第7話 ぴあの、歌う
「いい家の子だったみたいだから歌もたくさん知ってたんだろうねえ。この街が平和になったらまた遊びに来てくれると嬉しいけどねえ」
「あーあ、おれあの娘の歌聞きながら酒飲むの好きだったのになあ」
「歌だけかい?」
「言ってくれるなよおばちゃんよお」
空腹が落ち着いて酒杯を傾けていたぴあのは、そんな会話を聞いてなんだかうずうずしてきた。彼女はもともと酔うと歌いだす癖がある。トキヤも彼女の歌は好きだったので、一緒に飲むときはカラオケでオールすることもよくあった。酷い恋人だったが、怒鳴った後に変にしゅんとした彼にまたお前の歌が聞きたいと言われると求められることに飢えているぴあのはなんだかんだで許してしまっていた。
(そっか。別に歌を聞いてもらう相手って、トキヤじゃなくても構わなかったんだ……)
そう思うと、何故だか心が軽くなった気がした。今ならいつもよりのびやかに声が出そうな気がする。ぴあのは、椅子から立ち上がるとまたおばちゃんに声をかけた。酔いも手伝って気が大きくなっているのは自覚してたけど、歌いたさがむくむく膨らんでもう止まらなかった。
「あの……私が知っている歌でよければ歌います」
「えっ? 手伝いしてくれただけでもありがたいのに、歌まで?」
「いいじゃねえか、歌ってもらおうぜ~!」
「歌があったほうが酒がうめえぜ~」
おばちゃんは遠慮気味だったが酔客たちはぴあのの歌を聞きたいようだったので、辞めてしまったという給仕の娘がよく歌を披露していたいう一角を提供してくれた。
(何を歌おうかな。どんな歌がこの街の流行りかわからないけど……妖精族とかがいる世界なんだったらきっと……)
ぴあのはまず深呼吸して、お腹の奥から歌いだした。外国の有名な民謡。とある街に行くのなら、とある人に会ってほしい、その人は普通なら不可能なことができて、それならそれは自分の恋人で……そんな歌。
喉にある魔力の鈴とやらのせいなのかそれとも首に填められたチョーカーのおかげなのか彼女にはわからないが、マイクもないのに店の隅々に届くような深く響く声が出て、歌っているぴあの自身もとても気持ちがよかった。
何故だか歌っている間、ヴォルナールの顔が思い浮かぶ。妖精族のことを考えたからだろうか。彼は今どうしているだろう。あの頭痛を我慢しているような面持ちのまま、どこかの娼婦と寝ているのだろうか。
(一緒にご飯を食べて、私の歌を聞いてほしかったな……。そうしたらあの人とももっと仲良くなれるような気がするのに……)
大声で笑ったり、中には踊ったりしていた酔客たちはぴあのが歌いだしてほどなく、騒ぐのをやめて彼女の歌に耳を傾けていた。アスティオとパルマも目を閉じて聞き入っている。
歌も終盤に入った頃、酒場のドアを開けて入ろうとした者がいた。そして歌をやめずにそちらを見たぴあのと目が合う。
(えっ? ヴォルナールさん?)
気が変わって仲間と合流しようと行きつけの酒場に来たのかもしれない。しかし、彼は歌っているぴあのを見て、その歌声を聞くと目を大きく見開き足先だけ店に入っている状態で体を硬直させる。そしてまたあの酷く傷ついたような、泣き出すのを我慢しているような表情をしてドアを閉めてしまった。歌が終わるまで動けないぴあのは彼に声をかけることが出来ずに、やがて歌い終わる。
「うおおおお!!! すげええ!!」
「いいぞ! 嬢ちゃん!!!」
「もう一曲歌ってくれよ!!」
一瞬しんと静まり返ったあと、酔客たちの歓声がぴあのに押し寄せた。
「お駄賃に色付けるからもう一曲お願いできるかい?」
「あ……はい、それじゃあもう一曲だけ……」
ヴォルナールのことは気になったが、ぴあのはおばちゃんに頼まれてもう一曲歌を披露する。こうなってしまっては追いかけるのは無理だ。
「あの、さっきちょっとヴォルナールさん来ましたよね? でも帰っちゃって……」
歌い終わり、仲間たちのテーブルに戻ってきたぴあのは二人にヴォルナールのことを尋ねる。
「ん、あー、そうだったかな。娼館、休みだったのかもしんねえな」
「案外きつく言いすぎたって思ってピアノちゃんの顔見るの気まずかったんじゃない? あいつそういうとこあるから……、それよりすごいじゃん。さすが吟遊魔法の才能ある人は歌がうまいねえ」
「あ、そんな……歌は唯一の趣味だってだけで、全然素人だし……」
「謙遜すんなって。やっぱ一緒に探索したいぜ。頑張っていっぱい魔法の歌、覚えてくれよな!」
酔いにまかせていい気分で歌っていたぴあのは、ヴォルナールのことでその酔いが覚めて、急に厚かましいことをしたような気持ちになった。しかしアスティオとパルマが褒めてくれたので、自分の歌で人が喜んでくれたのは嬉しいことだと考えなおした。特に酒場のおばちゃんは大層喜んでくれて、お駄賃といっしょに残り物の料理をパンに挟んだものを包んで帰りに持たせてくれた。
「ヴォルナールさん、晩御飯食べられたのかな……」
すっかり夜になって、三人で宿に戻る。アスティオとパルマは宿代も持つと言ってくれたが、先ほどの給仕と歌でもらったお駄賃で数日分の宿代がまかなえたのでぴあのは彼らと同じ宿に部屋を取った。その時開いていた部屋がそこだけで、ヴォルナールの隣の部屋に入ることができた。時々ごそごそ聞こえるので彼は在室のようだ。お腹空いてるのを我慢して無理やり寝ようとしてたら可哀想だなと思ったぴあのは少し迷って、今日最後の勇気を出して隣の部屋の扉を叩いた。
「誰だ?」
「あの……その……ぴあのです……」
誰何の声にぴあのが答えると、少ししてかちゃりと鍵を開ける音がしてヴォルナールがうっそりと顔を出す。やっぱりご機嫌とは行かない面持ちをしていた。
「何か用か?」
「あ、あの、えっと……ヴォルナールさん、ご飯食べないで帰っちゃったなあって思って……よ、余計なお世話かと思ったんですけど、これ。とても美味しかったから……どうかなって思って……」
どぎまぎしながら持ち帰りのパンの包みを差し出すぴあのに、ヴォルナールの片眉がぴくりと上がる。こんなものいらないと言われるかと思ったぴあのだったが、彼は突っ返すようなことはせずにそれを受け取った。
「……気遣いには感謝する。これはありがたく食べさせてもらう。もう用はないか? ないなら失礼する」
「まってください、それ」
気ぜわしくドアを閉めようとするヴォルナールの手に包帯が巻かれているのを目にして、ぴあのは彼を呼び止めた。
「なんだ」
「私に血を飲ませるためにつけた傷ですよね……。すみません、えっと、うまくいくかな……ぅん、んんッ」
ぴあのはヴォルナールの手をそっと取り、咳ばらいをするとおもむろに歌いだした。
『もう泣かないで すべて元通り 悲しみも痛みもすべて 忘れ去った幻』
昼間魔女につけられた針の傷を治した時と同じように、歌と一緒にぴあのの口から光が飛び出しヴォルナールの手に降りそそぐ。ヴォルナールは自分の手から鈍い痛みがすうっと消えていくのを感じ、包帯を取り去った。ナイフでつけた切り傷がきれいさっぱり治っているのを見て、少しだけ目を見開いて驚いているようだった。
「もう覚えたのか」
「歌は大好きだし……ここに来て初めて覚えた歌なので。忘れません」
その答えを聞いて、ヴォルナールは目を伏せる。
「……一週間待つと言ったのは俺だからな。その間だけは面倒を見てやる。体の我慢がきかなくなったらまた来い」
そう言って彼はぴあのの目の前でドアを閉めた。
(これで仲良くなれるかはわからないけど、ヴォルナールさんが怪我したままお腹空かせて寝るんじゃなければ今日はこれでいいかな……)
そんなことを考えながらぴあのは自分の部屋に戻る。その足音が隣のドアの中に消えるまでヴォルナールは一人部屋の真ん中で傷の治った自分の手を見つめていた。
「……あんな歌声をまた聞いてしまったら……俺ももう忘れられない」
ぎゅっと握ったヴォルナールの手は、もう痛くもなんともなかった。
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