第28話 東海道線の開通

 季節は巡り、秋がやってきて、田んぼの収穫も終わった。多くの民が休みを貰えるかと思ったその時、藩から大きな仕事がやってくるのである。


『東海道および中山道に線路を敷く』


 作業はあまり大掛かりではなかったが、久平次はこれを早急に達成したい理由があった。そろそろ陸舟車の開発費が底をつきかけていたのである。

 来年、再来年と待っていられないところに、幕府からの勅命もあった。これを好機と見た彼は、大工や工芸師だけでなく農民まで、幅広い層を多額の報酬で集めたのだ。

 無論、これはあくまで自由参加であったが、報酬の額を見た民衆は手と手を取り合って集まった。今年の夏があまりに暑かったため、不作だった分の赤字もここで取り戻すつもりだ。




「で、アタイら駕籠屋まで駆り出される、と」

「まあ、棟梁の決めたことだ。仕方がない」

「材木運ぶだけなら、駕籠を運ぶより簡単だからな」

「俺たちが担ぎ出される立場になるのか」


 この話は駕籠屋にも利があった。これから冬になれば、駕籠の仕事はしづらくなる。まして新製水陸舟車では、雪を越えることはできないだろう。琵琶湖の船旅は暑い季節こそ受けが良かったが、最近になって明らかに希望者が減っていた。

 そこで、陸舟列車を作って儲けようという腹積もりだ。仕事は当然、アカネたちの駕籠屋にも回ってくる。藩の作った線路で商売が出来るなら願ったり叶ったりだ。


 作業はあまりに早く進み、着手から数日ほどで東海道の半分が整備できてしまう。この調子ならひと月とかからず、中山道まで含めた両街道に線路を敷けるだろう。

 もともとの街道は残したまま、そこに沿って線路を作る形となったのが功を奏した。邪魔な木を切り倒すついでに木材として利用できたし、近くに宿場町がある都合で遅くまで作業していても宿に困ることはなかった。

 計画を立てた久平次をして「うまくいきすぎだ」と笑ってしまうほどである。この計画の最中は藩全体に活気があった。まるでお祭りのような日々だった。




「さあ、直惟なおのぶさま。こちらへどうぞ」

「うむ」


 すっかり冷え込むようになったある日のこと、久平次は井伊直惟をはじめ数名の藩士たちを招き、陸舟列車のお披露目をしていた。


「こちらの駅から車両に乗り降りする形になります。駅は各宿場町に用意しました。手始めに、ここから数駅ほどを堪能していただきます」

「それは結構だが、車両とやらはどちらに?」

「今しがた参ります」


 丁度そこに、ガランガランと鐘の音が響いた。陸舟列車の先頭車両に備えた鐘だ。

 先頭車両は、庄右衛門の設計した陸舟車を基に大幅に改良。車輪は四輪から六輪へと増やされていた。

 三軸六輪の動輪は、それぞれが踏み板を備え付けており、これを三人の漕ぎ手で回すことになる。そのため先頭車両はやや手狭だ。


「これに乗るのか? このように……」

「いえいえ。拙者たちが乗るのは、この後ろの車両にござる。さあ、こちらへどうぞ」


 後ろに続くのは、いずれも座敷を乗せたような陸舟車。こちらは漕ぎ手を必要とせず、縄で縛って引っ張る仕組みである。一両ごとに一名が乗る設計で、意外とゆったりしている。


「これはこれは、庶民には少し贅沢ではないか?」

「駕籠より大きいですな」

「この大きさなら二人は乗れるでしょうに、ここに一人ずつ?」

「ええ。旅を最大限にお楽しみいただけるように、急場ですがこの数を用意いたしました」


 自慢気に、久平次が二両目に乗り込む。上座は後ろであるらしい。そこには当然、直惟が乗る。


「さあ、皆さま、おささをおひとつ……」

「おお、酒を飲みながら乗れるのか」

「駕籠だと揺れてこぼれてしまうが、この車両は大丈夫なのかね?」

「本当に船のような乗り物ですな」


 きちっと藍染の裃に身を包んだ久平次が、酒を注いで回る。とはいえ、この陸舟車の幅だ。直接手渡しではなく、前方から回してもらうしかない。手から手へと移る徳利は、心成しかほんのり温かい。




(つーか、久平次の旦那が本業やってんの初めて見たな)


 と、アカネは声には出さず、陸舟列車の前方でひそかにほほ笑んだ。

 いつもはヘンテコ発明ばかりする発明家だが、こうして武家らしい服を着ていると、本当に武士なんだなぁと思える。いや、まあ武士なのだ。正真正銘。

 何より、井伊家をはじめとする藩の重鎮たちに交じって丁寧に話す久平次は、普段の町民みたいな軽さが無かった。半年ほど付き合ったアカネだが、まだまだ彼の知らない一面があることに新鮮な驚きを隠せない。


「そろそろ出発するそうだぞ。アキアカネ」

「お、おう兄貴。それじゃあ行くぜ」


 この踏み板は、車輪と直結している都合上、必ず連動する仕組みになっている。つまり掛け声などをかけて息を合わせる必要が無かった。各々好きな歯車へ変速し、好きな力加減で回せばよい。

 手を抜いてしまえば自分だけが楽することもできるが、その辺は乗り手の善性を信じるしかない。少なくともこの駕籠屋に、そんな卑怯者はいないはずである。



「おお、本当に揺れが少ない」

「紅葉も飛ぶように移り行く。まこと風流だ」

「音も思ったより静かだな。掛け声が無いのもまたいいものだ」

「山の船旅とは、不思議な感覚ですな」


 口々に感想を言い合う武家の人々。その反応は上々だ。

 登りが急な斜面には、線路がもう一本引いてあった。左右の二本よりも高い位置にあるその中央の一本は、表面に凹凸がついている。これを車軸中央の歯車と嚙み合わせることによって、滑るのを防止するのだ。

 逆に下り坂では、この歯車を使って速度を落とす。車輪の上に足を乗せて回転を阻害すれば、同じ車軸につけられた歯車も減速する寸法だ。


「今は東海道の中ほどまで開通しておりますが、いずれ我が藩にかかる東海道の関所から関所まで……そして中山道にも同様に、線路を広げていければと思っております」

「ふむ。それなら出資者を募るのもいいな。最近は徳川様もやっているらしい」

「いっそ、我が藩だけにとどまらず、周辺の藩にも技術を提供してはいかがかな」

「それはいい。上様もきっとお喜びになるだろう」


 各々が上機嫌で語る中、直惟も口を開いた。


「これで参勤交代も楽になるな」


 その時、全員がぎょっとする。アカネたちには何が何だか分からない。


「直惟様。そのようなことを申されては……」

「ああ、いや、違うぞ。別によからぬ事をたくらんだわけではない。井伊家は代々、徳川様に使える譜代である」


 その言葉に他意は無く、井伊家は本当に最後まで徳川幕府の味方であり続けた。

 それが歴史を変える転換点での引き金になるのは、あと百二十余年ほど後の事であり、アカネや久平次が知る由もない時代である。

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