第25話 幕間

 ぴあのとヴォルナールがお互いの熱をぶつけあっていたその頃。いばらの迷路が厳重に守っている魔王城は変わらず静かに聳え立っていた。人間の王族が住まう窓の多い明るい王城とは違い、暗く冷たい灰色の壁に外の迷路と同じような蔓が中まではびこっている。植物の蔓でできた使用人がその中を忙しく、しかし静かに行き来していた。城の清掃などはその使用人たちがしているらしく、魔王不在の今でも蔓がはびこっている以外にその天井には染みひとつない。だが音楽を奏でるような感性を持ち合わせている者はないらしく、今その高い天井にまで響いているのは淫らな女の嬌声だった。

 暗い色の調度品で揃えられた魔王の寝室で、その女はかつて魔王が纏っていた豪奢な衣装をごっこ遊びの子供のようにいびつに纏った植物モンスターと激しく抱き合っていた。モンスターが不自然に蠢くたびに女の悲鳴のような声があがる。


「魔王様ッ! お慕いしておりますッ……、早く戻って来てくださいッ……。レリトは一生懸命お留守を守っておりますッ……。んあッ……」


 植物モンスターによる衝撃を受けるたびにレリトの腰から伸びた濡れ羽色の翼が痙攣しながらわずかに開く。白い肌をピンク色に染め、足を大きく開いて異形の塊を受け入れるその体は華奢で細く、いやらしさよりも壊れてしまうのではないかと言う心配のほうが勝つほどだった。やがて長く鳴く鶏のように尾を引いた声を上げるレリトが仰け反り激しく体を震わせると、彼女の相手をしていた植物モンスターの蔓はバラバラになり、衣装だけがばさりと彼女の体を隠してやるように寝台に落ちた。


「はあ……、はあ……、ぐすっ、寂しい……、魔王様ぁ……レリトは寂しゅうございますぅ……、いつまでこんな……うっ、うっ……」


 中身のない衣装だけを抱きしめ泣いているレリトの姿はとても魔王幹部などやっているような怪女には見えず、いたいけな少女にすら見える。分厚い黒い真っ直ぐな前髪をきれいに切りそろえ、そこから覗く瞳はまだあどけないがひたすらに暗い。汗まみれの白い裸体をぐったりと横たえ、すんすんと洟をすする彼女が落ち着いたころ、寝室に一匹の邪妖精がぷぃんと飛んで入って来た。迷路の中でぴあのたちが遭遇した者よりも一回り大きく、賢そうな顔つきをしていた。


「なんじゃ……、手遊び中には入って来るなと言ったじゃろ。殺されたいのか……? まあよい。言うが良い……」


 恨めし気に見上げるレリトに、邪妖精は人間には聞き取れないキィキィとした声で何事か告げた。


「嘘じゃろ? 鍵を開けてコボルトの集落まで入って来た奴が出たと……? あの歌う女は殺しておいたし、開けられた鍵もまた閉めておいたのに……。そう。また新しい歌姫を見つけたってわけか……。で? そいつらは今何しておる。ふぅん。コボルトの集落で休んでおるのか……」


 黒いたっぷりとした袖のドレスを身に着けながら、レリトは邪妖精の報告を聞く。その顔はイライラと癇癪でも起こしそうな表情だった。


「コボルトの奴めら……。魔王様が犬好きであったし、たわいない種族だと思っていたから妾わらわに協力しないのも咎めずに捨ておいてやっていたのに……。わかった。コボルトの集落ごとそやつらを襲撃しろ。面白くない」


 レリトに命じられた邪妖精はまた羽を鳴らして寝室から出て行った。ドレスを纏ったレリトはまだ動く気にならないのかまた物憂げに魔王のベッドに身を預けなおした。


(もしこれでコボルトたちが全滅でもしてしまったら、帰って来た時魔王様は悲しむであろうな……。まあその時は侵入者のせいにしてしまえば大丈夫じゃろ……。死んだ者は口を聞かぬし、例え犬コロであろうとも妾以外が魔王様の寵愛を受けるなど許せぬしな……くふふ)


 レリトは自分がこの世界にモンスターを増やしつづけていればいつか魔王が戻ってきてくれると信じていた。どうやら自分以外の幹部は不甲斐ないことに皆倒されてしまったようだが、それであれば自分がこの魔王城といばらの迷路を守り抜けば戻ってきた暁にはより寵愛を施してくれると強く信じ込んでいたのだった。


「そうだ! もしかしたら犬たちをむざむざ死なせた妾にお仕置きしてくれるかもしれない……! 魔王様早く帰って来てくださいませ、レリトはあなた様のご寵愛のために家族も友も恋した男も全て投げうって、その逞しいお力に屈服した女でございます!! あなた様のお留守を必死で守っております! そんなレリトにどうかお情けをくださいませぇえええ!!!!」


 瞳孔の開いた目で虚空を愛おしそうに見つめて叫ぶレリト。そこには彼女以外に誰もおらず、彼女が正気の状態ではないという事実だけがそこにある。


「ああ……レリトは魔王様に幸せを教えてもらっていただいてからずっとあなた様の虜でございます……♡」


 愛しい男の寝台に敷かれたシーツを掻き抱きながら、レリトは魔王との思い出を夢想する。彼女は元々魔族たちを統べていたかつての王の娘だった。父王を討たれ、牢に監禁された彼女は初めは抵抗していたが、新たな魔王に繰り返し汚され、毎晩身の程を叩き込まれるにつれ、次第に憎い相手を愛するようになっていた。彼女のモンスターを造り出し呪いをかける能力を欲しがっていた魔王は彼女を快楽と愛欲で支配し幹部に据えて戦に利用していたのだった。


「おままごとみたいな恋しか知らなかったレリトに大人の愛を教えて下さった魔王様……♡ 生娘だったレリトを立派な雌に生まれ変わらせてくださった魔王様……♡ レリトはあなた様の帰りを待ち続けております。また戻って来てすぐ侵攻を始められるように……」


 魔王が彼女ごとこの世界を捨てて出て行ってしまったことを彼女はまだ知らない。言っても信じないし、彼女にそんな進言をする者はもう誰もいないのだ。だから彼女のやっていることにはもう何も意味がないというのに、彼女はモンスターを増やすことをやめようとしない。狂った女の妄執だけがそこにあり、ヴォルナールたちはそんな狂気に満ちた迷路を攻略しているのだった。

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