第38話 ぴあの、レリトと話す
レリトのところに赴く途中で先ほどのように呼び止められるのは困るので、クレデントは執事服のまま、ぴあのは元々着て来た武装に戻り、その上からメイド用の外套を羽織った。
クレデントはレリトの寝室への道順をちゃんと覚えているので、迷いなく進む。邪妖精の羽音を避けて時々身を隠しながらたどり着いたレリトの寝室の扉は美しく重厚だった。繊細な作りのドアノッカーで来訪を知らせると、中から若い女の声で「入れ」と返事がある。それを聞いたクレデントはちょっとだけ息を呑むと、名乗ることなく重い扉を開いた。ずっと直接会うことをためらって来た想い人に会う時にまずどんな言葉をかけるのか、彼はまだ決めあぐねていた。
「なんだ! うぬ、手ぶらではないか! 妾が午睡から目覚めたら香草と蜜の茶を飲むとなんど言ったら覚えるのだ! やっぱり植物の執事は頭が悪くて嫌になるの! まあよい、妾はそんなことにわざわざ声を荒げたりはせぬ。はよう妾のおめざを用意してもう一度くるのじゃ!!」
そんなクレデントにレリトがかけた言葉はきんきんと尖ったものだった。後ろから様子を伺っているぴあのの目に、クレデントの背中が戸惑っているのが見える。彼とドアの隙間からそっと覗くと、じっとりと暗い雰囲気の美しい娘が黒いドレスを纏ってそこにいた。彼女は豪奢な一人用の安楽椅子に車輪がついているような家具に腰を下ろしていた。
(えっ? 車椅子? レリトさんって……。いや、今はそれはいいや。クレデントさん固まっちゃってる、助け船を出さなきゃ)
クレデントの裾をちょいちょいと引っ張って、ぴあのは「一旦引きましょう」と耳打ちをした。そしてレリトに向かって声をかける。
「不手際申し訳ありません。今すぐ用意させますのでもう少々お待ちください!」
「なんじゃもう一人おったのか? 何でもよい、喉がカラカラじゃ。早くせよ」
「かしこまりました、失礼します!」
クレデントを引っ張って、ぴあのは扉を閉めた。そして固まったままの彼にぼそぼそと小声で話しかけた。
「どうしちゃったんですか、クレデントさん。さっきまでもっとシャンとしてたじゃないですか」
「……あ、だって。レリトの足が……。彼女、歩けてない? いつから?」
「昔から車椅子……あれに乗っていたわけじゃないんですか?」
「あんなの初めて見た。彼女、木登りだって大好きだったんだぞ。最後に会った時だって自分の足で歩いてた」
「怪我しちゃったのか、病気しちゃったのかどっちかですかね……」
「もしくは、無理しすぎて消耗しているのかもしれない……モンスターを造ったり、大木を生やしたりするのには魔力を使うから……」
「とりあえず、移動しましょう。おめざ……香草と蜜のお茶って言ってましたよね。それがあれば話ができそうだし」
二人はそのまま厨房へ向かった。レリトが午睡のあとに茶を喫するのが日課で、それがまだ供されていないのなら今準備中なのだろうと予想していたら、どうやらその通りだったようで、料理人の恰好の植物モンスターにぴあのが話を持ち掛けたら今お湯が沸いたばかりらしく、淹れたてのそれを受け取ることができた。
「お待たせしました、おめざでございます」
「おお、これこれ。これでなくては起きた気がせぬわ。うむう……今日は外で飲みたい気分だ……。のう! うぬら! 妾を中庭へ連れていけ!」
コロコロと機嫌を変えるレリトの目は焦点があっていない。ぴあのはネットカフェで働いていた時によくこういう目の人見たなと思った。こういう人はおだてて話を合わせてごまかすのが一番だと経験で知っている。城内に詳しいクレデントに先導してもらい、ぴあのがレリトの車椅子を押して中庭へ向かう。途中邪妖精ともすれ違ったが、レリトに挨拶をするだけだった。ぴあのの淫紋は今鳴りを潜めているし、頭の花で匂いもかき消されている。そしてなによりレリトの車椅子を押している者が侵入者だとは彼らも思わないようだった。
中庭にはちゃんと手入れされている東屋とガーデンベンチが設置されていた。ベンチを軽く綺麗にさせてから、レリトを車椅子からベンチに移してやる。これは途中から足を悪くした祖母の世話をしていた時にやっていたので慣れていたぴあのだった。
「うぬ、見慣れないメイドだがなかなかサービスの手際がよいな。それに何より声がいい。むう。何か過去にそんな声の女と会ったような気がするが……はて、誰だったか。まあよい。うぬ、歌などを覚えていたりはしないか? 植物だから覚えてはいないか?」
「えっと……苗床が歌っていたのを一曲覚えていますよ」
まだショックから抜け切れてないのか、押し黙ったままのクレデントがポットから入れた茶の香りを楽しみ気分がよいらしいレリトはぴあのに歌を強請る。適当なことを言って短く済む歌を歌ってやるとレリトはさらに機嫌をよくし、椅子に座って茶に付き合えとぴあのを座らせた。そして世間話を始めた。
「魔王様と妾が初めて会ったのは祭りの日で……」
頬を染めながら甘酸っぱい恋の話をするレリトはワガママ全開お姫様ではあったがこうしてみると背中から黒い羽が生えているだけの普通の女の子なのでぴあのも困惑する。
(この人が自分に厄介な呪いをかけてフィオナさんを殺した魔女だなんて……)
ヴォルナールは覚悟を持てと言っていたが、クレデントから話を聞かずに彼女を倒しに来たとしても自分は攻撃するのをためらってしまいそうだとぴあのは思った。それと同時にレリトが「のう?」「うぬはどう思うんじゃ」などとこちらに話を振って来るのに「私植物ですのでよくわかりませんが素敵だと思います」などと適当に相手をしている間、それを傍らで聞いていたクレデントの顔がどんどん曇っていくのがぴあのは気になり始めていた。
「魔王様はな、妾の誕生日にこっそりベランダから忍んできて……それで初めてキスしてくれたんじゃ……♡ 父上にも母上にも内緒のファーストキスだったんじゃ、きゃー♡」
「それは……」
しばらくずっと黙っていたクレデントがもう耐えきれないという面持ちでその時初めて口を開いた。
「それは全部僕との思い出じゃないか、レリト……」
その声を聞いたレリトは目を見開いてきょとんと黙る。そして焦点が合ってなかった目がぐるぐると回って、ぎゅっと正しい位置に戻ったかと思うと可愛い作りの顔全体がくしゃりと不快そうな表情を作った。
「うぬ……妾を誰だと思っている。妾は姫ぞ? 魔王セブレイス様に忠実な魔王軍の幹部、レリトだと承知のうえで妾を呼び捨てるか……。む? そもそも、よく見たらうぬら、植物ではないではないか! 誰じゃ! どこから入った!」
「レリトさん、ごめんなさい。私たち、あなたと話に来たんです。モンスターを増やし続けるのを止めて下さい。もう魔王セブレイスはこちらの世界にはいません。あなたがどんなに頑張ってももう戻ってこないと思いますよ……」
「なんだと……? 妾をたばかっただけでなくそのような無礼な妄言まで言うか!」
「妄言じゃないよレリト。セブレイスは君の父上を殺して清らかな君を穢して……、そして勇者に討たれそうになったら世界ごと君を捨てて逃げた。もうそんな奴のために人間を脅かすのはやめるんだ!!」
レリトの体に異変が起きていたショックで出鼻をくじかれ、言えないでいたことをクレデントは意を決して口にした。それを聞いたレリトは怒りを爆発させて喚き散らす。
「嘘じゃ嘘じゃ! 許さぬぞ! 不敬な痴れ者どもが! 誰か! 誰かおらぬのか!! こ奴らを殺せぇ!!!! きえええええぇい!!!!」
背中の羽をばさりと拡げ、甲高い声でレリトが天に啼く。すると遠くからバズバズとまがまがしい羽音が聞こえて来た。
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