第16話 水浴び

 しばらくして、久平次はアカネと共に湖まで来ていた。


「もう出来たのか? 早いな」

「こういう仕事は得意でな。周囲からも驚かれるぞ」


 得意げに言う久平次だが、それはつまり普段の仕事が遅いから、相対的に驚かれるということだろう。武士の仕事などそう多くはないし急ぎでもないので、彼にとっては優先順位が低い。


「さて、これが水陸舟車だ」


 その名の通り、水陸両用を目指して作られた試作品。それが目の前にあった。見た目は前回の新製陸舟車と何も変わらないようである。


「ん? 車輪の内側に水車がついてるな」

「うむ。庄右衛門さんの陸舟車を見て思いついたのだ。車輪を回せば地を進める。では水車を回せは水を進めるのではないか、とな」

「水車って、水の流れで回るものだろ」

「それを脚の力で回せば、逆に水が流れるのよ。水を掬って流れを作る。名付けて掬流すくりゅうだな」


 得意げな久平次だが、アカネはそれ以前に気になることがある。この車体は車輪と踏み板が繋がっているので、やはり船体に穴が開いているのだ。


「そもそも進むかどうか以前に、これで浮くのか?」

「大丈夫だ。これは一見するとアカネが乗るところまで船の中に見えるかもしれないが、少し違う」

「ん?」

「ここまでが船の中で、アカネが乗るところは船の外だ。どちらも板で囲ったので、ひと繋ぎのように見えるが、な」


 陸舟車の前半分が船で、後ろ半分はただ水に浸かっても構わない操縦席。なので操縦席が底抜けでも、前半分の船底が抜けなければ沈まないという構造だという。

 もうひとつ、アカネは気になったことを言った。


「これ、濡れてないようだが?」

「それはそうだ。これから水に入るのだからな」

「つまり久平次の旦那は、まだ乗ってないってことか?」

「あ、ああ。一番初めにアカネに乗ってほしくてな」

「……」


 おかしい。

 久平次なら、まず真っ先に自分が乗るだろう。陸舟車を作ったときだって、アカネに見せる前に自分で試していたはずだ。


「よし、じゃあ乗ってみるか」


 法被を脱ぎ、サラシと半股引だけの恰好になったアカネが体をほぐす。


「おいおい。それではまるで、拙者の船が沈むと疑っているみたいではないか」

「実際に疑ってんだよ。法被は見張っててくれ。盗まれないようにな」


 沈むと分かっていても、行かなければならない時がある。アカネの流儀だ。自分が沈むことによって改善点が見つかるなら、恐れず舟をこぎ出せばいい。幸いにしてこの辺は浅く、足がつくことでも有名だった。


「行くぜ」


 陸を走るのはお得意だ。この辺は陸舟車と何も変わらない。

 そして、水の中へ。

 最初こそ沈みかけたが、アカネの足元が濡れたあたりで船が浮かび始める。ここまでは久平次の設計通りだ。足首まで水に浸かるのは織り込み済み。

 足が水に浸かると、車輪に取り付けた水車のような部分も水面に浸かる。これでいつもどおり車輪を回せば、前に進む仕組みだ。


「おお、すごいぜ。本当にうまくいった」

「アカネよ。乗り心地はどうだ?」

「ちょっと揺れが激しいけど、それでも浮いてる。これならどぼぼぼぼああああ!」


 ――ざぶん!


 船は後ろ向きにひっくり返り、アカネも投げ出されてしまった。

 一瞬だけ溺れそうになったアカネだが、すぐに足がつく深さだったことを思い出し、立ち上がって戻ってくる。


「おい」

「……はて?」


 睨みつけてくるアカネを無視して、久平次は首を傾げた。このひっくり返り方は、重心が偏ったときに起こる現象だ。アカネが乗っていたのは船の一番後ろ……厳密に言えば、船より後ろへはみ出た部分である。


「そうか。後ろだけが重いから、軽い船首が上を向くのだ」

「なら、船の前にも重さがかかってればいいってのか?」

「そうだ。何か重しになるようなものを探してみよう。大きな石などないか?」

「ん」


 アカネが指さす先には、久平次がいた。後ろに何かあるのかと、久平次は振り返る。そこには砂利と土しかない。


「ん」

「何もないぞ」

「旦那がいるじゃないか」

「……拙者か」


 しばしの逡巡があったが、久平次は平服を脱いだ。ふんどし一丁となって、船の真ん中に腰掛ける。


「もっと前に座らなくていいのか?」

「アカネと比べて、拙者の方が目方は上である。このくらいの場所が釣り合うのだ」

「天秤みたいなもんか。よし、それじゃあ行くぜ」


 今度は縦にひっくり返ることはなかった。

 ただ、横に転覆するだけである。






 たっぷりと時間が経ち、ついには日が沈みかけていた。湖の向こうに山が見える。その遠い山に、日が落ちていくのも見えた。


「あははははは。あははは」

「うふふふ。ふふふ」

「待てー。アカネよ」

「久平次さん、こっちだよ」


 きゃっきゃと愉快な声を上げ、お互いに水をかけあって遊ぶ、仲睦まじい男女が一組。


「ひゃんっ」

「おお、大丈夫か、アカネ」

「石を踏んづけた。でも水の中だから、怪我はないぜ」

「立てるか?」

「ありがとよ」


 久平次が差し出した手を、アカネは思いっきり引っ張った。


「わわわわっ」

「あはは。久平次の旦那。油断大敵だぜ」

「おのれ不意打ちとは卑怯なり。待てー」


 ざぶざぶと楽しそうに遊ぶ二人の傍らには、多数の材木の端切れが浮かんでいた。先ほどまで陸舟車だったものだ。

 度重なる転覆と、何度も船底を擦りつけて入水した損傷で、ついには中央から折れてしまったのだ。その勢いで後ろ半分の部品回りにも亀裂が入り、ついには部品ごとバラバラになった次第である。

 で、やけくそになった、と。


「水浴びは楽しいな。アカネよ」

「アタイの知ってる水浴びと違うけどな。湯治じゃないんだから全身浸かるやつがあるかよ」

「湯治か。いつぞやアカネと共に入った湯は、あれもあれで気持ちよかったな」


 夏場の暑さなら、こうして冷たい水に入って体を冷やすのも良い。もともと足をつけて涼をとる事はあったが、たまに魚のように泳ぐのも良いかもしれない。

 溺れた時が心配だが、それもこうして二人組で来れば問題ないだろう。片方が溺れたらもう片方が手を貸せばいいし、さほど深いところまでいかなければ足がつく。何より、川などと違って流れも安定している。


「そうだ。いいことを考えたぞ」


 発明家の久平次は、何かをひらめいた。

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