第6話 ぴあの、働く

 わっとした街の喧騒にぴあのは圧倒される。宿の壁はそれなりに薄そうだったが彼女の耳にそれが今まで入って来なかったのは、自分の行く末に気を取られていたせいだろう。いろんな言葉の洪水、聞いたことのない動物の鳴き声、嗅いだことのない料理のにおい、元の世界のものに似ているけどちょっと違うような気もする果物や野菜。鮮やかな赤や青の肌を持った角の生えた人たちも道を闊歩している。街のあちこちから太く白い柱がアーチ状に伸び、太い梁に集まって町全体を覆っていた。夕日が差していて、自分が結構長く意識を失っていたんだということにぴあのは気が付いた。


「う……わぁ……」

「あれはエンシェントドラゴンの肋骨と背骨だよ。大きいモンスターの死骸は者によっては死後何百年何千年と残るし、どけるのも大変だから、そのままにして街を作ることもあるんだ。だからこの街は竜骨街って呼ばれている。初めて見た?」

「……はい、びっくりしました。それに色んな人がいる……」

「魔族の中には降伏してあたしたちと仲良くすることを選んだ種族もいるからね。他にもヴォルナールみたいな妖精族とか、いろんな種族がこの街には暮らしてるんだよ。ぴあのの故郷にはいないの?」

「……私の居たところは人間しかいませんでした」


 キョロキョロと周りを見回した後天井を見上げて動かなくなってしまったぴあのに、アスティオとパルマは笑いながらいろいろ教えてくれる。


「ここだけの話、あたしも人間じゃないんだ。結構早い段階で勇者と一緒に戦うことを選んだから人間っぽくしてて、今更戻すのもなんだから言わなきゃわかんないだろうけど」

「え? そ、そうなんですか?」

「まあ、立ち話もなんだしその辺の詳しいことはご飯しながら話そうよ」

「そんなキョロキョロし続けてたら首がおかしくなっちゃうぜ。行こ行こ」

「あ、す、すいません!!」


 二人に促され、ぴあのははぐれないように気をつけながら人込みを歩く。やがて連れてこられたのはジョッキのような器の絵が掘られた看板が下がっている店だった。


「お腹空いたよね~」


 パルマのその言葉を聞いて、ぴあのはこちらの世界に来てからヴォルナールの血しか口にしていないことに気が付く。確かにとても空腹だ。


「御馳走とは行かないけど、歓迎会しよう。さ、入って入って。お酒飲める?」

「あ、飲めます! じゃなくて、えっと、その。ヴォ、ヴォルナールさんには声をかけなくていいんでしょうか……」


 ヴォルナールのことを思い出したら、ぴあのは彼を誘っていないことに今更気が付いた。気になってしまったので尋ねると、パルマはちょっと呆れたような顔で答えた。


「あいつは多分娼館だよ。フィオナがいなくなってから、一人で寝るのが寂しくて仕方ないんだ、あいつ。なんか臍曲げてるみたいだし、今日は帰って来ないでしょ」

「しょ、しょうかん……」


 娼婦にでもなればいい、とすぐにそういう発想がヴォルナールから出たのは自分がそういう店に行きつけてるからなのか……とぴあのは思う。


(もし私が全然だめで結局娼婦になることになって、客としてヴォルナールさんが来たらどういう顔したらいいのかわからないな……)


 そんなふうに思って立ち止まっていたら、二人はそれに気づかずにドアを開けて店に入ってしまったので、ぴあのは慌てて後に続いた。


「おばちゃーん! 今日のおすすめ何~?」

「あい、いらっしゃい!! 今日はね、二首鳥のスパイス焼きがお勧めだけどちょっと待たせるかもしれないよ! 三人? そこの席空いてるからそこ座って! 汚れてたら自分で拭いて!」


 酒場はそこそこの広さでいくつもテーブルがあり、ほとんど客で埋まっているがそれをおばちゃんと呼ばれた店員が一人で回しているようでとても忙しそうだった。


「え? おばちゃん一人? 住み込みで働いてた給仕の娘いたよね? あの娘どうしたの?」

「それがさ~。聞いておくれよパルマちゃん。どうやらあの娘、結構いい家の家出娘だったらしくて、昨日親が迎えに来て連れてかれちゃったんだよ。良く働く子だったのに困った困った」

「おばちゃん! 酒こっち!」

「あ、はいはい! 待ってね~!」


(うわ~、シフトドタキャンでワンオペ……覚えある、めちゃくちゃ大変なやつ……)


 ぴあのは掛け持ちの居酒屋バイトで似たような状況に陥った時のことを思い出した。あれは本当に大変だったし、それで別にお手当とかも出なかったからくたびれもうけだったっけ……。そう思うと、自然と口から言葉が出ていた。


「あの……私、手伝います!」

「ええっ、いいのかい?」

「ピアノちゃん、いいのかよ」

「お腹ペコペコなんじゃないの?」

「ちょっとくらい平気です、それ、どこに運んだらいいですか?」


 突然そんなことを申し出たぴあのをアスティオとパルマが心配するが、彼女は一人でしんどそうにしているおばちゃんがひいひい働いている横で食事する気にはならなかったのだ。


「助かるよ~お嬢ちゃん。あそこで半裸になって踊ってる奴らのところにこのジョッキ三つ持って行ってくれるかい?」

「うわあ……、いや、わかりました! アスティオさん、パルマさん、先に食べててください。客足が落ち着いたら私もご一緒します!」


 黄金色の酒がなみなみ注がれたジョッキを細腕で一度に三つ持ち上げると、ぴあのは仲間の返事を待たずに給仕を始めてしまう。今までもじもじうじうじと小声で話していた彼女が魔法にでもかかったかのようにてきぱき働く姿を見て、残された二人は唖然としていた。


「まごまごしてるばっかりかと思ってたけど中々たくましいんだな、あの娘」

「うん……あたしも、もっと気弱なのかと思ってた……。心配しすぎてたかも」


 アスティオとパルマはそんな話をしながらあまりおばちゃんの負担にならなそうな軽いものを注文して、ぴあのの働きっぷりを眺めることにしたのだった。


「ありがとうねえお嬢ちゃん、本当に助かったよ。もういいからあんたも何か食べな。あとでお礼するからねえ」


 二人がかりで給仕を続けてしばらく、ようやく客足が落ち着いてきたころにおばちゃんはそう声をかけてくれた。その言葉で頭が完全にバイトモードに切り替わっていて忘れていた空腹を急に思い出したぴあのはへなへなと仲間のいるテーブルに戻る。


「うわ、へろへろじゃん。まずスープでも飲みなって!」

「はひ……いただきます……んく、んく、美味しい……」

「それじゃ改めて歓迎会、始めようか!」


 アスティオが追加の料理をおばちゃんに頼むと、ほどなくして料理が運ばれてくる。お腹をスープで落ち着けていなかったら、食べた過ぎて胃が痛くなっていたかもしれないと思うほどそのおいしそうな匂いは魅力的だった。


「オレたちの新しい出会いを祝して乾杯!」


 アスティオの音頭に、三人は木のジョッキを軽く打ち付けた。


「んん~、おいっしい……! い、生き返る……!」


 異世界の食べ物がどういうものなのか全く知らなかったので最初はちょっと恐る恐る食べていたぴあのだったが、どの料理も元居た世界のものとそこまで大きく離れている味ではなく、やっと生きているということを実感させてくれる食事に感謝しつつスプーンを進める。


(どれもこれも美味しすぎる! ご、ごはんが食べられるって素晴らしい……! 生きててよかった……!)


 腸詰の入ったパイのようなもの、キノコを敷き詰めたラザニアのようなもの、そしてお勧めされていた鳥のスパイス焼き。濃い目の味付けのそれらを冷たい酒で流し込むと、全身の細胞が喜びに歓声を上げる……!


「そっかあ。あの娘がいないんじゃ歌も聴けないのかよお。寂しいなあ」


 美味かつ文化的な食事に涙さえ流していたぴあのの耳に、その時こんな言葉が聞こえた。

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