第35話 張り子のうつけ

 さっそくアカネが中心となって、姫君ではなく信長公の仮装をして練り歩くという計画が進められることとなった。アカネ的にはなぜか気分が乗っているらしい。


「久平次の旦那。あれはあれで面倒なことをしたな」


 駕籠屋の兄貴衆がこっそり耳打ちをした。


「どういうことだ?」

「そりゃ、男子おのこってのは誰でも織田信長おだのぶなが公には憧れるもんさ。そりゃ豊臣秀吉とよとみひでよし徳川家康とくがわいえやす柴田勝家しばたかついえなら迷う。そのうちの誰かを好きなら、別な誰かを嫌いなはずだ。でもどこの誰が好きでも、信長は嫌いにならん」

「そ、そういうものか?」


 かつて間違いなく男子だったはずの久平次だが、いささか合意しかねる。自分が主君と仰ぐ井伊氏が、桶狭間で信長に討たれた側だったからかもしれない。


「いや、待て。アカネは女子おなごだろう」

「あいつが女子なのは身体だけだろ。針仕事は出来ても駕籠担ぎの方が得意な女子がどこにいる。飯炊きをさせりゃ芋まで焦がし、毬を与えりゃ天井まで蹴り飛ばすような奴だぞ」

「ううむ……」

「ほら、今だって竹光を振りかざしてご満悦だ。さっさと表に連れて行かないと、天井が崩れるのも時間の問題だぞ」


 そのアカネだが、炭で塗った張り子の甲冑を着て、ご満悦の様子である。親分が持っていた紅染めの羽織は大きく、アカネが着ればまるで陣羽織のようだった。


「アカネよ。随分張り切っておるな」

「おお、久平次の旦那……コホン。久平次、大儀である」

「と、殿?」

「なーんてな。アタイ、結構似合うだろ?」


 そこそこ似合っているから困る。伝承では信長は女子のような男だったと聞くが、アカネは男のような女子なので釣り合いが取れているのだろう。


「アカネよ。月代さかやきでも作るか?」


 と、からかうつもり半分、少し冷や水をかけて冷静さを取り戻すつもり半分で言ってみた久平次だが、


「おお、旦那が抜いてくれるのかい? 痛そうだけど、頼むよ」

「いや、冗談だ」


 まさか乗ってくるとは思わなんだ。頭頂部がてろんてろんに禿げたアカネを想像して、それが妙に面白くなってしまった。

 それにしても、剃るより抜く方が先にくるあたり、覚悟が決まっているというか、腹が座っているというか。


「まあ、当日は兜をかぶるだろうから、髪はそのままでよかろう」

「おう。そうだな。信長公の兜飾りってどんななんだろうな。想像がつかないほど派手なんだろうな」


 楽しそうなアカネを眺めていると、まあいいかと思えてしまう久平次。もともとお祭りなど、そんなものかもしれない。

 無言でアカネを見守る久平次は、後ろから肩を叩かれて振り返った。先ほどの兄貴衆たちだ。


「久平次の旦那。ここまで焚きつけたんだから、責任を取ってもらいたい」

「え? 責任とな? 拙者が?」






 当日、多くの山車が近江八幡を練り歩く。いずれも車輪などを持たない、肩に担ぎ背負う形のものだ。大きさは人の身の丈の三倍いや四倍もあり、いずれも神聖とされる何かしらを模している。

 その中に、ひときわ大きな山車が参加してきた。珍しく多くの車輪を持ち、地を這うように進んでくる。それは……


「見ろ。駕籠屋だ」

「あの陸舟車の連中か。なんて大きな山車を作りやがったんだ」


 町の人々を動揺させる、駕籠屋の山車だ。


「あれは……安土城じゃないか?」

「本物を見たことはないが、きっと安土城だ。城が動いてやがる」

「あいつら、陸舟車に山車を乗せやがったんだ」

「おい待てぃ。いくらなんでも卑怯じゃないか」

「汚い。さすが駕籠屋汚い」


 畏怖と侮蔑、あるいはそれに似せた称賛と敬意を浴びて、駕籠屋の山車は進んでいく。それを陣頭指揮するのは、もちろんアカネだ。



 ちなみに久平次は、遠方から高みの見物である。車体は作ったし、義理は果たした。これ以上は手を貸せないし、手を貸して何かあれば責任を取らされかねない。

 というわけで久平次は、町中にある茶屋にて、藩主である井伊直惟いいなおのぶと共に祭りを見物しながら茶をすすっていた。


「久平次よ」

「はい。直惟様」

「此度の祭り、お前が駕籠屋に手を貸したという話を聞いたが?」

「……はて? 何のことか心当たりはありませぬ。あの山車であれば、きっと駕籠屋が勝手に拙者の陸舟車を真似たものと思います」


 そういうことにしておかないと、藩が贔屓をしたと思われる。実際したようなものであるため、余計に都合が悪い。


「それで、本当は?」

「……直惟様。今は祭りを楽しみましょうぞ」

「ううむ。そうか」


 初日はそれぞれの山車が練り歩くだけだ。これと言って問題は発生しないだろう。

 何かあるとすれば、それは次の日だった。

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