第3話 ぴあの、助けられる

「ええっと……。あっ、まずは助けてくれてありがとうございました」

 

 いろいろとわからないこともあるが、とにかく言葉が通じることになったのでまず改めて礼を言わなくてはと思ったぴあのは二人にぺこりと頭を下げた。


「気にしないで。あたしたちが近くにいたのはあんたの運が良かっただけだから。あたしパルマ。あっちはヴォルナール」

「あ、えっと、その、音無……ぴ、ぴあのって言います」

「オトナシピピアノ? 全部名前? どこかから家の名?」

「す、すみません。苗字……家の名前が音無で名前がぴあのです」

「ピアノかあ」

「すみません、すみません、変な名前で……」


 今になっては我が身以外の財産である大事な名前だが、祖父からも元彼からも変な名前だと詰られていたので、ぴあのはつい癖で謝ってしまう。


「そんなことないよ。可愛い名前じゃない。ねえヴォルナール?」

「無駄口はそのくらいにしろパルマ。早く今の状況を説明してやれ」

「あんたもう少し愛想よくできないわけ?」

「あ……! そ、そうなんです。私急にあそこに居て。気が付いたら追いかけられてて。ここがどこなのかもわからないんです。もしご存じでしたら教えていただきたいのですが……」


 ここはどこなのか。どうして自分はここにいるのか。さっきまでわからなかった言葉がどうして今はわかるのか。そしてこれからどうしたらいいのか。安全が確保できると、疑問は後から後から湧いてくる。パルマとヴォルナールは一つずつぴあのの問いに答えてくれた。


「ここは竜骨街。魔王城の廃墟に一番近い街だ。元は戦の最前線の砦だったが、もう終わったので街として機能している」

「二年前にね。世界を魔物で埋め尽くそうとしていた魔王と勇者が戦って、死にそうになった魔王がこの世界から離脱したことで戦が終わったんだ。あたしたちはその勇者と一緒に戦ってた勇士って言われてる冒険者パーティだよ。今は残党狩りの真っ最中さ」

「……昔から、世界の外に出ていってしまう者は存在した。そして、その数年後に出て行ったのと同じ人数だけ外からやってくる者が確認されている。そしてそれは稀人と呼ばれている。おまえも恐らくそうだ。稀人の多くは言葉がわからないが、今お前が首につけている道具を使うことでこちらの言葉がわかるようになる……仕組みは知らんが」


 二人の言うことが嘘でなければ、きっとここは異世界とでも言うべきところなのだろう。元彼のトキヤが自分を無視してまでやり続けていたゲームにそんなのがあったな、とぴあのは思い当たった。魔王とか勇者とか、そんな単語もゲームによく出て来た。ぴあのは首に填められたチョーカーに指で触れてみる。真ん中に小さな石がついているような感触がした。


「ヴォルナールはエルフなんだ。知ってる? エルフ。長命種。見た目よりずっと爺さんなんだよ。だから前の稀人が来た時のことも知ってる。その時とおんなじなんだろ? ヴォルナール」


 パルマはおしゃべりが好きなようで、時々話を脱線させる。ヴォルナールは「俺の話はいい。話の腰を折るな」と彼女を制止し、説明を続けた。


「魔王はいなくなったが、魔王の配下の一人がまだ残っていて魔王城に籠城している。その女は元の敷地を全て植物の蔓で覆い、人間の女を襲わせてはモンスターを産ませる苗床にしているんだ。おまえが行き逢ったのはそれだ」

「あそこが危ないってみんな知ってるけど、あっちも手駒を増やそうと必死だから惑わされて迷い込んじゃう女の子が後を絶たないんだ。だから見つけたらなるべく助けるようにしてるんだよ、あたしたち」


 その話を聞いてぴあのは下腹に触手が入り込んできたときのぞっとする感触を思い出し、気分が悪くなった。あのまま助けが入らなかったら自分も無理やりモンスターとやらを産まされ続ける運命だったということだ。そんなの死ぬより辛いに決まってる。悪いことばかり続いたが、助かった幸運には感謝せざるを得なかった。もう一度礼を言おうとしたが、気分が悪くて顔があげられない。何故だか無性に喉が渇いた。あれから水分をとっていないからだと思ったが、それにしても急に体が熱くなった。特に今意識した下腹部が熱く疼いた。


「あの、すみません……お話の途中なのですが喉が渇いて辛いんです……お水をいただけませんか……」

「水でその渇きは癒えない」


 ヴォルナールの答えに、それはどういう意味かと尋ねようとしてぴあのが顔を上げると、彼は自らの掌を小さなナイフでざっくりと切った。


「きゃッ、痛ッ! な、何をッ?」

「痛いのは俺のほうだ。口を開けろ」

「えっどうして? い、いやです!」

「早くしろ、垂れる」

「ごめんねピアノちゃん。言う通りにして」


 彼がその血を自分に飲ませようとしてるのだと察してぴあのは顔をそむけるが、ヴォルナールに顔をしっかりと掴まれ口を開けさせられる。その力はとても強く、なすすべなく舌に血の雫がしたたり落ちた。他人の血を飲まされるということへの忌避感でこわばった体を、その味はしかし一瞬で解きほぐした。


(え……? 甘い……蜂蜜みたい……おいしい……)


 失恋と裏切りでの傷心、知らない世界に放り出された心細さ、恐ろしいものに追いかけられて弄られた不快感と恐怖に疲れ切ったぴあのの心と体に、その甘さは優しく染み込んだ。それがヴォルナールの血液だということを忘れて、彼女は必死に味わい、飲み下す。


「このくらいで充分だろう」

「……は……っうっ……」


 しばらく飲んだところで、ヴォルナールの手がぴあのの口から唾液の糸を引きながら離れた。ぴあのは美味すぎるそれを名残惜しく思い無意識に追いかけそうになってしまって、それに気づいて慌てて口を押さえて舌を押し込む。その後吐き気が襲ってきて、また話せるようになるのに数分を要した。そんなぴあのに、パルマが言いづらそうにしながら告げた。


「ピアノちゃん。あたしたち、あんたに謝らなきゃならないことがある。あたしたちはピアノちゃんの命は助けることができた。でも、何事もなく無事に助けられたかっていうと、それにはちょっと到着が遅すぎたんだ」

「う……おえッ……? それ……どういう……?」

「おまえは苗床にはならずに済んだが、その前段階の処置を施されてしまった。下腹を見てみろ」


 ヴォルナールに促されて、ぴあのは言われる通りに着ていたシャツを捲って臍の下を恐る恐る見た。そこには、うっすらとなにかスタンプでも押したかのように見慣れない模様が存在しており、擦っても取れなかった。


「これ……」

「あんたのお腹に、あのモンスターの雄しべが食い込んでたろ。それであんたの体は変わっちゃったんだよ。よりモンスターを産み出しやすいようにね……」

「え……?」

「言っていることがわからないか? ならわかりやすく言いなおす。おまえには生き物の雄の精を採り続けないと気がおかしくなってしまう呪いがかかっている」

「……えッ?」


 告げられた事実をすぐには理解できず、ぴあのは呆けてしまう。何? 呪い? 雄の精? 気がおかしくなる……?

 

「今みたいに血でもなんとかはなるんだけど……。血なんか飲んだらやっぱり吐き気しちゃうし、精より正気を保ってられる時間が短いんだ。やる方も毎回自分を傷つけるのは痛いしね」

「あの段階で解放される例はそうそうないんだが。野良でああなった女は血や精を求めて正気を亡くし男を襲うモンスターに成り下がって討伐対象になってしまうことが多い」

「そんな……ただでさえどうしたらいいかわからないのに……私……一体どうしたら……?」


 次々と襲い掛かる不運に打ちのめされ、ぴあのは泣き笑いの曖昧な表情で目の前の者たちにすがるように震えた声で尋ねる。しかしそれに対するヴォルナールの返答はわずかな救いを求めるぴあのにとって更に辛いものだった。

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