十六 布佐の年期明け

 料亭兼布佐に夜盗が侵入して十年後、芳太郎は二十歳になった。

 北町奉行が、大黒屋に町方の顔が割れていると判断したとおり、町方の探りに大黒屋は隙を見せなかった。頼みの綱は密偵となった芳太郎だけである。



 水無月(六月)二十日。宵五ツ(午後八時)。

 丈庵住職は、下女として働く布佐を丈庵住職の方丈に呼んで穏やかに言った。

「十年になりましたな。御上は夜盗を捕まえるまで、今まで同様に布佐さんを守りまする。

 ひいては新たな御役目です。寺を出て、『金貸しを始めるように』との事。銭金を借りる客は無頼漢が多いはずです。無頼漢から情報を得て夜盗を炙り出す魂胆です。

 布佐さんが承諾下されば、与力の藤堂八郎様が北町奉行所に届けて手筈を整えます。

 この話、乗れますかな」

「はい」

 布佐は即断した。夜盗を炙り出す意志は、料亭兼布佐が夜盗に襲われて町医者竹原松月と丈庵住職と御上によって円満寺に匿われた折に固めている。何としても夜盗を捕まえて由紀を取り戻さねばならない・・・。

「あのう・・・」

「何でしょう」

「娘はどうなったか、調べはついたのてすか」

「その事は後ほど話します故、『金貸しを始めるように』との指示を説明しましょう」

 丈庵住職は笑顔で布佐を見詰めた。

「はい」

 丈庵住職の言葉と笑顔に、布佐は娘由紀について良い手がかりがあったのを確信した。


「では、下女奉公の年期が明けた事にして、ここで働いて下さった給金です」

 丈庵住職は百二十両を渡した。

「こんなにたくさんを、いったいなぜですか」

 布佐は驚きながらも尋ねた。

「月に一両、年で十二両、十年で百二十両です。金貸しの元手と生活の足しになさいませ」

「ありがとうございます。

 ところで、どのような御役目をすれば良いでしょうか」

「ひと月後から金貸しをするのです。

 安針町に鍼医の室橋幻庵先生が住んでおります。その隣の家を御上が管理しており、この家に住めるよう話を進めてあります故、そこで金貸しをするのです」

 丈庵住職は他言してはならぬ、と断わって説明した。

 鍼医室橋幻庵は北町奉行所の密偵を務め、不審な患者の情報を北町奉行所に伝えている。北町奉行所が管理してる家は、北町奉行所と鍼医室橋幻庵との繋ぎ(連絡)のための家だ。

 室橋幻庵の家は、妻と子息二人と下女の五人住まいだ。


 布佐は料亭兼布佐を切り盛りした気丈な女将だ。己がどういう状況に居るのか理解している。

「何から何まで、ありがとうございます」

「気になさるな。これも、布佐さんを匿うと決めた御上の成せる技。

 今後も御上の采配に従うて下され」

「では倅の方にもその様に伝えてあるのですね」と布佐。

 丈庵住職は落ち着いて話した。

「御子息には、御上が板前修業を見極めてから兼布佐を継がせる、と伝えてあるとの事でした。そして元服しました故、特別な沙汰を下した様子です・・・」


 丈庵住職の言葉に布佐の顔色が変わった。

「と言いますと、此度の一件が絡んでいますか」

 丈庵住職が声を潜めた。

「他言無用ですよ」

「はい、誰にも話しません」

「御子息は剣術修業を積み、日野先生と唐十郎様から、奥押し、と認められました」

 芳太郎の剣術が最高の評価、奥押し、と聞き、布佐は驚き、安堵した。あの子は幼いときから利発で感覚が鋭かった・・・。


「そして、布佐殿がおっしゃる通りです。『寝首かき一味』の目星はついておりまする」

「では、夜盗の一味を見つけたのですね」

「まだ、物証を掴んでいないようです」

「娘はどうしましたか」

「布佐さんの記憶が戻り、由起さんの特徴が分かりました故、藤堂八郎様に伝えました。

 おいおいに会えますでしょう。達者ですから御上を信じて急がずにお待ち下さい」

 布佐は今すぐにも由紀と芳太郎に会いたかった。丈庵住職の言葉で布佐は納得した。

「はい。今まで待ったのですから、待ちます。早まりはしませぬ。子どもたちの命が大切ですから」 


 翌日。

 水無月(六月)二十一日。昼四ツ(午前十時)。

 丈庵住職は北町奉行所に藤堂八郎を訪ね、布佐の奉公の年期明けを伝えた。

 直ちに藤堂八郎は、布佐が鍼医室橋幻庵の燐家で金貸しを始める手筈を整えた。



 一ヶ月後。

 文月(七月)二十一日。

 布佐は円満寺を出て、安針町の鍼医室橋幻庵の隣家に移り住み、北町奉行所から指示された通り金貸しを始めた。利息はひと月に三分(百分の三)、十日で一分(百分の一)一日一厘(千分の一)だ。

 布佐は沢庵と目刺しと小松菜の菜で飯を食い、ひっそり暮しながら金貸しを続けた。

 布佐の金貸しは多額の銭を貸し付けぬが、利息が安く、評判が良かった。

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