第8話 土産話

「――というわけで、地を進む船……いや、陸舟車という乗り物は、やはり実在したんだ。大きさも速さも大したことはなかったが、これを拙者は強くできると踏んでいる」

「ほう。考えがあるみたいだな」


 アカネはその話を、興味津々に聞いていた。久平次の話は決して短くはなかったが、その間にアカネは何度もうなづき、時に驚き、程よく先を読んで言葉を重ねてくる。話をしていて気分がいい。


「車輪が船の外側についているってことは、足は船を跨ぐ形になるのか? こんなふうに」


 アカネが脚をいっぱいに広げて立つ。なんとも滑稽な姿だ。


「いや、そうではない。左右の車輪は軸で繋がっていて、足で踏む水車のような部分は船の中に納まっているのだ。あと、ずいぶん関節が柔らかいのだな」

「へへへ。これだけは生まれつきなのさ。こんなに開くぜ」

「おお、両脚がまっすぐ開くとは……これは見事だ」

「だろ? なかなかできる奴はいないんだ。しっかり見とけよ」


 その座り方のまま、アカネは話を戻す。


「で、そのりく……しゅう、しゃ? ってやつ、乗り心地はどうだった?」

「ああ、コツがいる。足さばきは梯子を上るような形になるのだが、ひとたび速度に乗ると速い動きが欲しくなる。細かくて、速くて、正確な動きだ。踏み外すと踏み板に足を潰される」

「怖いな」

「ああ。なのでそこは改善したい。まあ、アカネなら乗りこなせるかもな。あの駕籠を運ぶ時の足さばき――歩幅が半分しかない代わりに歩数を倍にするあの歩き方は、きっと陸舟車でも生きるはずだ」

「ああ、あれか。本当はアタイの歩幅も、もう少しあるんだけどさ。掛け声に合わせるなら、男衆のぴったり半分の歩幅にするか、完全に同じ歩幅にしないと呼吸が合わなくてさ」


 脚を大きく開いて座っていたアカネは、再び立ち上がる。こうして話しているだけなのに、じっとしてられない娘である。


「こんな感じの足さばきか?」


 ぱたぱたと足踏み。


「いや、違うな。もっと腰を入れて踏むんだ」


 負けじと立ち上がった久平次も、その場で足踏みを始めた。


「こうか?」

「腰を縦に振らず、横に回す感じだ。……そうそう。それだ」

「難しいな。あ、でも分かって来たぜ、旦那。普段の歩き方と逆だ。右脚を出すときは、左肩を出すんだ。左脚を出すときは右肩を出すといいかもしれない」

「なんと!? それは拙者も気づかなんだ」


 ちなみに、この国では歩くとき、右手と右足を一緒に出すのが普通だ。そうしないと着物が崩れるのである。


「おっととと……」


 先に転びかけたのは、久平次の方だった。足元が滑ったのだ。


「危ない」


 アカネがとっさに抱き留める。


「おお、すまぬ。拙者としたことが、恥ずかしい」

「別にいいけどよ。掴まるなら、もっとしっかり掴まりな。滑るぜ」

「かたじけない」


 温泉の効果か、お互いにすべすべ肌だ。たしかにしっかりしがみつかないと滑る。


「おい、二人とも、そんなところで踊るなよ」


 近くにいた男に注意されて、二人もはたと正気に戻る。他にもたくさんの人がいる場だ。確かにバタバタするのにはふさわしくない。


「おっと、そいつはすまねぇ」

「申し訳ない」


 二人は頭を下げてから、他の人にならって、おとなしく座った。




「ところで、アカネよ。駕籠者の仲間はどうした?」

「ああ、先に帰らせたよ」

「そうなのか」

「こっちまで来る客を乗せてきたんだけどさ。その客がしばらく湯治で泊まるっていうから、アタイも湯に浸かってから帰ろうと思ったんだ。仲間も誘ったんだけど、兄貴たちは先に帰るって言ってさ。カラの駕籠を担いで先に行っちまった」

「仕事はよいのか?」

「今回の分け前、アタイの取り分はいらないって伝えてある。その代わりに今日の仕事は全部休ませてもらったよ。たまにこういう休みがあってもいいもんだ」


 確かに、ゆっくり温泉に浸かって、身体を休めてから帰るものいいかもしれない。駕籠者とはそれほど過酷な仕事だ。無理をすれば稼げるかもしれないが、身体を壊しては元も子もない。


「ってことで、残念ながらアタイは今、駕籠を持ってないんだ。乗せてやれなくてごめんな」

「そうか。じつは拙者も、この温泉のせいで路銀が尽きてな」

「なんだよ。文無しか」

「ははは。そんなところだ」


 嘘だ。実際にはまだ金に困るほど使い込んではいない。ただ、久平次は提案した。


「アカネ。どうせ城下町まで帰るのだろう? せっかくだから一緒に行かぬか?」

「いいのか?」


 ぱぁっとアカネの表情が明るくなった。やはり一人で旅をするのは寂しいのか、それとも女としての不安もあるのか。……まあ、並みの男ではアカネを襲ったところで逃げられるだけだと思うが。


「では、決まりだな。拙者はそろそろ出るが、アカネはどうする? もう少し湯に浸かっていくか?」

「いや、アタイも行くよ」


 ざぱーん!

 アカネの方が先に上がり、さっさと手拭いで身体を拭く。やれやれ、本当に動きの速い娘だ。そう呆れながらも、久平次も続こうとした。

 そこで、他の温泉客に呼び止められる。


「おい、お侍さん」

「何用か?」

「あの娘っ子、あんたの子かい? だったらもっと厳しく躾けた方がいいよ。他の男も大勢いる中で、裸で大股開いたり、変な踊りを見せたり……嫁の貰い手がなくなるってもんだ」

「いや、別に拙者の子ではないのだが……」


 確かに娘と父親ほどの歳の差があるアカネを見て、久平次も思った。


「そなたの言う通りだな。あれは嫁の貰い手がなさそうだ」

「じゃあしっかり𠮟ってやれって」

「そうだな。叱るとするか」


 久平次はすぅっと息を吸い込むと、すでに建物の外に出ようとしているアカネに聞こえるように大声で叱る。


「アカネよ。服を忘れておるぞ!」

「え? あ、本当だ。どおりで涼しいわけだぜ。失敬」


 久平次はアカネを見て頭を抱えたが、隣の客は久平次を見て頭を抱えた。

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