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お疲れ様です

古城ろっくです。こんにちは。

えー、じわじわと応援を頂いている、この『江戸ちゃり発明道中』という作品、みなさまは御覧になってくださいましたか?
この度、ひとまず第一章は完結しまして、次回から第二章が始まる予定ですので、その後報告をさせてください。

https://kakuyomu.jp/works/16818093084640783665/episodes/16818093084645501293

連休中は急ピッチで連載しておりましたが、今後は一週間ほど、毎日投稿で様子を見ようと思っております。
歴史に関しては知識不足で、ネットで調べた程度の知識でなんとか形にしている僕ですが、読者の皆様からの声援やご指摘など頂けるとありがたいです。



って型にハマった挨拶はさておき、

さて、本題。
これ書いてて思ったんだけどさ。僕の中で良くも悪くも『古城ろっく作品ってこんな感じ』ってのが形作られている気がするんだよね。
大体どの枠でどんなジャンルの作品を書いても、作者の意識的な部分とは別に癖みたいなのが出てくる。
僕の場合は……

・コントみたいな会話をどこかに挿入したがる。
・メカ語り始めると長くなる。
・空想科学でそれっぽいところまで行ったら、その先は化学考証よりも感覚の話にシフトする(左手は添えるだけ、みたいな)。
・男女問わず登場人物を無駄に脱がせたがる。
・三人称であってもナレーションに自我を持たせたがる。
・キャラクター使いまわし疑惑。

くらいの自覚は出てきた。
作風の固定はよくない兆候なのだろうか?
あと、僕がまだ自覚していない癖とかあるのだろうか?
うーむ……

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