陸舟山車
第34話 姫君
厳しい寒さが終わり、雪解けの季節となった。一時期はアカネに貸していた雪舟車も、来年の冬まで出番が無くなる。
代わりに本来の陸舟車が出られる季節とあって、久平次は心躍るような気持だった。今日は久しぶりにアカネの操縦する陸舟車に、客として乗りたい気分だ。
「頼もう。アカネはいるか?」
いつも通り、すっかり慣れ親しんだ駕籠屋の戸を開ける。すると奥の方で、何やら声がした。
「アタイは嫌だって言ってんだよ」
「お前以外に誰がいるんだ」
「誰もいなくていいだろ」
「俺たちだってそう思ってるよ」
「じゃあなんで……」
「それが……」
アカネと、兄貴衆の声だ。ややあって、奥の襖が外れる。
「わぁっ!」
「きゃ」
どたん!
奥から出てきたのは、それはそれは綺麗な姫君だった。
「あ、久平次の旦那」
「……え? あ、アカネか?」
本気で分からなかった。馬子にも衣装という言葉があるが、その好例を見せられた気分だ。
「久平次の旦那。助けておくれ。アタイこんなの恥ずかしい」
「アカネに恥ずかしいの概念があったのだな」
「茶化さないでくれよ」
いつになく下がり眉で困り顔のアカネである。それもそのはず。本来の勝気な吊り眉は白粉で隠され、今の眉毛は筆で書かれている。目の下に差した頬紅も含めて、とてもしおらしい姿だ。
普段からこうなら嫁の貰い手もいただろう。というセリフを必死で飲みこんだ久平次は、ゆっくりと話を聞くことにした。もちろんアカネからも、その兄貴分からも、だ。
――それで、話は結構ややこしい。
ざっくりと内容を説明すると、初日は
二日目からは、その山車をぶつけ合わせる喧嘩祭りが始まる。豪華な装飾は鉄くずに代わり、美しい彫刻は木片となる。地獄の幕開けだ。
そのすさまじい祭りに、駕籠屋も参戦しようというのだ。それ自体は別にいい。アカネも困ってはいない。むしろ乗り気だ。
「で、アタイの役割が、な……」
練り歩く山車は、ただ強ければいいというものではない。勝ち負けよりも、記憶に残る華やかさと荘厳さを求められるのだ。そのうえで強ければ尚良し。
そこで、山車に乗る人なども現れる。人が乗ってこそ喧嘩神輿と言えるだろう。この役割は主役であると同時に、人柱のような存在でもある。
駕籠屋の用意した人柱は、アカネだった。兄貴たちはアカネを『姫君』として仮装させ、山車に乗せようというのだ。
「華やかな方がいいからね。女は武器だよ」
とは、駕籠屋の女将が言ったことだ。この女将あっての駕籠屋である。女将の意見に逆らえる者はいない。
アカネを覗いて……
「だから、アタイはやる気がないんだって。こんな綺麗で女の子っぽい恰好、アタイに似合うわけないだろ」
「おお、その自覚はあるのだな」
久平次が口を滑らせたが、女将はアカネを睨んだまま言う。
「アンタが男みたいな恰好してるのは、アンタの勝手だろ。誰かに似合わないって言われたのかい? アタシにいわせりゃ絶世の美女だよ」
「まあ、女将さんと比べれは、それは……」
またしても久平次が口を滑らせたが、二人の口論は止まらない。
「こんな格好で恥をさらすなら、素っ裸で股かっ開いて慰み者になった方がマシだ」
「意味わかって言ってんのかい小娘! 本当に全裸で開脚させて山車に縛り付けるよ」
「とにかく、アタイは嫌だ。こんな格好するくらいなら祭りには参加しない」
二人のやり取りを聞いていた久平次は、不思議に思った。別に山車に誰かを乗せなきゃいけない決まりはない。ならば兄貴たち男衆でどうにか代役を立てるか、もしくは本当に誰も乗せないまま参陣すればいいのではないか、と。
しかし、理由はきちんとある。
「よし! アンタが乗らないなら、アタシが乗るよ。今年はアタシが姫君だ」
「アタイはそれでいいよ」
「俺たちは絶対に嫌だよ!」
男たちの声が重なる。なるほど納得。女将を乗せるくらいならアカネに乗ってもらいたいというのが本音だろう。見た目の不快感で言っても、物理的な重量で言っても、駕籠屋の名誉のためを思っても、賢明な判断だ。
「で、どうすんだい?」
「頼む、アキアカネ」
「俺たちのために姫君になってくれ」
「明日の飯、俺の魚も食っていいから」
「俺のたくあんもやるから」
ついに追い詰められたアカネは、もう断ることが出来ないところまで来ていた。
(仕方ない)
久平次がすっと目を閉じ、独り言をつぶやく。
「そういえばこの祭り、かの
「え?」
今から百数十年も前の話になるが、本当らしい。派手好きで知られる信長が、この派手な祭りを気に入ったとの話もあるし、そもそも信長のせいで派手な祭りになったという説も残っている。
「姫君よりも、信長公の仮装を乗せてはどうだろう? 派手な
ちなみに、当の信長は女装して参加したらしいので、今のアカネに近い恰好だったと思うのだが、そこは伏せる。
「アカネが適任だと思うのだが、やってみないか? 信長公」
そう久平次が語ると、アカネは目を輝かせた。
「アタイが信長公……是非も無し」
「ん?」
久平次は知らなかった。アカネは信長が好きなことを……
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