第3話 旅の始まり
蕎麦屋でのやりとりから数日後。アカネたちは駕籠を担ぎ、武蔵国へと向かっていた。もちろん本当に武蔵国まで送るわけではない。途中の宿場町で交代の予定だ。
「えっ」
「ほっ」
「えっ」
「ほっ」
久平次の旅に同行するのは五名。うち四名は駕籠者である。駕籠そのものは二人いれば担げるが、ずっと走り続けるためには、交代制で休憩する必要がある。残りの一名は用心棒だ。
「ずいぶんと用心深いものだねぇ」
と、駕籠者の一人が言った。
「俺たちだって力自慢だ。用心棒の先生がどれほど強いか知らんが、いてもいなくても出番はねぇや」
「そーだそーだ。国に帰ってもいいんだぜ」
と、冷やかす男たちだったが、次の瞬間に足を止める。頭に巻いていたほっかむりが落ちた……いや、切られたのだ。
「拙者に言わせれば、駕籠担ぎの下郎こそ、一人減っても構わんのだぞ。誰から減らされたい」
「い、いやー……用心棒の旦那、冗談でやんす」
「さ、さささ、さすがにございます」
「ご勘弁くだせぇ」
「ふん」
用心棒は刀を収めると、それっきり何も話さなくなった。元来、無口な男であるらしい。
(やれやれ……)
久平次は駕籠に揺られながら、始まったばかりの旅に不安を抱えていた。見ての通りだが、駕籠者など大半が荒くれ物で、大した教育も受けていない。礼儀からほど遠い者たちだった。
それは用心棒も同じだろう。仮にも武士の端くれなので礼節はわきまえているが、仕事がら気が立っている。腕がたつという理由だけで浪人を雇ったが、失敗したかもしれない。
「よし、そろそろ交代しようぜ」
アカネがそう言い出した。乱雑な総髪にほっかむりを被っただけの姿は、まあアカネらしいとは思ったが、あまり女らしいとは言えない。まして年頃の娘だと考えればなおさらだ。幼子ならまだしも。
「よっしゃ交代だ。アカネ。お前がそっち持て。俺が後ろを持つ」
「親分が休憩するんじゃないのか?」
「俺ももう少しやるよ。与助。お前が休め」
「へい」
この旅で、久平次が気づいたことがある。
まず、アカネは思ったよりずっと積極的に働く。交代を申し出る回数も多く、少しでも長く駕籠を担ぎたがる。
「よし、行くぜ」
そして……これは出会ったときから気になっていたのだが、担ぎ方が独特だ。
アカネの身の丈では、駕籠の担ぎ棒に肩が届かない。そのため彼女が担ぐときだけは、特殊な道具を使う。この道具は久平次の興味をそそった。
「ほう。見事な……」
三角形の、小さな
すると、アカネの両肩に櫓の棒が当たる。ちょうど両肩で担ぐような形になるのだ。あとはアカネの頭上を通る梁に、駕籠についている本来の担ぎ棒を乗せる。
アカネは頭の上で駕籠の担ぎ棒を支えるのだ。もっとも、重さは両肩にそれぞれ分散される形なので、首には負担がかからない。
「そうまでしてアカネが駕籠を担ぐのは、何か理由があるのか?」
「ん?」
「いや、おかしな話だな。……頼んでおいてこういうのも変な話だが、アカネは年頃の娘だろう。こうまでして駕籠を担がなくても、嫁入りするなり奉公に出るなり、それこそ駕籠屋の店番をするなり、何かあったのではないか?」
久平次が問うと、男衆も口々に言った。
「そーだそーだ。旦那、よく言った」
「飯を炊け。店を掃除しろ」
「いつでも嫁に行っていいんだからな」
言いたい放題の連中に、アカネは「黙れ」と一喝する。
「アタイは駕籠が好きなんだよ。どこにでも行けるし、いろんなものが見れるだろ。それに……」
「それに?」
「嫁の貰い手なんかねぇや」
アカネがそういうと、周囲から笑い声がどっと聞こえた。男衆だけではない。先ほどまで声を出さなかった用心棒まで笑い始める。
「てめぇら覚えとけよ」
「ついたぜ旦那。宿場町だ」
「おお、早かったな。馬より速いのではないか?」
十里(約40km)もあった道のりを、アカネたちは半日ほどで走り切っていた。ちなみに馬より速いというのはあながち間違いでもない。人間は長い距離を走るとき、意外にも他の動物より優れた能力を持っていた。
「さて、拙者はこの宿場に一晩逗留し、次の駕籠を探すか。本当なら、アカネを連れていきたかったのだが、な」
「何でアタイにこだわんだよ」
「面白いからだ」
「なんだそれ」
とはいえ、アカネにも仕事がある。それに次の関所くらいなら久平次の権力も及ぶが、その先の関所まで頼みを聞いてくれるかは分からない。
「アカネたちは、これからどうする?」
「まあ、カラの駕籠を背負っても銭にならないからな。この宿場で客を探すよ。運が良ければ今日中にも見つかるだろ」
「これから暗くなるぞ」
「行灯があるさ。それに、アタイは夜目が効くんだよ。あれ? 言ってなかったっけ」
「初耳だ」
二人で顔を見合わせて、それから笑い出す。このアカネと一緒にいると、本当に笑顔が絶えない。道中で退屈しなかったのも、十割アカネのおかげだ。
「では、また会おう。アカネ」
「おうよ。帰りに見かけたら使ってくれ。料金は負からないけどな」
太陽のように笑い、風のように駆けていく彼女は、あっという間に町の向こうへと消えてしまった。
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