第4話 ご隠居


 それから四日が過ぎ、久平次は武蔵国の児玉郡までたどり着いていた。


「よもや、五日かからぬとは」


 路面の整備や、担ぎ手の工夫、それから駕籠そのものの作りなど、非常に細かいところは、時代とともに変化している。

 その変化は目で見れば小さなものかもしれないが、実際に駕籠を担げば大きな違いが生まれるのだった。

 急ぎの旅ではないため、宿場などで逗留してのんびりしていたつもりの久平次だが、それでも思ったより早く到着してしまった。




「丘を走る船? それなら庄田さんとこのご隠居だよ。もう七十を超えるご老人だ。最近はボケてるがね」

「かたじけない」


 よそ者の久平次にも、村の者は親切にしてくれた。何でもこの村に人が来るのは珍しくなく、来てくれた皆が気のいい旅行者だったのだとか。


(拙者も、失礼のないように振舞わねばな)


 旅行者が村を大切にするなら、村も旅行者を大切にする。自分より先に来た旅行者たちに感謝しながら、同時に、その風習を自分で終わらせるわけにはいかないと、久平次は心に誓った。




「失礼いたします。拙者は近江彦根藩おうみひこねはんの藩士、平石久平次時光ひらいしくへいじときみつと申す者。ここに、発明家の庄田しょうだ 門弥もんやという方がおられると聞きました。お話を伺いたい」


 彼が訪ねたのは、田畑の中にポツンとたたずむ家だった。住むにはさほど不自由しないだろうが、あまり大きくはない家だ。


「おや、お客さんかね?」


 奥から出てきたのは、これまたとても小さな老人だった。老人は下駄をカラコロと鳴らし、白い髭をさすりながら出てくる。


「庄田門弥さん、ですか?」

「違うのぉ。そいつはワシの息子じゃ。かーっかっか。くっくっく」


 大きな口を開けて笑う。その歯は数本ほどしか残っていなかった。長い眉毛に遮られた視線は、どこを見ているのかわからない。


「息子さんは、どちらに?」

「さあ、のう。吉次と川に遊びに行くと言っておったか、それともお菊さんと茶屋であいびきだったか」


 前者はまるで幼い子供のような予定で、後者は年頃の若者みたいな予定だ。しかし目の前にいる老人の息子だとすれば、とっくに成人していい歳だろう。話がちぐはぐになってきた。


「ご老人、失礼します」


 断りを入れて、家の中を覗き込む。棚には箸やら椀やらが一組。つまり一人暮らしの可能性が高い。


「失礼ながら、息子さんはどこに?」

「おお、息子の門弥なら、出かけておるよ」

「この家には、おひとりで?」

「そうじゃな。長らく一人暮らしじゃ」

「息子さんは、どちらに?」

「出かけておるよ。山に洗濯に行ったんだか、川に芝刈りだったか……」


 どちらも先ほど言っていた用事と違う。


「それよりおぬし、この村の者ではないな。何をしに、こんな村へ?」

「ええ、庄田門弥さんが作った、地を進む船を拝見しに」

「地を進む船? ほう、門弥はそんなもんを作ったのか?」

「ご存じありませんか?」

「知らぬ。にわかには信じられん」


 そういいながら、老人は久平次の姿をまじまじと見た。久平次は何か足元を見られているんじゃないかと心配になった。もっとも、ここまで駕籠で来たのだ。足袋も下駄もさほど汚れてはいないが。


「お侍さんか。その船があったとして、何をする?」

「何を?」

「そうじゃな。大砲など積めば、陸を走る水軍を作れるな。多数の大砲を同時に運べれば、きっと戦にも一揆を抑え込むにも役立つだろう。逆に、一揆を起こすのにも使える」

「いえ、そのような使い方は望んでいないのですが」

「ん?」

「ですから、地を進む船があったとして、戦などに使うつもりはありません」

「……」


 老人は黙り込み、それから再び久平次を見た。眉毛の奥の視線が、確かに久平次の目を見た気がした。


「あんた、名前は何と言ったかな?」

「平石久平次と申します」

「ふむ。ワシは庄右衛門しょうえもんじゃ。よろしく久平次さん。で、名は何といったかな?」

「久平次です」

「そうそう。久平次さんじゃ。ワシは庄右衛門」


 自分の禿げ頭をぺちんと叩いた庄右衛門は、そのままくるりと背を向ける。


「入りなさい。泊まるところも決まってないんじゃろ。今夜はここに泊まるといい」

「かたじけない」

「かっかっかっか。くっくっく。そのうち門弥も帰ってくるわい」


 それは嘘だと、久平次は何となく思った。この家には庄右衛門の他に誰も住んでいない。おそらく隠居で厄介払いか、逆にこの老人だけを残して息子が引っ越したか、だろう。

 しかしこれ以上の聞き込みをするにしても、この老人が息子の居場所を思い出すのを待つにしても、今夜は休んだ方がいい。久平次は彼のすすめに従い、厄介になることを決めた。

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