第31話 追いかけっこ

「で、出来たぞ」


 久平次にかかれば、この程度の作業は造作もなかった。

 左右に四つずつ、前後に四段並べた十六輪の車輪。それらを久平次は、左右独立して動かせるようにしたのだ。

 変速歯車の応用である。右に曲がりたいときは、右側の車輪に繋がっている歯車を外し、車輪が動かないようにするのだ。そうすれば左の車輪だけ回転するので、右に方向を変えることが出来る。

 いちいち足で蹴って歯車を切り替えるのも手間なので、手元の持ち手で切り替えられるようにした。右に倒せば右側の歯車が外れ、左に倒せば左側の歯車が外れる仕組みだ。真っ直ぐに戻せば左右ともに歯車が入る。


「これならば方向を転換できる。陸舟車のように滑らかにはいかんが、雪の上を進む程度の遊びには十分だろう」


 とはいえ、この左右の回転差で旋回しようとすると、止まっている方の車輪と地面の間に大きな負担をかけるようだ。柔らかい雪の上なら、横滑りすることによって解消できる。しかし硬い地面の上だと、思ったようにいかないだろう。

 所詮、雪舟車は雪の上しか走れない。そういう運命だった。


「さて……」


 完成したからには、やるべきことがある。それは――


「アカネに見せてこようか」


 自慢だ。






「アカネなら今日は、朝から暇をとってるよ」


 駕籠屋の棟梁に告げられて、久平次は肩を落とした。これでは来た意味がない。

 見れば、陸舟車はそこにあった。この雪の中だ。徒歩の方が便利だと判断したのだろう。もともとアカネは脚力があるほうだから、余計に、だ。


「どこへ行くと言っていた?」

「ああ、呉服屋だよ。今年の冬は寒いから、半纏に綿を入れ直したいって言っててね。その綿を買いに行ったんだ」

「アカネが針仕事を?」

「意外と上手いんだよ。いま使ってる半纏だって、本人が毎年仕立て直して何年も使ってんだ。肩に継ぎ当てがあっただろ。あれもアカネがやってんだ」


 そう言われてみれば、アカネの半纏には両肩に継ぎ当てがあったかもしれない。


「かたじけない」

「あ、久平次の旦那。アカネを探すなら、駕籠に乗せてくぜ」

「気持ちはありがたいが、今日はこの雪舟車を見せるのが本題なのでな。これでなければ意味がないのだ」


 そう言い残し、久平次は颯爽と走り去ってしまった。駕籠屋の棟梁は「ちぇ、金も払わなきゃ、駕籠にも乗らないと来たか」と呟いた。当然だが、タダで乗せるつもりなど毛頭ない。




「すまない。この呉服屋に、アカネは来なかったか?」

「駕籠屋のアキアカネちゃんかい? 来たけど、ずいぶん前に出てったよ」

「どちらに?」

「確か、『腹減った』って言ってたね。あ、そうそう。その前にうどんの話をしてたんだ」

「うどん屋か。恩に着る」

「ちょいと、恩に着るより着物を着てってくれよ……ああ、まったく商売にならない客だね」




「うどん屋よ」

「へい。うどんですね」

「いや、アカネは来なかったか?」

「はて? 旦那がうどん食ってる間に思い出すかもしれませんね」


 商いが上手い者である。ちょうど久平次も、長らく雪舟車をこいでいて疲れた。


「うどんをひとつ」

「はいよ。あつあつの茹でたてを出すからね」

「ああ、早くしてくれ」


 言われなくても時間がかからないのが、うどんの利点だ。あっという間に湯につけると、さっと引き上げてつゆをかける。


「一丁お待ち」

「うむ。いただこう。ところで思い出したか?」

「ああ、アカネなら『うどん食ったら体があったまったから、冷ましてくる』って言ってたな」

「この雪の中で?」

「琵琶湖までひとっ走りって言ってたよ」


 まさかこの時期にまで水浴みをする者はいないだろう。久平次も当然そう思っていたので、櫓の見張り番もとっくに引き上げさせ、呉服預かりの小屋も閉鎖したはずだ。


「あの娘ならやりかねんか」




「アカネーっ!!」


 琵琶湖の向こうの高島に、お天道様が沈んでいく。彦根湾から呼びかけてみても、返事をする者は誰もいない。

 ただ、物言わぬ足跡だけがあった。誰も踏まない真っ白な雪に、そこだけ泥の汚れがついている。一つは琵琶湖に向かう跡。もう一つは琵琶湖から上がってくる跡だ。いずれも女子供の大きさで、足の指まで五本きちんと揃っていた。


「ふむ……この先は別な宿場町があったはずだ。確かそこに風呂屋もあったな。さては、寒くなって風呂に入ろうと思ったか。見破ったり!」


 そうと決まれば、その宿場だ。久平次はすぐに後を追う。




「アカネは来なかったか」

「ああ、アキアカネのお明かい? だったら来てるよ」

「よ、よかった」


 ついに追いついた。と同時に、久平次は二つほど驚きを隠せない。

 一つ目は、アカネの顔が広いことだ。どこに行っても『アカネは来なかったか?』で通じる。駕籠屋をしている女子というだけでも話題になるのだろうが、それ以上にあの人柄がそうさせるのだろう。あっぱれだ。

 それと、


「この雪舟車。ただの玩具程度だと思って開発したが、アカネの足に追いつけるとは――」


 アカネの脚力はよく知っている。ただでさえ速く、それでいて持久力もある。この雪の中ならなおさら、その差は常人からかけ離れるだろう。

 そんな恐ろしい化け物に――と形容するのをためらい、しかし他に言葉が思い当たらないので――化け物に追いついたのだ。絶大な成果と言える。


「それで、アカネはどこに?」

「そこの風呂屋さ。何でもこの時期に水浴みしてたら冷えたらしくてね」

「……」


 ここまで推理が当たると、嬉しさよりもアカネの心配の方が勝る。馬鹿な娘だと思っていたが、本当にここまでとは――

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