第39話 ヴォルナール、決別する

 淫魔たちの協力を仰ぐことができたヴォルナールたちは引き続き迷路の探索とぴあのの捜索を続行していた。若くて元気のいい淫魔たちが同時に複数の道を攻略しており、その進捗は同じ淫魔であるパルマの頭に直接聞こえてきている。


「みんな張り切ってる。あたしたちだけで探すよりも早く道が見つかると思うよ」

「そうだといいんだがな」

「あんまり悲観的になりなさんなよヴォル。おまえが一番ピアノちゃんを信じてやれよ」

「そうだな、すまない……ん?」


 パルマとアスティオの顔を見ずに答えたヴォルナールの視界の端に、一瞬見えるはずのないものが見えた気がした。違和感の正体を探るために彼はそれが消えた曲がり角を曲がる。曲がった先は明るい光の射す広場で、そこには白い花が咲き乱れていた。その真ん中で、ひときわ大きな花のように白いドレスの女が立っていた。ヴォルナールはその女が頭に頂く豊かな金髪に見覚えがあった。もう二度と目にすることはないと思っていた花がそこに咲いていた。


「……そんな……まさか……お前は……」

「……久しぶり、ヴォル」

「フィオナ……」


 金の髪、青い目、輝く額。かつて愛して得、そして失ったヴォルナールの妻、フィオナが彼の目の前に立っていた。


「アスティオ、パルマ……」


 目の前の光景が自分にだけ見えている物でないのかとヴォルナールは仲間たちのほうを振り返るが、そこには誰もいなかった。


(ついさっきまでそこにいたはずなのに。いや、それよりも……)


 ヴォルナールが死んだはずの妻に視線を戻すと、彼女は青い目に涙をいっぱい溜めて彼に近づいてきている。


「会いたかったわ、ヴォル。わたしの愛しい人……。一人でずっとこの迷路に閉じ込められていて心細かったの……」


 フィオナは白い手袋に包まれた手をヴォルナールの胸板にそっと当てて彼に寄り添う。その手袋は彼らの婚礼の式の時に彼女がつけていたのと同じものだった。


(……落ち着け、惑わされるな。フィオナの遺体は俺がこの手で埋葬した)


 冷静なヴォルナールは頭では今のこの光景は何かが見せている幻である可能性が高いと判断していた。しかし、フィオナが死んですぐに何度も思った「フィオナが死んだというのは何かの間違いか夢で、本当は生きていてまだあの迷路にいて自分が助けに来るのを待っているのではないか」というあり得ない願望、それが実際に目の前に現れたことが引き起こす喜びの感情が喉にせぐりあげてきていて、それがあまりに都合よく甘くて苦しさすら感じていた。


「ヴォル、会えて嬉しいけどわたしはもうこの迷路から出ることができないの。だからもしわたしの仇を討とうとしていたのならそんなのやめて一緒にここで永遠に暮らしましょう。わたしたち、ここでならずっと愛し合って生きていけるわ……」


 ヴォルナールの引き締まった背に手を回し、抱き着きながらそう申し出てくるフィオナ。しかしヴォルナールは首を縦に振ることができなかった。ぴあのがまだこの迷路で生きているかもしれない。そう思うとそれはフィオナが迷路で生きているかもしれない可能性よりもずっとずっと現実的だった。ぴあのを助けるためにも、自分はこの戦いを止めるわけにはいかないと思った。


「フィオナ……、すまない。俺にはそれはできない」

「どうして? もうわたしはどうでもいいの?」

「フィオナ……」

「新しい女が出来たらわたしのことなんか忘れてしまうの?」


 ヴォルナールの返答を聞いたフィオナの目に溜まっていた涙がぼろぼろと零れてヴォルナールの鎧に線を描く。ヴォルナールは目を閉じて、それを見ないようにした。


「忘れたりなんかしないよフィオナ。君が俺に与えてくれた安らぎは本物だった。それはずっと忘れない。忘れる事なんてできない」


 だけど。

 とん、とヴォルナールは優しい力で彼女を押して体から離した。そして、手から光の矢を出して、背負っていた弓につがえて狙う。


「今俺の目の前にいる君は嘘なのだろう?」


 バシュッ……。


 引き絞って放たれた光の矢はまっすぐ飛んで、フィオナの胸の真ん中を貫く。彼女の体はそのまますべてが白い花びらに変わって、その空間いっぱいにぶわりと飛び散りはらはらと舞い落ちた。


「さよなら、フィオナ。もう一度会えて俺も嬉しかった」


 閉じていた目を開けると、ヴォルナールは全身をずぶぬれにして立ち尽くしていた。そこには白い花などどこにもなく、ただ嫌な色の植物の残骸と青臭く透明な液体が飛び散っている汚い通路だった。


「じ、自分から出て来た!! よかったあ!!」


 パルマの大きな声がして振り返ると、そこにはアスティオとパルマ、それと何人かの淫魔たちがいた。いつからかずっとそこに居たらしい。


「あんた、突然横合いから出て来たでっかい虫獲り草みたいなモンスターに丸ごと食われかけたんだよ!」

「助けようとしたんだけど、オレらだけじゃ全然開かなくて……はあ、よかった」

「そうだったのか、すまない。幻を見せられて隙を見せてしまった……彼らは?」

「手が足りないからあたしが念話で呼んだんだよ。そしたらねえ、聞いて」


 淫魔たちは、大木の向こう側から人間の女が三人逃げて来たのを保護したという話をヴォルナールにしてくれた。そして、彼女たちの話ではパルマの兄のクレデントがぴあのを保護し、二人でレリトを止めるために魔王城へ向かったらしいということも教えてくれる。


「ぴあの……、生きているのか!!」

 

 ヴォルナールはもともと尖っている耳をさらにピンと立て、さらにその場で飛び上がって喜んだ。そのしぐさはまだフィオナが生きていた頃の明るく朗らかだった彼が嬉しいときにしていた癖だった。


「よかったねヴォルナール! 兄貴が生きてたのもびっくりだけど……」

「でも喜んでばかりもいられねえって。二人で魔王城に忍び込むなんて無茶だぜ。何考えてるんだ?」


 一行は女たちに詳しい話を聞きたかったので、淫魔たちを伴って彼らの集落に戻った。


「レリトを殺しても呪いが解けない? それは確かか?」

「確かかはわからないですけど、扉が開かないのはもう死んだ人がかけた呪いだってクレデント様は仰ってましたので……」

「二人で魔王城に行って鍵を開けるって」

「それでレリトって人を説得するんだって言ってました」


 失踪していたクレデントが苗床たちを保護して体を元に戻す治療をしていた、と言う話を聞いた淫魔の長は魔王城をもう一度攻め落とす手伝いをしたいとヴォルナールたちに申し出て来た。


「我らに害が及ばなければレリト様のことは自滅するまで放っておこうということで静観していたのだが……、息子が一人でモンスターの繁茂を食い止めていたと聞いては親である我らも手をこまねいてはいられん。ちゃんと終わりにしよう勇士たち。ことは一刻を争う。すぐに征くぞ」


 普段しない武装をした淫魔たちを携え、ヴォルナールたちは集落から発った。魔王城への道は女たちが通って来た道を逆に辿り、地下を経由すれば遠回りせずに行けるとの話で、その通り数日迷路で迷っていたのが嘘のように簡単に大木の向こうに行くことができた。そして一行はぴあのとはぐれたフェンスの扉のところまでまたたどり着く。


「鍵の所になんか巻き付けてある……、あ、開いた! みんな! 開いたよ!!」


 斥候に出たパルマの知らせを聞いてから、身を潜めていたヴォルナールたちは中に入るために走り出す。すぐにまたあのおどろおどろしいラッパが鳴り響き、邪妖精兵の羽音が近づいてくる。


「今行くぞ、ぴあの! ええい! 邪魔だ! 虫ケラ共が!!」


 邪妖精兵を蹴散らしながら、勇士たちは魔王城へ攻め込んだ。

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