陸舟列車

第22話 勅命

 井伊いい 直惟なおのぶは、若くして井伊家の家督を継ぎ、この彦根藩の藩主を務める偉大な人物である。

 歳は久平次より四つ下だが、その顔は久平次より老けて見えた。一見すると平和な彦根藩は、ひとえに井伊家の力があってこそ平和を保っていると言える。その心労は想像を絶するものなのだろう。

 しかし、彼は顔に似合わず気さくで、心優しい人物であった。


「久平次よ。最近は面白い物を作っているようだな。その、りくしゅうしゃ……と言ったか?」

「はい。新製陸舟車しんせいりくしゅうしゃと、名付けております。その開発の件に関しましては、何度も休暇を頂きまして、申し訳ございません」


 彦根城に呼び出された久平次は、いつになく良い姿勢を保っていた。いつもの平服とは違い、しっかり肩衣かたぎぬをつけたかみしもを着ている。こうしてみれば、いかにも武士といった風貌だ。

 そんな久平次に、直惟は笑みを見せた。


「いやいや、よいのだ。城下が盛り上がれば、民にも活力がみなぎる。笑って生きても泣いて生きても五十年。余は多くの笑顔に囲まれて生きたい」

「寛大な慈悲、痛み入ります。……それで、拙者を呼びつけた用事とは、その陸舟車の関係でございましょうか?」

「うむ」


 真剣な顔つきになった直惟が、袂から巻物を取り出す。丁重に受け取って広げてみれば、それは街道の再整備について書かれたものだった。


「徳川様の……上様からの勅命ですか?」

「左様。東海道とうかいどう中山道なかせんどうの両方を整備し直すゆえ、当該の各藩は協力せよとのお達しだ。まあ、別に宿場や関所を増やせと言うわけではない。例年であれば、程よく道をならして終わりだろう」


 例年であれば、という奇妙な言い回しを、久平次は聞き逃さなかった。


「まさか、陸舟車の行動範囲を、東海道や中山道の全域に広める気ですか?」

「我が藩の手が届くところだけ、な。いくら素晴らしい発明といえども、道に凹凸あらば車輪は回るまい。そこで街道を平らにしてしまうのよ。さすれば多くの人を運べるだろう」


 それでは駕籠屋が廃業する……と言いたいところだったが、そもそも陸舟車を多数扱っているのは駕籠屋である。その活躍の場が増えるのなら、彼らは喜んで陸舟車を走らせるだろう。

 特に、アカネが喜ぶ顔は簡単に思い浮かぶ。


「しかし、採算が合わない可能性もありますが……」

「それよそれ。余にはその陸舟車とやらが、どれほどの道を走れるのか分からぬ。だからこそ、作った本人であるおぬしに意見を求めているのだ」

「は、はい。分かりました。予算を算出し、近日には提出します」


 これほどの期待をかけられれば、久平次も断りにくい。あとはもう、どういった設計をするかが問題である。






 一方で、陸舟車による人の移送は、そこそこ進んでいた。まだ大半の街道は、車輪が使えるような整備をされていない。それでも中山道は、おおむね走れないこともない場所が多かった。これは大名行列に乗り物を使っているためだろう。

 もちろん、アカネも仕事に精を出していた。物珍しさから乗りたいと申し出る旅客は多く、その人の話を聞きながらの旅は、アカネにとって至高の楽しみだった。


 とある宿場町でのことだ。アカネがひと仕事を終えて、近くの温泉に浸かっている間に、陸舟車に近付く老人がいた。


「ほう……これは」


 顔を覆い隠すように、髭と眉毛を長く伸ばした老人だ。その老人は興味深そうに陸舟車を眺めると、すっと寄りかかって中を覗いた。


「爺さん。アタイの陸舟車に何か用かい?」


 後ろから、アカネが声をかけた。先ほどまで温泉にいたせいで、体からは湯気が立ち上っている。いつもの法被は丸めて手に持ったまま、サラシと半股引だけの恰好だ。


「おお、これは小僧の陸舟車か。奇妙な網が張ってあるようだな」

「その網に客を座らせるのさ。硬い腰かけだと腰が痛くなるからな」

「ほう……ではこれは、客を乗せられるのじゃな」

「当然だぜ。ここらじゃ有名な駕籠者、アキアカネのおあけとはアタイのことだ。爺さんも乗ってくかい? 彦根城の方面なら送ってくよ」

「アカネ……」

「ん?」


 その老人は、アカネの顔を覗き込むように見る。身長差で言えばアカネの方がやや上なので、下から覗き込まれるような格好だ。

 続いて、ぐるぐると回るように全身を見られる。老体にしては動きが素早い。


「ふむ……おぬし、さては――」

「な、なんだよ?」

「さては――女じゃな」

「別に隠してねぇよ! つーかどっからどう見ても女だろ。こんだけ肌さらしてて男に間違えられてたまるか!」

「いや、すまぬ。何の膨らみも見られなんだ」

「少しは膨らんでるよ! サラシがあるから見えないだけだろ。ほら触れ。そしたら分かるだろ」

「ふむ……」

「あっ、やっぱり触らないで。くすぐったい」

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