第20話 柔軟性

「たまに久平次の旦那に運んでもらうのも楽しいな」


 アカネは上機嫌で、陸舟車の前方に腰掛けていた。そこは本来、客が座るための席よりさらに前だ。

 いま二人が乗っている陸舟車は、琵琶湖の水面を進んでいる。つまり水の上に浮かんでいる状態だ。久平次とアカネの体重差を考えると、アカネがより端に乗った方が釣り合いが取れる。


「拙者は人を乗せるのは初めてだが、結構、大変だな」

「だろ。アタイは慣れたけどな」


 ちゃぷちゃぷ、と、アカネは素足を水面につけて遊ばせる。どうせ水上を進むときは足が濡れるので、足袋も脚絆も脱いできている。

 久平次も同じく、袴を脱いで乗っていた。つまりふんどし姿だ。足踏みに合わせて、白い前垂れが左右に揺れる。


「茜よ。そんなにこっちを振り返っても、面白いことなどないだろう」

「いやいや、久平次の旦那。今年で三十六だっけ? 引き締まったいい足腰だなと思ってさ。お侍さんにしておくには勿体ない。駕籠者でもやらないか?」

「武士とて足腰は鍛えるのだ。というか、わざわざ侍をやめて駕籠者になる者はいないだろ」

「あ、やっぱ久平次の旦那も、そう思うか?」

「ああ、いや、しかし、いまのはアカネたちを愚弄したわけではなくて、だな」

「いいよ。身分の違いは知った上だ」


 アカネの髪もまた、左右にゆっくりと揺れる。こちらは風に遊ばれているだけだ。飾りっ気のない総髪だが、あまりに綺麗な黒髪だった。


「久平次さん。次に岸まで行ったら、アタイと交代しようぜ」

「う、うむ」



 ただでさえ高速で回すアカネに、今回の歯車の効果が加わる。すると陸舟車はそこらの船と比べられないほどの早さが出せた。


「これはすごいな。愉快だ」

「だろ。アタイも楽しいぜ。でも……」

「でも」

「水の上なら、もう少し手ごたえが強くても良いな」

「おお、それなら歯車の比率を大きくしてみるか」

「いや、それをされちまうと、今度は丘を駆け上がる時に動かなくなりそうだ。アタイの力には限界があるぜ」


 帯に短し、たすきに長し。どうもちょうどいい具合が無いらしい。


「まあ、最終的に乗り手の腕前と言ったところだな」

「はははっ。そうだよな。アタイもそれでいいと思う」


 ガコン!


 陸舟車が突然揺れて、急激に速度を落とす。


「どうした?」

「あれだ。歯車が外れる事故」

「ああ、起きてしまったか。水上で……」


 と、修理が大変そうなのを察して、久平次が考える。陸まで押して泳ぐしかないかと思った久平次だが、アカネは平然と歯車を蹴飛ばした。


「おりゃ!」


 ガコン!


 外れるときが簡単なら、組み込むときも簡単。歯車の隙間が大きいせいか、軽く蹴っただけで元の位置に戻る。


「ざっとこんなもんだろ」

「乗りながら直せるとは、驚いたぞ。茜」

「へへん。アタイなら当然さ」


 本当に器用な足さばきをする娘である。その動きを見て、久平次は少し考えた。


「ん? どうした?」

「いや、面白いことを思いついたかもしれん。茜よ。先ほど『陸では軽く、水の上では重い歯車がほしい』というような話をしていたな」

「あ、ああ。忘れてくれ。アタイがわがままだったよ」

「そのわがまま、聞き入れられるかもしれないぞ」

「え?」

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