第2話 久平次という男

 久平次は最近、妙な発明品の噂を耳にしていた。水の上ではなく丘を進む船が、江戸に出来たとかいうのだ。

 発明好きの久平次はこれを聞いて、いてもたってもいられず江戸に乗り込んだ。


「それで、どうだったんですか?」


 自分の屋敷に戻って来た久平次は、まず真っ先に妻からそう訊ねられた。


「うむ。まあ、収穫はあった。どうやらそれを作ったのは、武蔵国むさしのくにの農民だそうだ」

「それで?」

「それで、だな。しばらく暇をもらって、武蔵国に行こうかと……」


 と、なんともバツの悪い顔で言う。それもそのはず。長期休暇ならついさっき満喫したばかりなのだ。それで江戸まで行って、また今度は武蔵国へ……さすがに怒られても文句は言えない。


直惟なおのぶ様も心配しておりましたよ」


 井伊直惟といえば、この彦根藩の藩主だ。心配と言えば聞こえはいいが、勤めを果たせとの催促に違いあるまい。


「おお、井伊家で思い出した。帰りの駕籠に乗った時、駕籠者かごのもの女子おなごと会ったのだ。いやー、あれは男よりも男らしい女子でな。かの井伊直虎様は、もしかしたらあのような御仁であったかと――」

「話をそらさないでください」

「――うむ」


 久平次の妻もまた、直虎より武将らしい女性だった。

 久平次も武士としてこの世に生を受けて三十六年。武術においては今が全盛期であろうが、それでも妻には勝てる気がしない。


「あ、頭を冷やして参る。では――」

「あ、久平次さん!……もう。逃げ足の速いこと」





 すっかり夜も更けていた。久平次は羽織を肩にひっかけて、提灯を片手に町へと繰り出す。


(今宵は星がきれいだな。もし直惟様に会えるなら、エゲレス製の望遠鏡をまた覗かせてもらいたいものだが……)


 さんざん仕事を放棄して遊び歩いた挙句、手土産もなしに押しかけ、また休みを頂きたいとほざいたその口で、天体望遠鏡を貸してほしいとは、


(さすがに言えんなぁ)


 生えかけた顎ひげを気にしながら、夜道をひたすら歩く。向かう先などないが、求めるものはあった。晩飯だ。





「へい、お待ち」


 こんな夜中でも、蕎麦の屋台はあるものだ。こちらのかけ蕎麦はつゆが薄く、それでいて出汁が効いている。蕎麦は江戸が本場だと聞いているが、彦根の蕎麦もなかなかだ。

 夏でも夜は冷える。風で冷えた体に、温かい蕎麦が染みる。江戸ほど店は多くないので、探すのは苦労した。


「美味い」

「でしょ。お侍さん、味が分かってるね」


 自分よりやや年下だろう、三十くらいの蕎麦屋に偉そうに言われると、少しだけ引っかかる。しかし蕎麦打ちの腕は確かなのだから、歳に関係なく得意げになるのも無理はない。

 と、そこに、


「おやじ、蕎麦ひとつ」


 アカネもやってきた。


「おお。アカネか。また会ったな」

「なんだよ。久平次の旦那か。そういやこの辺に住んでんだっけ?」

「ああ。アカネの家もこの辺か?」

「いや、アタイは別な仕事で近くまで来て、この宿場で一晩泊まってんのさ。明日には帰るか、もしくは他の客をつかまえて、もうひと稼ぎだぜ」


 法被はっぴを羽織っただけのアカネは、素足で地面を蹴って見せた。先日会ったときと違い、脚絆きゃはん足袋たび草鞋わらじもない。仕事中とは違う、平時の恰好なのだろう。


「宿で飯は食わなかったのか?」

「食ったけど、全然足りないんだ。だから客から貰った駄賃を使って、こうして蕎麦を食いに来たってわけ」

「駄賃?」

「ああ。アタイくらいの女が駕籠者なんて、物珍しいだろ。だから時々お駄賃を貰えるわけだ」


 なるほど世渡り上手である。それを聞くと、彼女に駕籠など似合わないと思っていた自分が馬鹿らしくなる。似つかわしくないのも使いようによっては稼ぎになるのだ。






 気づけば久平次は、アカネにいろんなことを話してしまっていた。


「え? それでその……カラクリ船を見に、また江戸まで?」

「いや、武蔵国までだ」

「さほど変わらねーだろ。変な趣味してんなー。旦那」

「そうか?」


 いま久平次を惹きつけてやまないのは、地面を走る船だ。これがどのようなものか定かではないが、だからこそ発明家の血が騒ぐ。


「前の江戸での一件で、実在することまで確かめたのだ。また現地に行きたい」

「飛脚か何かに頼んで、調べてもらうだけじゃダメなのか?」

「うむ。実物を見たいのだ。人伝ひとづての情報では、拙者が知りたい部分と、その者が見定めてきた部分が違う可能性がある」

「そんなもんか?」

「そうだな……例えば」


 と、久平次は近くにあった花を指さした。


「これについて知りたいと、誰かから頼まれたとしよう。アカネ。お前はこれをどう伝える?」

「え?……うーん。赤くて、小さくて、花びらの多い花だったぜ。って感じか」

「拙者は今、花の話だとは言っておらぬ。葉かもしれぬし、根かもしれぬぞ」

「あ」

「船も同じよ。地を這う船があった時、拙者の使いは『本当に船の形かどうか』『どのように地面を進ませるのか』を調べてくるだろう。しかし拙者が本当に見たいのは、その中よ。『そのようにした時にどこに作用し、なぜ進むのか』を知りたいのだ」

「そっか。アタイも考えつかなかったなぁ」


 迷うアカネに、久平次は言う。


「アカネよ。ひとつ……いや、ふたつ、頼まれてくれないか?」

「なんだよ?」

「まずひとつ目だ。拙者がその面妖な船を作ったときは、アカネがその船に乗ってくれ」

「アタイでよければ」

「よかった。して、ふたつ目だ」

「おう……」


 久平次は、にやりと笑っていった。三十半ばの歳なのに、少年のような笑い方をする。


「アカネ。拙者と共に武蔵国に行こう」

「はぁ?」

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