第13話 新しい商売
「どうだ? アカネ」
「ああ、楽しいけどさ」
「けど?」
「……なんか、すごく注目されてるんだが」
それはそうだろう。こんなところに場違いな船(?)がやってきて、道を渡っているのだ。それに乗っているのが女の子であることも含めて、周囲の目を引く。
最初こそ皆が遠巻きに見ていたが、やがて距離は近づき、ついには話しかけてくる人も出てきた。
最初に声をかけてくれたのは、久平次も贔屓にしている呉服屋だった。
「おやおや、久平次の旦那。馬で引く荷車ですかな?」
「いや、これは荷車ではないし、拙者の馬は並んでいるだけで、これを引いてはいないのだ」
「へぇ。それじゃあこの車はどうやって動いてんですかい?」
「アタイが踏んで動かしてんのさ。地面に足を着かなくても、勝手に進むんだぜ」
「ほえー」
呉服屋はその仕組みに興味を持ったのだろう。船の中を覗き込み、アカネの足元まで食い入るように見る。アカネも自信満々に、裾を摘まみ上げて見せた。
「動かしてやろうか」
「見せてもらえるので?」
「おう。こうやるんだよ」
得意げなアカネが、わざとゆっくり足を動かした。それがどうやって動力を伝えているのか、それをじっくり見せるわけだ。
「はー、こいつはすげぇや。さぞ目立つでしょう」
「目立つよ」
「それじゃあ、今度うちの着物を着て走ってくれませんか?」
「いや、それは……アンタのとこの着物、仕立てもいいし生地もいいと聞くぜ。高いだろ」
「お代は結構でございます。ただ、お願いがひとつだけ。それをしてくれれば、むしろ私が銭を出したい」
「な、何さ?」
「うちの呉服屋の名前を張り付けて、その船で走り回ってくださいませんか。きっといい宣伝になります。お嬢さんのような別嬪さんが、うちの着物を着て、うちの名前を宣伝して回るんです」
アカネはその商売に、ぐっと興味を引かれた。ようは新手の宣伝屋だ。大道芸人のやる傾奇踊りのようなものである。
ちなみに、横で聞いていた久平次は『別嬪さん』のくだりから顔を伏せ、むせるように背を震わせていた。大笑いしないだけの気遣いはあるらしい。
「久平次様。うちの飯屋の宣伝もお願いします」
「そこのお嬢さん。髪結いに興味ないかい? そんなくくっただけの髪じゃなくて、もっと綺麗にしようよ」
「お侍さん。俺の
「そこの可憐な女子よ。うちの駕籠屋も宣伝……なんだアキアカネか。紛らわしい恰好してるから女かと思ったよ」
「アタイは女だよ兄貴!」
飯屋に髪結い、すし屋、茶屋やら飛脚やら問屋やら、果てにはアカネが勤めている駕籠屋にまで声をかけられる。まさかこんな形で繁盛するなど、久平次も考えなかった。
「どっと疲れたよ」
日も落ちてきて、アカネはようやく腰を下ろした。その頃になると久平次の馬はとっくに力尽き、途中からは馬無しで久平次だけが走っていたほどである。
その久平次もくたくたで、アカネと共に陸舟車に腰掛けている。その陸舟車だが、四方八方に張り紙だらけで、隙間が無くなっていた。元の形に輪をかけて正体不明の乗り物だ。
「これでは陸を進む船というより、陸を進む
ちなみに、チンドン屋や瓦版が流行り始めるのは、ここよりもう少し後の時代である。アカネたちの活動は、少しだけ時代を先取りしてしまった。
「すし、食うか?」
「いただこう」
すし屋に差し入れしてもらったすしを、半分に割って食う。
好みが分かれる独特な匂いが鼻をつく。この時期のすしはしっかり発酵しているので、酸味がきりっと効いていて、しかし重くまろやかな味わいだった。ねっとりとした食感が、その味を長く口の中に残す。
「美味い! 手で触ると、しばらく匂いが取れなくなるんだよな。でも美味い」
「アカネがすしも好きだとは、少し驚いた」
「甘い酒が欲しくなるね。まあ、最近はこっちに流れてこないって、兄貴たちが言ってたけどさ」
「ほう、まだ十四で酒の味まで分かるのか。拙者の屋敷にはまだ残っていたはずだ。今度、飲み比べるか」
遠い未来に読者からいろんな苦情が出そうなことを言う久平次。念のために言うが、彼は心優しく、年齢差があれど友人であれば酒をふるまい、徳川や井伊の法律はキッチリと守る男である。どちらかと言えば罪人を裁く立場の藩士なのだ。
「ところで、今日は陸舟車に乗ってみて、どうだった?」
襟を正した久平次が、改まって聞く。道中でどれほど彼女が楽しそうにしていたかは知っているので、いまさら『楽しかった』などという感想が欲しいわけではない。
「そうだな。足で踏む棒だけど、くるくる回って踏みにくい。ずっと踏んでると足がずれてくる」
「ふむ。それは困ったな」
「今日は下駄だったから、下駄の歯に引っかかってくれたけどな。いっそ陸舟車のための下駄があってもいいかもしれない」
「専用の下駄?」
「ああ。下駄の歯にくぼみでもつけて、そこに踏み棒がはまるようにするんだ。つま先側で踏んだ方が力が入るし、滑らかに動かせるから、そっちに寄せた方がいいな」
「そうか。拙者は足袋を滑らせながら回すことしか考えなかったよ」
そういう話が聞きたかったのだ。発明家はまず『不満』を求める。その不満を解消するからこそ、発明品をより高次元へと改良できるのだ。不満がないと言われてしまったら、それは改良の打ち止めになる。
久平次が『くだらない発明なら、くだらない発明なりに笑える』と言ったのは、これが理由だ。素晴らしい発明は改良できないが、くだらない発明なら改良できる。
「それと、人を乗せられたら楽しいだろうな」
「む?」
「やっぱ、久平次の旦那と一緒に街を回って思ったんだ。一人より二人の方が、旅は楽しいってさ」
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