第13話 ぴあの、奮い立つ

「……はっ……」


 朝日が窓から差し込む明るさと暖かさでぴあのは目を覚ました。部屋には自分しかいないようで、その部屋が自分のものではないことに気が付くのに数分を要した。買ったばかりの青いワンピースは椅子に掛けてある。シーツをまくって自分の姿を見るとキャミソールの下着姿だった。

 体は嘘のように軽いが、口の中に昨日味わった甘味の名残が確かに残っている。


「やだ……夢じゃない……これ」


 疼きと熱に悶えながらヴォルナールに助けを求めて彼の部屋に赴いたことを思い出して、ぴあのは赤面して湯気の出そうな顔を両手で覆った。今更胸がどきどきしてくる。


(ヴォルナールさん、私のためにほんとだったら一人でこっそりするようなことしてくれた……? 申し訳なさすぎる……、死んじゃったとは言え奥さんがいる人なのに……。そうだ、ヴォルナールさんはどこに行ったんだろう)


 彼が戻っていないのに部屋を施錠しないまま出ていくのも悪いので、いつ戻ってきてもいいようにぴあのはベッドから出てワンピースをまた着た。一人で何もせずに待っていると自然に内省的な考え事をしがちになってしまう。


(途中まで……する流れだったような気がするけど、これを脱がしてから突然やめてくれた感じだったな……やっぱりフィオナさんに悪いって思っちゃったんだろうか。私の体が変だったんじゃなければいいけど……太ってはいないと思うんだけどな……太ると怒られるから気をつけてたし)


 トキヤはテレビなどに太った女が映るとこき下ろす男だった。そしてその後必ず甲斐甲斐しく家事をしているぴあのに「お前も太ったら都合のいい女に格下げだから」と笑いながら言ったものだ。


(ヴォルナールさん、そっけないけどトキヤより全然優しい……パルマさんの言う通りだし、私なんでトキヤと付き合ってたんだろうって感じがしてくる)


 トキヤにもいいところはあったと思うし、ぴあのの歌をうまいうまいと喜んで聞いてくれるところは好きだった。しかし、こちらの世界に来てから触れたヴォルナールと仲間たちの善意のおかげで、愛で誤魔化されていたトキヤの悪い所がどんどん包装紙を剥くように露わになっていく。あるいは自分の人を見る目が曇っていたのかとぴあのは自問自答した。


「起きたのか」


 がちゃりと鍵が開く音がして、特にノックなどはせずにヴォルナールが戻って来た。


「あ、おはようございます、あの、昨日はありがとうございました……」

「体は平気か?」

「も、もう大丈夫です。お手数かけてすみません……」


 ヴォルナールの美しい顔を見ていると、昨日湿った掌の目隠しの向こうで悩ましく呻いていた彼の声を思い出し、ぴあのはうつむいて目を逸らした。


「何よりだ。俺も着替える。出てけ」

「あ、はい。し、失礼しました。ありがとうございました」


 確かにヴォルナールは昨日着ていた服のままだったので、ぴあのは言われるままに廊下に出る。ドアを閉める直前に見えたヴォルナールの尖った耳の先が心なしか赤く染まっていたような気がして、さらに申し訳なくなってしまうぴあのだった。


(やっぱり人前であんなことしたらヴォルナールさんだって恥ずかしいよね……本当にお世話になってる……恩返しできるように頑張らなきゃ)


 自分の部屋に戻ると、ヴォルナールのシャツはなくなっていた。どうやらぴあのにベッドを明け渡して彼は代わりにこっちの部屋で寝ていたらしい。一人の部屋に戻るなり急に疲れを感じたぴあのはそのままベッドにぼふっと倒れてシーツに顔を埋める。昨日間近で嗅いだヴォルナールの匂いがした。


(ここで寝てたんだ、ヴォルナールさん、昨日……)


 彼の寝ていたベッドに体を預けると、もう求める必要はないはずなのに昨日暴れていた下腹のあたりがまた熱くなった。


(私どうしちゃったの……。こんなはしたない女の子じゃなかったはずなんだけど。やっぱり呪いのせいなのかな……。この呪いを作った人を倒すまでこうなんだ……頑張らなきゃ)


 こんなふうになってる場合じゃない、とぴあのは見つめた自分の手をぐっと拳に握って、えい、と掛け声をあげて体を起こした。


「おはよう、よく眠れた?」

「おはようございます、パルマさん、アスティオさん」


 宿の裏手で、もう加減のできるようになった水の歌でぴあのが出した桶の水で顔を洗っているとパルマが声をかけてきた。後ろにはアスティオも一緒にいる。


「えっと、はい。おかげさまで……」

「?? まあ、それは何よりだけども。えっとね、あのさ、ピアノちゃんちょっとお小遣い稼ぎしない?」

「お小遣い稼ぎ? なんですか?」


 なんでもない会話なのにちょっと頬を染めている様子のぴあのを不思議に思いながらパルマは話を始める。


「ピアノちゃんいくつか歌覚えたじゃない。だからちょっと弱めのモンスター相手に実践してみたほうがいいんじゃないかってアスティオと話してたんだ」


 ねえ、とパルマが振り返ると、アスティオはにこにこと頷いて説明してくれた。なんでも、竜骨街といばらの迷路の間には迷路から迷い出たモンスターが徘徊していることがあり、街の外にある畑などを荒らすらしい。なので、勇士とまではいかずとも一般の冒険者や力の有り余っている街の若い衆などが駆除や畑の防衛などをしているのだそうだ。


「それ手伝って、ピアノちゃんの装備もっと揃えようぜ。その青い服も可愛いけどそれだけじゃやっぱ戦うのには心もとないからな。ヴォルナールはあんなだが、なんだかんだで一緒に行くことになると思うんだよね。だったら今からそういうこと考えておいた方がいいよなって二人で話してさ」


 確かに、二日ばかり酒場の給仕と歌でもらったお駄賃では生活していくのにも心もとなかった。吟遊魔法を覚えても戦うことができないのではただのビックリ人間博覧会である。ヴォルナールにも昨日戦う覚悟を決めろというようなことを言われた。そして彼にただ精をねだるだけのお荷物と思われるのは避けたいとそう思って、ぴあのは二人の提案に乗ることにした。


「よっし。ならオレ、ヴォルに声かけてくるよ。あいつも誘わないと寝てばっかいるからな。ちょっと待ってて!」


 アスティオがヴォルナールの部屋に向かうのを見送って、ぴあのはパルマと立ち話をした。


「あの、パルマさん。パルマさんたちが倒そうとしてる、その、私にかかってる呪いを作った残党の頭って、どんな相手なんでしょう。女の人だってヴォルナールさんは言ってましたけど……」

「ああ、そうか。倒す相手のこと知りたいよね。いいよ。教える。残党の頭……かつての魔王の側近の一人だね。側近って言うか、あれは魔王の愛人だよ。名前はレリト。姿は人間っぽいけど、鳥の羽が生えてて、植物のモンスターを作り出す。あのいばらの迷路はもともとはレリトが管理してた魔王城の庭なんだ。あたしたちは庭の所で足止めされて、勇者とその仲間の何人かを先に行かせた。あの女に足止めされてなければあたしたちは加勢に駆け付けられて、魔王を外の世界に逃がすこともなく……フィオナも死ななかったと思う」


 話しながらパルマはとても悔しそうにしていた。ぴあのはその話を聞いて、レリトという女怪がフィオナの仇なのだということに気が付く。


(フィオナさんの仇を討つためには私みたいな鈴持ち……だっけ? がいるなら連れてった方が効率がいいのに、ヴォルナールさん、私の命を心配して娼婦のほうがいいって言ったんだ……)


 馬鹿にするな。良心くらいある、という昨日聞いた彼の言葉を思い出し、ぴあのは胸がいっぱいになりそうになる。


 (本当に優しいんだ……ヴォルナールさんって……。私、もっと頑張りたい。頑張ろう。頑張るぞ……)


 アスティオがヴォルナールを連れて戻って来た。まだ気まずいのか明後日の方を向いているヴォルナールを見て、ぴあのは再び自分を奮い立たせた。

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