第26話 線路

 久平次は感心していた。庄右衛門の設計は、想像をまた超えていたのだ。


「またしても、発想の逆転ですな」

「そうじゃろう。陸舟車を作るとき、車体ばかりを見ていては気づかぬこともある。乗り物とは常に、路上と一体なのじゃ」

「そうはいっても、路上の方を発明するとは、思いつきませんでした」


 久平次の目の前には、木材を並べて作った道がある。三寸(10cm)ほどの幅しかない角材を二本、並行に並べた道だ。幅は三尺(1m)ほどで、これが陸舟車の車軸と同じくらいになる。


「線路、とでも名付けようか。この上なら石や木の根などが乗らないはずじゃ。段差に引っかかることもなく走れる」

「なるほど。その線路から車輪が落ちないよう、車輪の内側に突起をつけたわけですな」

「そう。この突起を当てることで、方向を変えることもできる。線路さえ曲がっていれば、その曲がり具合に合わせて陸舟車も曲がるのじゃ」


 そういうわけで、試しに久平次の屋敷の庭、端から端まで線路を通してみた。あえて曲がる個所をいくつか作り、目論見通りに動くかどうか実験するわけだ。


「ちなみに、武蔵国で試した時は速度が出すぎて危なかった。気を付けるのじゃよ」

「はい。では僭越ながら、乗らせていただきます」



 久平次が乗ってみると、その踏み板は異次元の軽さを誇った。まるで空回りでもさせているように、少ない力でぐんぐん進んでいく。


「おお、これほどまでに滑らかになるとは……」


 調子に乗った久平次は、速度を出し過ぎた。肝心の曲がり角で車体が浮き上がり、ひっくり返りそうになる。


「おおっと!」


 体重を内側に傾けて、姿勢を戻す。その時、足に強烈な抵抗を感じた。車輪が動かなくなったのだ。


「どうした?」

「いえ。車輪が回らないのです」

「なんじゃと?」

「おそらく、車輪の内側に取り付けた突起が、線路との間に摩擦を生んでいるのでしょう。あまり急な曲がり方は出来ないかもしれません」

「うーむ……」


 庄右衛門は長い眉毛を擦り、険しい顔をした。確かに武蔵国で試した時は、あまり急な曲がり角を用意しなかったのだ。


 分解し、ひっくり返して、線路や車輪の傷を確認する。傷が入っていれば悪いというわけではないが、その傷の位置や形状から見えてくるものもあるのだ。

 結論から言えば、久平次の言う通りだった。四つの車輪はそれぞれ、曲がり角で線路と擦り合ってしまっている。特に損傷がひどいのは、内側にくる方の車輪だ。右に曲がるときは右車輪が、左に曲がるときは左車輪がすれている。


「突起による摩擦も大きいですが、内側と外側の距離差もありそうですね」

「曲がり角になると、外側の線路の方が長いからのう」

「同じ方向にだけ曲がるなら、片方の車輪を小さくすることで解消できます。しかし、そうなると直線や、逆方向への曲がりに耐えられない」

「速度と方向転換を両立する、自慢の方式じゃったが……」


 ここにきて計画はとん挫するわけだ。

 男二人が頭を抱えて悩み始めたとき、庭の角からひょっこりと顔を出す少女がいた。


「よう、やってるかい? ご両人」

「アカネ。よく来たな」

「小僧。いいところに来た。こっちに寄って知恵を貸してくれ」



 乗ってみて、話を聞けば、だいたい解る。アカネは状況を理解した。


「なるほど。それで左右の車輪に細工する方法が欲しいわけか。……あと触るな爺さん」

「おお、すまん。丸出しだったから触っていいもんかと」

「いいわけねーだろ。アタイだって好きで丸出ししてるわけじゃないし、それなりに恥ずかしいんだからな。……で、これって変速歯車みたいに、左右それぞれ歯車で切り替えるわけにはいかないのかい?」

「拙者も考えたのだが、右曲がりと左曲がりの二段階だけではいかんのだ。どの程度の曲がり加減かによっても、適切な距離の差が変わってくる。変速の段数は十を超えるかもしれんし、それを左右ばらばらに操作するとなると複雑怪奇だ」

「そっか……」


 他に打つ手がないアカネは、縁側に腰掛けた。そのとき腹から大きな音が鳴る。


「あ、あははは……恥ずかしいな」

「ほう、それは恥ずかしいと思うのだな。……して、腹が減っているのか?」

「ああ、そうなんだ。昨日の晩、ひと仕事終わった後に、飛脚のまねごとを頼まれちまってさ。草津の駅まで届ける事になっちまったんだよ。雨には濡れるし、半股引は無くすし、腕に巻いてたサラシも擦り切れるし、もうさんざんでな」

「それでそのような恥ずかしい恰好を――」

「ん?」

「いや、何でもない。それで?」


 アカネの服装には触れない方がいいのだろう。そう思った久平次が、さらに話を聞き続ける。


「ああ、それで晩飯も食ってないし、朝も食ってないんだ。早く家に帰ろうと思ってたんだが、途中でこの近くを通ったから、ちょっと顔出したんだよ」


 確かにアカネの腹はへこんでいて、今にも背中とくっつきそうだった。見事な洗濯板と相まって、少し心配になる体をしている。


「それじゃあ、蕎麦でも食いに行くかのう」


 と提案したのは、庄右衛門だった。


「お、爺さんがおごってくれるのか?」

「そんなわけあるか。久平次の財布で食うぞ」

「ひ、酷い……」

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