新製陸舟車
第10話 完成報告
ひと月が経ったころ、アカネは相変わらず駕籠を担ぎ、西へ東へと走り回っていた。
その日も朝から走り通しで、関所の前の宿場まで客を送り届けたところだ。その宿場で運よく戻りの客を見つけられたので、その客を乗せて城下まで戻って来た。
そして、昼の休憩をと思って、駕籠屋の店まで戻って来たところで、
「おお、アキアカネ。お前に来客だぞ」
と、駕籠屋の棟梁に言われた。
ちなみに棟梁は駕籠を担がない。駕籠者を雇って仕事をさせ、その賃金から八割ほどの売り上げを接収する代わりに、駕籠の依頼をとってくるのが仕事だ。
なので、アカネたちの収入は意外と少ない。分かりやすく言うなら、上司が八割の中抜きをするため、可処分所得が二割になるといったところか。
閑話休題。
「アタイに客?」
「うむ。何でも、アカネを借り受けたいそうだ」
「アタイをか。あと一人は誰だ? そっちの指名は無いのか?」
駕籠を担ぐなら、最低でも二人は必要になる。一人はアカネでいいとして、残りの一人は誰だろう、とアカネは気にした。
しかし、
「いや、アカネだけだ。ちなみに駕籠も要らんそうだぞ」
「あ? アタイに飛脚でもさせる気か?」
「知らんが、おそらく違うだろう。まあ、あとは客人と直接会って話してくれ。奥の間にいる」
そう言われて、アカネはいっそう首をかしげる。後ろで聞いていた兄貴分たちも首を傾げた。いずれにしても行くしかないと、奥の間へと向かう。
「おお、アカネ。待っていたぞ」
「なんだ。久平次の旦那じゃないか。久しぶりだな」
久平次と会うのも、じつに数日ぶりだ。すっかりご贔屓にしてもらっているが、ここ数日は呼ばれなかった。それもそのはずで、久平次もこの数日、自分の屋敷から出ていないのだ。
「で、どうしたんだい? 旦那」
「ああ、かねてよりの約束、果たせる時が来たのだ。なので迎えに来た」
「やくそく?」
すぐには思い出せなかったが、久平次とアカネは大切な約束をしていた。それをアカネも思い出す。
「ああ、あれか。『子供の作り方を教えてくれる』っていう約束」
ガタッ!
周囲で聞いていた男衆が立ち上がり、久平次を取り囲んだ。その殺気に対応して、久平次も反射的に脇差を抜く。
「久平次さんよ。うちのアキアカネに何を教えてくださるって?」
「残念だ。久平次の旦那には贔屓にしていただいた。本当に残念だ」
「駕籠で死体を運ぶのは久しぶりだぁ。山に穴を掘るのも久しぶりだぁ」
「お、落ち着け駕籠者よ。そもそも貴様らの教育不足のせいであろうが!」
あわや切り合いか殴り合いか、という事態になってから、アカネがのんきに話をつづけた。
「だって久平次の旦那、こないだ言ってただろ。『畳の目だけ数えても子供は出来ないよ』って。でも兄貴たちはそれで子供ができるっていうからさ」
「……」
「……」
「久平次の旦那。こっちの手落ちです。すみません」
「いや、拙者こそ軽率に刀を抜いてしまった。申し訳ない」
一言で戦を起こすような女を『傾国の美女』というらしいが、別に気が狂うほどの美女でなくても実現可能であるという、貴重な研究成果が得られた。
「それじゃないなら、約束ってのは何だ?」
「ああ、アカネよ。アレだよ」
「あれ?」
「陸舟車が出来たんだ」
それを聞いて、アカネは目を輝かせた。
「ついに出来たんだな。りくしゅーしゃ」
「うむ。改良に改良を加えて、庄右衛門さんの陸舟車を超えるものを作ったつもりだ。名を『
「いいな。名前は長い方が格好いいもんな。お侍さんも大体名前が長いもんな。
「うむ。そうであるか」
久平次は一度しか名乗ったことがないはずの自分の名前を、アカネが覚えていてくれたのを嬉しく思った。しかし自分はどうだろうか。
「アカネは、名を何というのだったか?」
「ん? アタイは
「そうであったな」
覚えていなかったのは恥ずかしい。たった二文字である。
「では、ゆくか」
「ああ」
久平次がアカネを連れて行こうとしたとき、店の奥から女性の声が聞こえた。
「ちょいと待ちな」
「げ。女将さん……」
やたら恰幅のいい女性が出てくる。
「誰だ?」
「あの人は、アタイらの駕籠屋を取り仕切る棟梁の、妻だよ。基本的には店に来ないんだけど、たまに来るとアタイらにいろいろ言っていくんだ。稼ぎが少ないとか、男のくせにアタイより稼がないのが情けないとか」
「アカネより稼ぐのは、男でも難しそうだな」
その女将さんが、
「話は聞かせてもらったよ。まずはお客さん、アンタが何をしようとしているのか知らないし、そっちは止めないけどね。お明に子供の作り方を教えるのはアタシだよ。男はすっこんでな」
「そうしていただけると、拙者としても大変助かる」
「それとお明!」
「あ、アタイか……はい」
アカネ自身、そう呼ばれるのが珍しいのだろう。反応が遅れる。
「アンタねぇ。女には着飾らなきゃいけない時が三つあるんだよ。何だかわかるかい?」
「いや、知らねぇ……です」
「教えてやるよ。まず惚れた男と会う時。次に大金持ちと会う時。そして大衆の前に立つ時。最後に、嫁入りする時だよ」
「四つあります」
「お黙り!」
「はいっ!」
アカネがまるで、嫁を前にした久平次のように縮こまっている。このような一面もあるのか、と久平次は驚いた。
「そういうわけだから、お明は一回アタシが預かるよ」
「し、しかし拙者は――」
「お客さん。アンタも男だろ。男には待つべき時が二つある。何だか分かるかい?」
「……主君を待つ時、戦で勝機を伺う時、星が巡りくる時、と存ずる」
「アタシが二つって言ったのに三つ答えたね! 十点満点中、十五点だよ!」
「そういうものでござるか!?」
言うが早いか、アカネは女将に手を引かれて、店の奥に引っ込んでいく。ピシャリと閉められた襖は、彦根城の石垣より難攻不落のような気がした。
「まあ、久平次の旦那。ああなったら待つしかねぇよ」
「茶のおかわり、いるか?」
ついさっき仲違いして仲直りした男衆が、久平次を気遣ってくれた。
「かたじけない」
「あのさ。女将さん。アタイに着物なんか着せてどうすんだよ?」
「馬鹿だねぇ。アンタこそ、その法被に半股引で行く気かい?」
「陸舟車っていうカラクリを見に行くんだよ。多分、身体を動かすんだぞ」
「ならこの着物をはだけて暴れな。お明のガザツさは魅せ方によっては武器だよ」
奥の間では、何やら真剣な話し合いが行われている。
「なあ、さっきの『女は着飾る時が三つか四つある』って話。アタイは別に久平次さんに惚れてるわけでも、久平次さんに嫁入りするわけでもないぞ。つーかあの旦那には嫁さんもいるし、たぶんアタイと同じくらいの息子もいるし」
アカネがそういうと、女将は笑った。
「だからだよ。言っただろ。『金持ちと会う時』も着飾るんだよ」
「なんでだよ?」
「お客さんにアンタと同じくらいの息子がいるなら、余計に気に入られておきな」
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