十三 証拠を探せ

 霜月(十一月)二十日。

 世話役の田助の手下となって大黒屋の奉公人として働くこと一ヶ月。

 安吉と五助は、世話役が国問屋の商いを一手に引き受けて店を切り盛りしている事に気づいた。

 安吉と五助は、お堀端の土蔵に収められている国内各地の産物から、世話役が指示した品を店に運び、店先に並べた。廻船問屋黒川屋を営んでいた安吉(黒川屋安兵衛)だ。国問屋大黒屋の店先に並べる品々から、どれが売れ筋か、それなりに察しがついた。


 店と土蔵を行き来する間、安吉と五助は、なぜか主の大黒屋清兵衛とも、大番頭を名乗る与平と、番頭を名乗る三吉とも顔を合わせなかった。

 いったい、三人は何処にいるのか、世話役にその訳を訊いてみようか・・・。

 だが、それは阻まれた。世話役の手下となって黒屋に奉公できた理由の一つに、五助と安吉は余計な事を言わぬ、との人品があった。

 今さら、それを覆してあれこれ訊き出したら、大黒屋の奉公人になれたこれまでの苦労が水の泡だ。一刻も早く、盗まれた大福帳を取り返し、抜け荷をしているであろう大黒屋の裏大福帳か、それに類する物を探さねばならない・・・。


 まさか、主の清兵衛と与平と三吉を店で見ぬのは、国問屋の商いを女将である女房の稲に任せ、夜盗をしているからではなかろうか・・・。

 とはいうものの、女将の稲を見るのは希で、主と女将の間に産まれた今年二歳の娘も、主が妾に産ませたと聞く一歳の娘も、安吉と五助は見たことがなかった。

 いったい、どうなってんだろう・・・。


 土蔵から運んだ品々を店先に並べると、

「主や女将、名ばかりの大番頭と番頭がおらぬのを不思議に思っておろう・・・」

 世話役は、店に並んだ品々を納品大福帳で確認しながら囁いている。

「へい・・・」

 安吉と五助は囁いて品々を並べた。


「子どもに『はしか』が出おってな・・・。根岸の寮に引っ込んでおるのさ・・・。

 商いにもさしつかえるから、他言はせぬように・・・」

 世話役は店先の品々を見て、納品大福帳に筆を入れている。

「そういうことでしたか・・・」

 五助は品々を並べながら囁いた。



 その夕刻。

 仕事が終わると、日本橋米沢町の国問屋大黒屋から、日本橋富沢町の御堀端にある廻船問屋黒川屋の裏長屋に帰る道すがら、五助が八吉に訊いた。

「安吉つぁん、世話役の話、どう思う」

「主が世話役に嘘を言ってるとも考えられるから、根っから信用はできねえが、 世話役の話が事実なら、今が絶好の機会だと思う・・・」

「じゃあ、すぐにも、忍びこんで」

「いや、世話役の話が事実か否か、確認が先と思う・・・」

 安吉は五助の身を案じていた。五助には恋い女房の美乃がいる。五助は黒川屋の騒動とは無関係だ。これ以上捲き込んではならぬ、との気持ちが安吉に湧いていた。


「確認してる間に、主たちが店に戻ったら、どうするんだい。

 もしかして、あっしの身を案じてるんかい。なあに、安吉つぁんの心はお見通しさ」

 五助は笑った。安吉の思いを感じていた。

「五助さんの言うことも、もっともだ。明日にも、探るか・・・」

 安吉は心を決めつつあった。



 翌日。 

 霜月(十一月)二十一日。暮れ六ツ半(午後七時)。

「頼まれ物があるので・・・」

 安吉と五助は奉公人にそう言って大黒屋の奥座敷に入った。世話役はすでに店をあとにして、馬喰町の居酒屋角源の傍の自宅へ帰っていた。


 探し物はすぐ見つかった。奥座敷の床の間の地袋の隠し戸棚の中に、黒川屋から盗まれた大福帳の一冊があった。

 すぐさま、これは罠だっ、と安吉は気づき、五助に囁いた。

「これはいかぬっ。五助さん、出ようっ」

「こいつを取り戻さねえのかいっ」

 五助が大福帳を見てそう囁き返した。

「こいつを持っていったら、こっちの首が危ねえぞっ。後で説明するっ」

「分かったっ」

 安吉と五助は、大福帳を持たずに、一目散に大黒屋から逃げだした。


 日本橋富沢町の廻船問屋黒川屋の裏長屋へ走りながら、安吉は説明した。

「俺の裏大福帳は全部で七冊あった。だが、あったのはあの一冊だ。

 あの一冊が無くなれば、大黒屋は、誰があれを盗んだか、誰が残りを探しに来るか、探るはずだ。そうなれば、俺たちが疑われる。

 大黒屋は、はなっから俺たちを疑ってた。

 あの世話役も、奴らの一味だ・・・」

「くそっ、話ができすぎてたって事かっ・・・」

「五助さん、郷に戻れっ。長屋に帰ったら、路銀を渡す。俺の願いを聞いてくれっ」

 五助は安吉つぁんの言葉に只ならぬものを感じた。

「分かったぜ。安吉つぁんの言うとおりにするぜ」

 五助は納得した。 



 長屋に帰ると安吉は、五助と美乃に路銀の百二十両を渡した。ひと月に一両(二十万円)かかるとすれば、十年は暮らせる。

「すまねえ。俺の騒動に巻きこんじまって、挙げ句がこのざまだ。郷に帰って、しばらくおとなしくしててくれ。江戸に出るんじゃねえよ」

「何を言うんだ安吉つぁん。危ねえ事は、はなっから承知だ」

「五助さんは何も咎められる事はしちゃいねえ。郷で、一旗揚げてくれ。

 五助さんの商売繁盛を楽しみにしてるぜ」

 安吉の意志は固かった。何としても、この気の良い夫婦を安全な所へ逃したかった。


 五助は安吉の強い思いを感じた。この金子、いざという時の特別な金子だろう。それを俺たち夫婦によこすのだから、とんでもねえ危険があの大黒屋にあるっつて事だ・・・。

「分かった。今すぐ、ここを出る。

 美乃、旅支度しろ。ここにある物は、安吉つぁんに使ってもらう」

「あいよっ」

 安吉と五助の只ならぬ雰囲気に、美乃は納得していた。


「大家には、俺から話しておくから安心してくれ」

「じゃあ、安吉つぁん、達者でなっ」

「はいよ、いろいろありがとうよ。感謝してるぜ。生まれてこの方、五助さんのような者にあったことはねえ。感謝しても仕切れねえぜ。

 さあ、早く行けっ」

「またな」

「はいよ」

 五助と美乃は日本橋富沢町の御堀端にある、廻船問屋黒川屋の裏長屋から出ていった。

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