十四 黒川屋取り潰し

 霜月(十一月)晦日。朝五ツ(午前八時)。

 同心岡野智之助が与力藤堂八十八の詰所に現われ、手にしていた物を藤堂八十八に渡した。

「なんだっ、これは」

「はい、目安箱の中に入っておりました。添え文によりますと、裏商いの大福帳です」

「この大福帳を書いたのは、誰だ」

「大福帳に有る名は、黒川屋の主の黒川屋安兵衛です。添え文にもそのよう有ります。しかし、解せませぬ。裏大福帳に、己の名を書く悪徳商人居るとは思えませぬ・・・」

 同心岡野は溜息をつきながら、添え文を藤堂八十八に見せた。


 藤堂八十八は渡された添え文を読んでしばらく考えていたが、

「では、黒川屋安兵衛をしょっ引いて、事情を聞くしか有るまい」

 と黒川屋安兵衛を北町奉行所に連行するよう指示した。

「はい」

 岡野智之助の返答を聞きながら、藤堂八十八も解せなかった。こんなに簡単に、裏商いの大福帳が出るはずがない・・・。黒川屋安兵衛を詮議すれば分かることだが、黒川屋安兵衛は、誰かに嵌められたのではあるまいか・・・。



 半時ほど後。

 朝五ツ半(午前九時)。

 北町奉行所のいくつかの詮議部屋で、黒川屋安兵衛と番頭と手代がそれぞれ同時に詮議を受けた。

「この大福帳は、其方、黒川屋安兵衛のものか」

 藤堂八十八の問いに、黒川屋安兵衛が答える。

「私の名がありまするが、私のものではありませぬ。文字も私の字に似ておりますが、私の手によるものではありませぬ」

「他の者の手による、と言いたいのだな」

「はい、これが私のものなら、名など書きませぬ」

「確かに番頭も手代も、これが其方の物だとは言わなかった。

 これが其方の物で無い証は何だ」


「何もありませぬ・・・」

 黒川屋安兵衛は、『一歳にも満たない一人娘の登美と、抜け荷の儲け三千両を夜盗である日本橋米沢町の国問屋大黒屋に奪われた』と言えなかった。

 盗まれた裏の大福帳が大黒屋の奥座敷の床の間の地袋にあったのだから、黒川屋に入った夜盗が大黒屋清兵衛であるのはまちがいないが、大黒屋清兵衛が夜盗だと言えば、大黒屋清兵衛は拐かした登美を殺すだろう・・・。

 それに、へたに騒ぐと、抜け荷の裏商いを依頼した施主に被害が及ぶ。そうなれば、事は黒川屋の抜け荷だけではすまなくなり、北町奉行所の手を離れ、御上が指示する評定所扱いになる。施主の好意に報いるためにも、それは避けねばならない・・・。

 しかし、夜盗に盗まれた抜け荷の儲け三千両をどう説明すれば良いだろう・・・。

 黒川屋安兵衛は抜け荷を依頼している施主の体面を思った。


「では、この大福帳は其方のだな」

「私の物ではありませぬ。何度も言いますが、文字も私の字に似ておりますが、私の手によるものではありませぬ。それに、なぜ、それが目安箱にあったのですか。

 もし、大福帳に藤堂様の名が書いてあれば、藤堂様が裏商いをしていたと言えますか」

「一概にそうとは言えぬ。其方を嵌めようとする者がいるなら、誰だと思うか」

 黒川屋安兵衛は腹を決めた。

「恐らく、夜盗かと思います」

「なぜ、そう思うのか」

「実は・・・」

 安兵衛は腹を括った。これまでの事を説明した。


「では、一歳に満たぬ一人娘の登美と、抜け荷の儲け三千両と、裏商いの大福帳七冊を奪われ、大黒屋清兵衛の奥座敷の自袋に、その裏商いの大福帳の一冊を見つけたが、発覚を恐れ、持ち出さなかったのか」

「そうです。大黒屋清兵衛は夜盗『寝首かき一味』です」

「うむ・・・。其方の言葉だけで大黒屋清兵衛をしょっ引くわけにはゆかぬ・・・」

 そうは言うものの、藤堂八十八は言葉が無かった。黒川屋安兵衛の言葉で大黒屋清兵衛をしょっ引くわけにはゆかなぬと言いながら、目安箱にあった大福帳の名だけで、黒川屋安兵衛をこうしてしょっ引いているのだから、私もいい加減な屁理屈を捏ねている・・・。

「しばし、待て。岡野っ、見張っていてくれ」

 藤堂八十八は同心岡野智之助を呼び、詮議部屋の黒川屋安兵衛を見張らせ、北町奉行の詰所へ赴いた。



「御奉行。実は・・・」

 藤堂八十八は黒川屋安兵衛をしょっ引いた経緯と、安兵衛の証言を北町奉行に伝えた。


 話を聞き、北町奉行は即断した。

「黒川屋安兵衛が抜け荷をしていた証は無い。

 黒川屋安兵衛の証言は、大黒屋清兵衛が『寝首かき一味』だとの確固たる証には成らぬ。

 大黒屋清兵衛を泳がせる故、黒川屋安兵衛の身に害が及ばぬよう屍を用意し、見かけ上、黒川屋安兵衛を下手人げしゅにんにせよ。

 安兵衛に金子を与え、家族と奉公人を上州は高崎の在の五助の元に所払し、廻船問屋黒川屋は取り潰しだ。この事、他言無用だ・・・」


(下手人は、江戸時代に庶民に適用された死刑の一種。死刑のうちでは最も軽い刑罰で、斬首により殺害する刑だ。他に付加的な刑罰は科されない。

 下手人は、本来「手を下して人を殺した者」という意味である。江戸幕府法上、人を殺した者は死刑に処せられるべきであるという思想から、牢屋で斬首される死刑の一種を示すのに用いられた。

 下手人と死罪はともに斬首だが、死罪には財産没収が追加された。下手人は、身内がいれば遺体を引き取って埋葬することができた。死体は様斬り(試し斬り)にもされない点で、死罪より軽い刑だ)



「はっ、相分かりました」

 藤堂八十八は、『寝首かき一味』を探った大黒屋清兵衛に恩情をかける北町奉行の思いを察した。

 夜盗『寝首かき一味』は大黒屋清兵衛だ。しかし、黒川屋安兵衛の言葉だけで、物証はない。北町奉行は最初に講じた策のとおり、芳太郎に『寝首かき一味』を探らせ、父兼吉の仇を討たせる気だ・・・。だが、それまでに、『寝首かき一味』の被害者が出るのではなかろうか・・・。藤堂八十八は気が気ではなかった。



 その後。

 手筈どおり、無縁仏が黒川屋安兵衛の身代わりとなり、抜け荷の咎で牢屋内で斬首になった。黒川屋安兵衛夫婦は、奉公人の安吉夫婦として店の者たちと共に、上州へ所払いされた。

 黒川屋安兵衛に抜け荷を依頼していた施主の名はいっさい明かされなかったが、同心たちの探りから、藤堂八十八は、施主は霊岸島の越前松平家下屋敷の留守居役との、おおよその察しはついていた。

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