第41話 代掻き

 コツをつかんできた茜は、すっかり立ち回りが上手くなった。鍬が進まなくなったら、無理に踏み込まず後ろへ跳ぶ。はじかれるようなら、上からしっかり踏む。自分が鍬の上でどう動くべきなのか、それを理解するのが早い。

 そして、兄貴衆も、


「えっ」

「ほっ」

「えっ」

「ほっ」

「あい」

「おう」


 アカネが掛け声を変えれば、兄貴も漕ぐ方向を変える。アカネが踏み心地を確認したら、また駆動をかけ直す。それらの動きは、とても滑らかに実現していた。

 もともと二人一組で駕籠を担ぐ者らだからこそ、この団結が出来たのかもしれない。


「いや、それにしてもアキアカネはすごいな」

「ああ。俺たちが半刻で脚を壊しちまうような重労働だ。それを平然と続けてやがるよ」


 すでに限界を迎えた兄貴たち二人は、まだ進むアカネを見て感心した。乗り手が疲れたら交代という決まりで作業を続けているが、アカネは前に乗って引くのも、後ろに乗って掻くのも両方やって、疲れが見えない。


「ほう、おぬしらの体力なら、どうにかなると思ったのだがな」


 後ろから久平次が話しかける。このところ気になっているようで、よく田んぼに様子を見に来るのだ。


「あ、久平次の旦那。どもっす」

「俺らの体力でもダメなもんはダメだね。とんでもないじゃじゃ馬を発明してくれたもんだよ」

「そうそう。俺ら、牛の代わりまでは果たせませんぜ」

「牛とアキアカネが釣り合うとはな」


 のんきに言う兄貴衆だったが、ふと思い出したように久平次に聞く。


「そういや、俺らの太郎吉は無事ですかい?」

「ん。ああ、変わりないぞ。牢で退屈と空腹を紛らわせているはずだ」


 そもそも、この太郎吉が牛とぶつかったことに端を発する今回の事態。駕籠屋が心配しているのは主に彼の安否だった。




 ある日、久平次が田んぼを訪ねると、アカネが楽しそうに田んぼを耕していた。いや、それはもう見慣れた光景なのだ。見慣れないのはここからである。


「おお、アカネと……見ない顔だな。そちらは?」

「お、久平次の旦那。へへへへ。聞いてくれよ。アタイらが楽しく代掻きしてたらさ。この連中がやってみたいって言い出してよ」

「この連中?」

「ああ。その辺を歩いていた農民とか町民とかだよ。せっかくだから乗り方を教えて、一往復ずつやらせてんだ」


 どうやら、物珍しさにつられて、遊び感覚で来た者たちがいるらしい。


「やれやれ。かなわんな。駕籠屋だけで引き受けたのではないのか?」

「引き受けたのは駕籠屋さ。そして手伝いを申し出たのは、この人たちの勝手だろ」

「まあ、そうだな」


 何となく彼らの気持ちも分かる。アカネの笑顔を見ていると、なんだか自分たちもやってみたくなるのだ。

 思えば、いつだってアカネはそうだった。何があろうと、どうなろうと、いつも笑っているか、怒ったと思えばすぐに機嫌を直すか。

 この命さえ軽い時代に、アカネはいつだって生きている間を謳歌していた。人生五十年――よりは実際長いと思うのだが――その間をずっと旅して、ずっと新しいことに挑んで、ずっと笑っているのかもしれない。






「……では、約束通り太郎吉を放免とする」


 代掻きが終わったことを報告しに、組合長と共に奉行所を訪ねたアカネたち。すると奉行は、本当にすぐ太郎吉を放免した。あまりにあっさりしていたので、アカネたちからすれば夢でも見ていたかのような時間だった。


「太郎吉の兄貴。よかったな」

「ああ、アキアカネ。ありがとうよ。……それと組合長。すまねぇ」

「代わりに嬢ちゃんが頑張ってくれたよ。恨み言は無しだね。ただ、気を付けて往来してくれよ。今度は救えないかもしれない」

「へい」


 放免された太郎吉は、身元引受人であるアカネに連れられて帰る事となった。あらゆる一件が落着した瞬間である。


「ありがとうよ。アキアカネ」

「ん。気にすんなよ兄貴。また釣りの仕方とか教えてくれ」

「そうだな。……うん」


 ……何となく、だ。

 何となく、アカネはわざと速度を落とし、ゆっくりと陸舟車を走らせていた。獄中から出てきた太郎吉に、少しでも長く、変わりゆく街並みを楽しんでほしくて。


「ほら。あれ見てくれよ。兄貴」

「ん? おお、あの人すごいな。陸舟車で田んぼを走ってる」

「アタイらは、あれで鍬を引いて代掻きしたんだ。今度は小さな船を引いて、苗代を植えているらしい」


 この発明が、もしかしたら日の本に産業革命をもたらすかもしれない。時代は動き、より早く、より効率的に儲かる仕組みが出来上がるのかもしれない。

 だとしても……


「アタイは、こうしてのんびり話しながら、ゆっくり走るのが好きだな」

「ん?」

「ああ、いや……何でもないさ」


 速さだけが正義じゃないし、金儲けだけが幸せでもない。などと言えば、女将から怒られそうなものだが、あいにく女将は今ごろ留守番だ。そろばんをはじいてる最中だろう。


「時間はたっぷり用意したんでね。兄貴、団子を食いに行こうぜ。寄り道だ」

「お、いいね。アキアカネのおごりかい?」

「兄貴のおごりだよ。立て替えておくから、払いは帰ってからよろしくな」


 走っていると小腹が空き、その小腹を外で満たすのが楽しくなる。

 それもまた陸舟車と、この時代の楽しみだった。

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