第8話 ぴあの、服を買う

 次の朝、早起きしたぴあのは宿屋の裏手で吟遊魔法の練習をすることにした。ヴォルナールに渡された歌集には細くて丁寧な字で音階らしいものと歌詞が書いてあった。


「おんなじではないけど五線譜に似てる……から、なんとか歌えそう。まずは失敗しても被害が少なそうな感じので練習しよう。それにしても文字も読めるようになるなんて、このチョーカーすごいな……」


 おそらく、この歌集を書いたのはヴォルナールのもういない妻のフィオナなのだろうとぴあのは思った。フィオナはあまり教育の行き届いている家の生まれではないのか最初こそあまり字もうまくなかったが、終わりの方は書きなれて読みやすい字を書いている。「声の大きさで威力がかわるので加減する!」などいろいろと書き込みもしてあって、ぴあのは初めてバイトをした頃のことを思い出したりした。


「努力家だったんだな……フィオナさん。私も頑張らなきゃ。水の魔法だったらそんなに被害も出ないかな。なるべく小さめの声で……」


 空の水桶が置いてあったのでそれを覗き込んで、歌集を見ながら水の歌を歌ってみる。すると昨日傷を治した時のように口から光の粒が飛び出し、空中でくるくると回りながら水の塊に変化して桶の中にぼちゃんと落ちる。濁りのない綺麗な水がちゃぷちゃぷと満たされた桶を見て、ぴあのは自分の譜の読み方が間違っていないことを確認できた。まずは一歩前進だ。


「あらあ! お水汲んでくれたの!? あんた昨日から泊ってる子ね? 水汲みに行くの腰に堪えるから助かるわあ!」


 いっぱいになった水桶とぴあのを見て、宿のおかみさんが声をかけて来た。どうやら朝に水を汲んで仕事が始まるらしい。そういうつもりはなかったのだが、使い道のない水なので折角だから裏口まで運んであげることにした。

 祖父母の家に住んでいる時、良かれと思って手伝おうとすると「あらあ、好かれようとしてるのかしら。どこでこういうの覚えるの? こすい子だこと」などと言われてしまって悲しい思いをした。手伝わなければ手伝わないで嫌味を言われるので朝練のあるコーラス部に入ってさっさと学校に行ってしまうようにしていて、そのせいで五線譜を読むことができるのだが、自分が何の気なしにしたことで怒られたり嫌味を言われるのでなく感謝されるのはとても嬉しいと思うぴあのだった。


「ああ……なんだか楽しくなっちゃった。別の魔法も試してみたいなあ。火とかは怖いからもっと広いとこで試すとして、何々……? つむじ風の歌なんてあるんだ、ちょっと歌ってみようかなあ」


 元居たところに戻って来て、ぴあのは今度はつむじ風の歌とやらを歌ってみる。あまり大きな声を出さないように気をつけはしたが、もともと歌い慣れているぴあのの声は控えめな性格に反してボリューム大き目なのと、嬉しさも手伝って予想より良く通る歌が出た。


「ちっちゃい竜巻が出たっ! あ……でも、あれれっこっち向かってくるっ!!」


 自分の口から出た小さい竜巻に追われ、ぴあのは裏庭を逃げ回る。先ほどの水もいつまでも出続けていたわけではなかったのでそのうちに消えることは予想できたが、案外威力が大きくなってしまったようでなかなか消えない。


「きゃ……服が、わっ、きゃっ! やめてやめて!」


 小さな竜巻はぴあのがこちらの世界に来た時のまま着ていたパーカーとワイドパンツを巻き込み、かまいたちのように切り裂いてようやく消えてくれた。


「……おい! 何やってるんだ! どういうことだこれは!!」


 ボロ雑巾のようになった服を体にかき集めてへたりこんだぴあのを見つけてヴォルナールが駆け寄ってくる。外の便所に行った帰りらしい。


「ヴォ、ヴォルナールさんッ? す、すみません。風の魔法に失敗しちゃって……」

「…………馬鹿か? どうして初めてすることをいきなり一人でやろうとするんだ。暴れるモンスターを倒すような魔法だぞ? 扱いに気をつけろ」

「す、すみませんでした……」


 ぴあのは叱られて咄嗟に頭をかばう。それを見て、ヴォルナールは苦虫を噛みつぶしたような顔をし、そしておもむろに自分が着ているシャツを脱いで寄越した。


「着ろ」

「え? その、いいんですか?」

「そんな恰好でうろついて輩に襲われでもしたら保護している俺たちが無能の誹りを受ける。いいから言う通りにしろ。

「あッ……はい……すみません……ありがとうございます」


 ぴあのは渡されたシャツと上半身裸になったヴォルナールを見比べて戸惑うが、自分の今の恰好がかなりひどいことに気が付いて厚意を受けることにし、彼のシャツを身に纏った。


「まったく。お前の様な者を見張りながら戦っていたら俺たちはすぐ全滅だな。だから連れて行くのは嫌だと言っているんだ……」

「ちょっとあんたたちなにやってんの? え? どういう状況?」


 くどくどと説教してくるヴォルナールだったが、言っていることはもっともなのでぴあのは素直にそれを聞いた。そうしていると、起きて来たらしいパルマが通りかかり、半裸のエルフとそのシャツを着た稀人の姿を認めて駆け寄ってくる。


「あ、おはようございます……」

「この女、一人で風の魔法を使ってこのざまだ。お前はこいつを連れていく方針を主張するならちゃんと見ておけ!」

「ええ~! 声かけてくれたら手伝ったのに~!」

「すみません……すみません……」

「だいたい怪我がないからいいようなものの……」


 そこまで言って、ヴォルナールは口を閉ざした。そしてとても小さな声で「別に心配したわけじゃないが……」などともごもご呟いた後、ぴあのの服を何とかするようにパルマに頼んだ。そしてふいとそのまま宿の中に入って行ってしまう。


「あいつはも~……。ごめんねピアノちゃん。覚えられなかったら娼婦になれとかあいつが言うから焦っちゃったんだよね。ほんとにどこにも怪我はない?」

「あ、いえ……。ヴォルナールさんの言う通りです……私が軽率でした」

「あたし付き合うから、練習する時は声かけて。迷惑なんかじゃないから。あたしたちがピアノちゃんの吟遊魔法に期待してるんだし……。まあしかし、確かにその恰好は酷いね。よし、服買いに行こう! とりあえずあたしの服貸すから、部屋においで! まだアスティオ寝てるけど、叩き起こして追いだすわ」


 パルマは背が高くて細身なので借りた服は幅がきつくて丈が長かった。ぴあのはヴォルナールのシャツを上着のように羽織って、パルマと共に街に買い物に出た。

 昨日は通り過ぎただけの市場にはいろんな露店が出ていて、衣類や装飾品もたくさん並んでいる。さっき水を運んだ時におかみさんに握らされたお駄賃でも買えるほど安価なものもすぐに見つかった。


(戦ったりするんだからなるべく丈夫で派手じゃない奴がいいよね……)


 そう思ったぴあのが地味なものを手に取ると、パルマがそんなのダメ~とそれを奪った。


「いやいやいや、せっかくだから可愛いのにしなよ! 最近の流行は派手色だよ!」

「え、でも。遊びに行くんじゃないのにふざけてるんじゃないかって思いませんか……?」

「そんなことないって。山に陣取ってる残党をそっちの担当の勇士が倒したから、いろんな鉱石が採れるようになって綺麗な色の布が出回るようになったんだよ。ほら、これなんかピアノちゃんに似合うんじゃない?」


 代わりに深い青色のワンピースをぴあのの体に当ててみるパルマ。


(ぴあのは控えめだから派手なの似合わないって~)


 アヤネと一緒に服を買いに行くと、彼女は自分は派手な服を選び、ぴあのには地味なものばかり勧めて来た。他人が似合わないというならそうなのだと思ってその通りの物を着て来たが、もしかしたらそれは思い込みだったのかもしれない。手渡された青いワンピースは、たしかにぴあのの肌の色に合っていた。

 まだ母親と二人で暮らしていた小学生の時、家で一人で魔法少女のアニメの動画を繰り返し見ていたことをぴあのは思い出す。そのアニメの少女たちは歌で戦っていて、その中でも青い色担当の子がお気に入りだった。考えてみたら自分も歌で戦うことになるかもしれないのだから、同じ色を纏ったらあの子に勇気をもらってるような気持ちになれるかも……。


「私、これにします」

「うん、それがいいって!!」


 パルマの笑顔は含みのないもので、ぴあのはそれを見て「親友」という言葉は本当はこういう人に対して使うものなのかもしれないと思った。

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