第12話 ぴあの、精を受ける
「……なんだ、どうした」
「よ、夜遅くごめんなさい、でも、でも私、あッ、うううッ……。 ふうッ……」
「呪いの発作か……! 早く中に入れ」
「んあぁ……ッ」
寝ようとしていたのか不機嫌にのっそりと出て来たヴォルナールだったが、真っ赤な顔で息を切らせて苦しそうなぴあのの姿を見るとぎょっとした顔で彼女の手を掴み、自室に引き入れた。
手首を掴まれただけなのに、自分のものとは違う骨ばって大きな男の手の感触は異様に熱く感じて、ぴあの体温はどんどん高くなっていってしまう。もうまともに歩くこともできず、彼女はヴォルナールが使っているベッドの上にくなくなと崩れ落ちてしまった。
(あっ、だめッ……このシーツ、男の人の……ヴォルナールさんの匂いがすごくして……息、できなくなりそうッ……)
少しでも衝撃を和らげようとベッドを選んで身を預けたのに、今のぴあのの身体には普段まったく気にならないヴォルナールの体臭が染みたベッドのシーツは暴力的なまでに欲求を駆り立てる劇物だった。自分の判断が悪かったことに気付いたぴあのだが、しかしもう手足に力が入らずに顔をあげることができない。
「おい、大丈夫か。息はできているか? 死ぬぞ」
「はッ、はーッ、はーッはーッ。んううぅッ!」
顔面をシーツにべったりと押し付けてしまっているぴあのの肩をヴォルナールが掴んで仰向けにひっくり返す。触れられた衝撃で仰け反り、小さな痙攣が止まらないものの窒息は免れたようだった。
「なあ、おい……会ったばかりの男に身を任せるのは嫌かもしれないが……お前が正気で生きていくためには誰かがこうするしかない。俺を恨んでくれるなよ……」
そう言って汗に濡れて額に貼りつくぴあのの前髪を除けてやるヴォルナールの手は、つっけんどんな言い方に反して優しい触れ方をする。
「私こそごめんなさい……はあッ、奥さんのこと、あるのに、こんなッ、頼り方、してッ……ごめんなさいッ……ああッ……」
「パルマか、余計なことを教えやがって……。おい、俺も割り切る。だからお前も割り切れ、いいな?」
「はあ……はあ……、はいッ……よろしくお願いしますッ……」
ぴあのの買ったばかりの青いワンピースをヴォルナールの手が脱がしていく。胸元のボタンをぷちぷちと外して前をがばっと開かれると、汗ばんだ肌に外気が触れて、急に感じた冷やっとした感覚にぴあのは首をすくめる。ヴォルナールは無表情のまま彼女のワンピースを取り去り、下着姿になった女の頼りない体はのしかかってきた筋肉質な男の体に包まれ、もう逃げられなくなった。
「……あ?」
その時、月明かりの照らすベッドの上でされるがままになっているぴあののキャミソールをそのまま取り去ろうとしたヴォルナールは彼女の剥き出しの肩に目を止め、そこにある違和感に気付く。それは等間隔に三つ並んだ小さな痣だった。
「はあ、はあ、ど、どうしたんですか……? あ、あの、は、はやく……」
「……」
「わ、私の体、そんなに綺麗じゃないので……不愉快にさせたら、すみません……ッ」
熱に潤んだ目をねだるように向けるぴあのを、ヴォルナールは沈痛な面持ちで見返している。しばらく何か考えていたが、やがて大きな掌でぴあのの目元を覆ってベッドに押し付ける。おかしな挙動をしているヴォルナールを疑問に思うが、発作が苦しいぴあのは思考がまとまらない頭で、彼が好みでも何でもない女の体を見て幻滅しているのかもしれないと思いそれを謝る。しかし、それに対して返されたヴォルナールの答えは予想とは違っていた。
「……馬鹿にするな。俺にだって、良心くらいある」
「……ヴォルナール……さんッ……」
彼の名前を呼ぶぴあのの目は、大きな掌で覆われていて彼の表情を見ることができない。その目隠しは汗でしっとり湿っていて、ヴォルナールもなんらかの緊張を覚えているという事実を彼女に伝えて来た。体の上で衣擦れの音がして、彼が姿勢を変えたらしいことだけがわかった。
「このまま口を開けて待っていろ。余計なことはするなよ。ただ待っていればいい……」
「ヴォルナールさん……」
「黙ってろ……気が散る……、口を開けていろ。ふッ……」
「あッ……はッ……あッ……」
大きな掌はぴあのの頭をがっちりとベッドに押し付け、彼女の視界は完全に奪われてしまっている。何が起こっているのかわからないが、顔の近くでどんどん湿気を帯びていく空気や頭上から聞こえる押し殺したような悩ましい息使い、そして強くなる雄の匂いはぴあのの渇望を激しく掻き立て、彼女の舌は見えない何かを求めて虚空を舐める。
「ふッ……くッ……」
「はッ、はあッ……、あぁッ……」
(ああっ、私、ヴォルナールさんが欲しい……、今顔の前にきっとあるそれ、お腹で味わいたいと思っちゃってる……ッ。そんなこと思ったことなんて今まで一度もないのに……あったばかりの男の人なのに……ッ、私ほんとにおかしくなっちゃってる……ッ)
体の上に逞しいヴォルナールの腿がしっかりと乗っているせいで何もできないぴあのはただ切なげに身を捩らせて足を擦り合わせることしかできず、彼の言う通りに口を開けて雛鳥のようにその瞬間を待つ。
「う、くぅッ……!」
「あ、はッ。はあぁあぁ~……ッ」
むわりと男の匂いの湿気が密度を増し、ヴォルナールが悩ましく呻いた声が聞こえるやいなや、虚空に伸びたぴあのの舌先に熱くとろりとした何かが触れた。その味は素晴らしく甘美で、求めてやまなかったものが訪れた歓喜が彼女の体中を駆け巡る。口の中に注がれたものはあれほど彼女を苦しめていた渇きをすぅっと消し去っていった。
(あああ……なんて甘いの……それに熱くて……並んで食べた人気のカフェのフォンダンショコラより美味しい……)
こく、こくんと喉を鳴らしてぴあのはヴォルナールの施したものを飲み下す。そしてやっと熱と渇きに荒くなった呼吸が安らかなものに戻って行った。
「飲んだな? 苦しくはなくなったか?」
「ふう……ふう……は、はい……、楽になりました……嘘みたい……」
「自分の部屋に戻れるか?」
用は済んだのからもうこれ以上彼の睡眠を邪魔してはいけない、ぴあのはそう思ったが、トキヤと初めてベッドを共にした夜にさっさと背中を向けて寝られてしまったことを思い出し、急激に心細くなってきた。まだ顔の上に乗ったままのヴォルナールの手に触れ、ぴあのは小さな声で答えた。
「……すみません。もう少しこの手、ここに当てててもらっていいですか……。落ち着いたら帰りますので……」
「わかった」
ぴあのの気持ちが落ち着くまで、ヴォルナールは手をどけなかった。そして彼女の肩の痣のことを考えていた。
(あれは男が拳で殴った痕だ。そんな目に合っていた女に俺は娼婦になれと言ったのか……)
男からの加害を受けていて、突然異世界に投げ込まれるなり苗床にされかけて呪いを受けたぴあの。
(なんて運のない女なんだ)
疲れ果てたのか寝息を立て始めたぴあのの顔から掌をどけると、安心しきった顔で眠る彼女の顔は思ったよりあどけなくて、ヴォルナールは胸がぎゅうと苦しくなるのだった。
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