第37話 本能寺の変
祭りが終わるころには、喧嘩の内容が『各地でぶつかり合う』から『どうにかして駕籠屋の山車を壊す』に代わっていた。それも善戦むなしく、ほぼ全ての山車がアカネたちの手で葬られる形となった。
「そこまで!」
手を打った井伊直惟の声に合わせて、一斉に同心たちが声を張り上げる。直後、祭りは水を打ったように静まり返った。
「駕籠屋よ。見事な山車であった。今年の左義長祭り。汝らの功績を称え、褒美を取らす」
「や、やったぁ」
アカネが喜んだ。久平次も少し得意げに鼻を鳴らす。
(拙者の設計だし、当然の戦果だな。さすが拙者。稀代の発明家……ってな)
自画自賛する久平次だったが、対する直惟はため息をつき、眉をひそめた。
「しかし、それはそれとして、その山車……いや、陸舟車か。そちらは取り潰しとする」
「え?」
「なんと?」
驚くアカネと久平次。もちろん駕籠屋の皆も、先ほどまで駕籠屋を倒すために手を組んでいた町の人々も、豆鉄砲を食らったハトのような顔をしている。
そんな中、井伊直惟は淡々と告げる。祭りを見に来た見物客ではなく、この彦根藩を治める藩主として、
「この危険な発明は、一揆などのよからぬことに使われる可能性がある。駕籠屋がそれをすると言っているわけではない。模倣するものが現れれば、彦根藩……いや、近江は――もしかしたら日ノ本すべてが、覆されるかもしれん」
「あ、悪用なんかしないぜ」
「する者がいないとは限らん、と言ったのだ」
ぴしゃりと言った直惟は、さらに続けた。
「今後、陸舟車による山車は禁止。喧嘩祭りに使う山車は全て、車輪による駆動を禁ずる。なお、大型の陸舟車を作ることも禁じる」
仕方のないことだった。この国が戦乱に飲まれていた時代もあったのだ。あのような悲劇を繰り返さないことは、ひとまず徳川幕府が最低限保証する必要があった。
そして、楽しい時間は終わらない。
「さあ、祭りの総仕上げと行こう。皆、動けるものは手を貸すがよい」
ここから、近江八幡左義長まつりは延長戦だ。日も暮れてきたころだが、大きな催しが残っている。
それは、アカネたちの山車を破壊するというものだ。
「今日の恨みは今日のうちに晴らしてやる」
「ぶっ壊せ!」
「その辺の棒でも何でも持ってこい。叩き壊してやる」
「藩のご法度にかこつけて、やりたい放題だ!」
「えい、えい、おう!」
アカネたちの目の前で、駕籠屋の皆が作った山車は元の材木より細かく砕かれていく。特にそれを作るにあたって、一番張り切っていたのはアカネだった。
「あ、アタイの、安土城が……」
丁寧に木片を繋いで障子を貼った模型も、鮒だと馬鹿にされたシャチホコ飾りも、米や芋をたっぷり詰めた重石替わりの俵も、地に叩きつけられながら転がされる。
「火を放て! 焼き討ちだ」
「燃やせ。油でも藁でも持ってこい」
ついには町の外まで転がされた挙句、火の中に放り込まれてしまった。
「あ、アカネ。その……残念だったな」
久平次が話しかけると、アカネは表情ひとつ変えないまま、頬に涙だけ伝わせて呟いた。
「ぜひも、なし……」
ぱちぱちと燃える火の明かりが、アカネの顔を昼より明るく照らしている。その火の揺らめきのせいか、唇がわずかに震えているように見えた。
もしかしたら本能寺の変で焼かれた信長も、今のアカネみたいな顔をしていたのではないか。そんなことを考えると、久平次も何やら胸が痛むのだった。
ただ、それはそれとして、
「直惟様。せっかくですから、来年から山車を全て燃やして、祭りの終わりを飾りますか」
「おお、久平次よ。妙案だな。民もあれほど楽しそうにしているし、来年からは毎年やろう。……それにしても香ばしい香りだな」
「もしかしたら、あの山車の中に仕込んだ重りの芋かもしれません。焼けたら食べますか」
「いっそ神への奉納ということにしてもいいかもしれん」
こうして、左義長祭りの締めは山車を焼くことに決まったとか何とか――定かではない。
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