第11話 そぞろ歩き

 たっぷり一刻ほど後、久平次は自分の屋敷へと向かっていた。もちろん、アカネを連れているはずである。

 そのはずなのだが、


(誰とも知らぬ人を連れてきた気がするのは、なぜなのだろう?)


 という不安が頭から離れない。

 隣には、履きなれない下駄を履き、着なれない小袖を着て、髪をふわりと纏めたアカネがいる。いや、これがアカネかどうかは分かりにくい。いつもの格好と違うのももちろんの事、所作も態度も違うのだ。


「あ、あのさ……」


 アカネがそっと口を開いた。消え入りそうなほど小さな声であり、また未だかつてない女らしい声音である。袖を引っ張られなければ気づかなかったかもしれない。


「どうした? アカネ」

「アタイ、これ、似合わないよな。その……隣とか歩いてて大丈夫か? もし恥ずかしいなら、アタイちょっと離れて歩くから」

「何を言うか。もっと自信を持て」


 あずき色の小袖と、ちょんと挿したかんざしは、別に高級なものではない。いかにも町娘といった風情のもので、たとえ農民でもこのくらいの飾り気がある者はたまにいる。

 それをアカネがやっているのが奇妙だが、黙っていれば可憐な娘にしか見えない。そして困ったことに、そういう日に限ってアカネは黙っているのだ。これでは可憐な娘だと言わざるを得ない。


「正直、裸より恥ずかしいぜ」

「うむ。その辺の趣向はアカネなんだな」

「今アタイを馬鹿にしたか?」

「アカネを馬鹿にしたかもしれんが、おあけさんを馬鹿にはしていないよ」

「どっちもアタイのはずなんだけどなぁ……」


 納得のいかない顔のアカネは、すっと顔を伏せる。


(いつもそのくらいの態度でいれば、きっと誰からも一発で好かれていただろう)


 と、久平次は思ったが、


(しかし、いつもその態度でいられてら、拙者はここまでアカネと仲良くできなかったかもな)


 とも思い、結局どちらも口に出さなかった。


「なあ、久平次の旦那。アンタが作ったその新製陸舟車ってのは、小袖で乗れるもんなのか? やっぱ半股引はんだこのほうがよかったんじゃないのか?」

「ああ、それか。実はな……小袖どころか、振袖でも乗れるものを目指した」


 久平次がいたずらっぽく言うと、アカネは驚き、喜び、飛びあがった。


「そうなのか。じゃあ、この格好で正解だな」

「うむ。それで駄目なら、拙者の開発に問題があったということだ。試験にはうってつけである」


 久平次がそういうと、アカネは嬉しそうに笑って、パタパタと駆け出した。久平次より小さい歩幅で、しかし久平次より先を行き、彼をせかす。


「じゃあ、早く行こうぜ。アタイ楽しみで仕方ないよ」

「やれやれ」


 やっとアカネと会えた気がした。




 それにしても、アカネの足運びは本当に見事なものである。小袖のせいで歩幅を出せないというのに、袴を穿いた久平次と同じ……いや、それ以上の速度で歩いている。

 単純な歩数のせいだろうと思っていた久平次だが、よく観察していれば少し違う。

例えば足の上げ方だが、路面の凹凸に合わせて最小限の動きにしているのだ。そのため彼女は遠くを見て、つねに先の路面を把握している。

 今日は草履ではなく下駄だったが、その下駄で歩幅を稼ぐため、足首をうまく使っているのも気づいた。もし高下駄などを履かせれば、もっと歩幅を出すだろう。

 何より、その上体が揺れていない。なるほどアカネの担ぐ籠が乗り心地良いのも納得である。武芸か舞踊の経験があるのかと思うほどだが、アカネの身の上を考えると独学だろう。


「なあ、久平次の旦那」

「どうした?」

「旦那はもう、その新製陸舟車を試したんだろう? アタイでも乗れそうか?」

「ああ、むしろアカネより乗りこなせる者など、この天下をくまなく探してもそういないだろう。もし江戸に売り込みに行くときは連れていきたいくらいだ」

「江戸かぁ。縁があったら一度は行ってみたいねぇ」


 本当に、走るのが好きな子だ。この子が駕籠者をやっているのは成り行きかもしれないが、走ることが好きなのは偽りないのだろう。前世は馬か、それとも鹿か。


「お、猫がいるぜ。迷い込んだのか? おーい、猫……うぁあ!」


 ドサッ!


 調子に乗ると転ぶのも相変わらないようだ。


「あ、アカネ。大丈夫か?」

「うーん……アタイは慣れてるけど、やべぇな。さっそく女将さんから借りた小袖が汚れちまった」

「それ、女将さんのだったのか?」

「正確には、女将さんの娘さんが昔使ってた物らしいぜ。汚して帰ったらすげー怒られる」

「ならば走らなければよかったのではないか? 拙者の屋敷は逃げないぞ」

「アタイは走ってないつもりなんだけどなぁ」


 どうやら能力がありすぎるのも考えもののようだ。

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