三十七 昇り龍

 吟味与力の藤堂八右衛門は詮議部屋に戻り、龍芳と布佐と雪を詮議部屋に呼んだ。

 与力の藤堂八郎に付き添われて龍芳と布佐と雪が板の間に正座し、藤堂八郎が床几に腰掛けた。


 一段高い吟味与力の座所に正座している藤堂八右衛門は、穏やかに話した。

「前置きは抜きじゃ。

 龍芳こと芳太郎。其方が昇り龍の龍芳と呼ばれる謂われは何か」

「実はこれが・・・」

 芳太郎は左の襟を肌けた。首から肩にかけて目を懲らして見なければ分からぬ、うっすらした痣がある。

「身体を動かしたり、酒を飲んだりして身体が暖まると、昇り龍の形をした赤い痣が浮き上がますんで・・・」

 芳太郎は、パンパンと痣の部分を手で叩いた。痣が浮き上がって、赤い昇り龍の彫り物のようになった。


「相分かった。其方が、大工の又八と『寝首かき一味』の与平が話した、昇り龍の龍芳だと理解した。

 さて此度は、其方と、母の布佐と、妹の雪こと由紀の働きにより、『寝首かき一味』の捕縛に相成った。雪は、己が料亭兼布佐から拐かされた由紀だと理解し、『寝首かき一味』の証拠を北町奉行所に届け、『寝首かき一味』の捕縛に協力した。

 其方が兄であり、御上の命により金貸しをしておる布佐が母であることも理解しておる」

 藤堂八右衛門は北町奉行から、芳太郎が北町奉行直々の密偵となった経緯と、今回の事件を解決に導いた芳太郎の妹の雪と、芳太郎と布佐の働きを聞いている。


 藤堂八右衛門の言葉に、芳太郎と布佐と雪は深々と御辞儀した。芳太郎は雪が行なった事をすでに藤堂八郎から聞いている。芳太郎を見て藤堂八郎は頷いている。


「此度は十五年以上の長きにわたる御上の働き、ご苦労であった。

 其方と母布佐と妹由紀に、北町奉行から然るべき御礼の言葉と褒美がある。

 一足先に、儂から御礼を申す」

 藤堂八右衛門は一段高い吟味与力の座所から、芳太郎と布佐と雪に深々と御辞儀した。


 布佐と由紀共々、芳太郎は驚いた。

 これはいったい何事か。北町奉行直々の密偵とはいえ、一介の町人風情の己に、吟味与力藤堂八右衛門様が深々と頭を垂れるなどあり得ない・・・。

 藤堂八右衛門様は、与力の藤堂八郎様の従弟叔父と聞いている。医者の松月先生と住職の丈庵様と共に、先の与力の藤堂八十八様や与力の藤堂八郎様が母に尽してくれた心遣いといい、藤堂家の人々はこうも礼を重んずる者たちか・・・。


「ところで・・・」

 藤堂八右衛門の穏和な態度が、威厳を帯びた詮議の態度に変わった。

「芳太郎。其方、『寝首かき一味』の清兵衛と女房のお稲が黒川屋から拐かした娘を匿っておろう。どこに匿ったか、申せ」

 藤堂八右衛門は鋭い眼差しで芳太郎を睨んだ。

「・・・・」

 芳太郎は、言葉に詰まった。

「どこに匿ったか、申せっ」

 藤堂八右衛門は芳太郎を睨んだままだ。

 芳太郎は腹を括って答えた。

「料亭兼布佐に匿いました」

「その娘、大黒屋の次女の多美ではのうて、其方の祖父母の遠縁の、隅田村の登美じゃ。その事に相違ないなっ」

 藤堂八右衛門の言葉に、芳太郎は耳を疑った。

 なんと答えればいいんだ・・・。藤堂八右衛門様は何を言いたいのか・・・。

 芳太郎は控えている藤堂八郎を見たが、藤堂八郎は目を伏せたまま押し黙って何も言わない。だが、笑っているようにも見える・・・。


「大黒屋の次女は行方知れずじゃ。捜して見つかるまい・・・」

 芳太郎を見つめる藤堂八右衛門の顔から威厳に満ちた詮議の態度が消え、笑みが浮んでいる。

 思わず芳太郎は藤堂八郎を見た。藤堂八郎は芳太郎に頷いている。

 芳太郎の目に涙が溢れた。

「はい、登美にまちがいありませんっ」

「登美を好いておるのか」

「はいっ・・・」

 そう答える芳太郎に、藤堂八郎は、密偵を務めて賭場と大黒屋に探りをかけていた芳太郎の報告を思いだしていた。大黒屋の主たちが『寝首かき一味』である確証を得るため、次女の多美に近づいた芳太郎だったが、いつしか二人は相思相愛になっていたのである。


「由紀と同様、登美は数奇な運命の娘であった事は否めぬ。

 二度と災難に遭わぬよう、其方がしっかり守るのだぞ。よいなっ」

「はいっ・・・」

 と言ったものの、芳太郎は由紀の裁きが気になった。 

 吟味与力藤堂八右衛門は芳太郎にほほえんだ。

「なあに、由紀の事は案ずるな。全て北町奉行からの指示じゃよ。

 北町奉行は、由紀をはじめ、大黒屋の奉公人に、恩情をかける腹だ。

 おっと、この事は儂の戯れ言よ。忘れてくれ」

 吟味与力藤堂八右衛門は芳太郎たちにほほえんだ。


(了)

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昇り龍 与力藤堂八郎② 牧太 十里 @nayutagai

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