは久平次さんだろ」
誰かが欠けても、何かが起きなくても、成立しない発見だった。発明とは得てして、こういう偶発的な運命によって誕生する。
ただ、その偶然を見逃すかどうかは、その人がどれほど日ごろから発明に思いをはせているか。そこで決まるのだろう。
――後日。
「では、庄右衛門さん、お元気で」
「また来ることがあったら、アタイが陸舟車で迎えに行くよ」
「かっかっか。くっくっく。楽しみにしておるよ。それじゃあな」
庄右衛門は、武蔵国へと帰っていった。もともと湯治で草津へ行くと言って取得した通行手形だ。滞在できる期間は限られていた。
「湯治目的なら、簡単に通行手形を取得できて、関所を通過できる、か。思いもよらない方法だな。最初から最後まで」
「アタイも湯治ってことにして通行手形を貰おうかな。久平次さんもどうだい? 一緒に温泉旅行と行こうよ」
「それもよいな。では陸舟車を二艘つなげて、ともに行くか」
「ん?……つなげて?」
庄右衛門が帰るのを待っていた久平次は、今こそと、陸舟車の新機能を披露した。と言っても、驚くほど単純だ。踏み板のついていない陸舟車を、元の陸舟車の後ろに縄で固定する。それだけだった。
「題して、
「いや、それはいいんだけど、どうして爺さんがいる間に教えなかったんだ?」
「拙者が発案者だぞ。あのご老人には最後に一泡吹いてもらおう。線路の発想では拙者の負けだが、その一枚上を行かねば気が済まぬ」
「あんた……なんで発明の時だけ野心むき出しなんだよ」
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