十七 昇り龍の龍芳

『御触書き 天下普請の事

 諸国繁栄の折、この期に、江戸市中を整備し、火災、嵐に耐え得る江戸市中を造るため、改修工事を奨励するに当たり、公儀(幕府)が費用を云々・・・』


 幕府は、天下普請と称し、各藩の土地開発と江戸市中の改築造を行ない、財政安定化を図るとの事である。これらに要する資金は各藩から調達するか、豪商たちから借りる予定と言うが、本音は、各藩の蓄財減らしが目的だ。各藩は資金の捻出に苦労した。

 大名屋敷内はその大名家の管轄であり、事件が起っても町奉行所は手を出せぬ。そのため大名家は天下普請の資金調達の一環として、使っていない下屋敷を賭場として使う事を黙認した。大名家の資金調達のため、公儀もこの事実を黙認した。

 越前松平家下屋敷は霊岸島にある。天下普請に湧く江戸市中の道路拡張と水路の拡張に各藩の財政負担はかさみ、越前松平家下屋敷も賭場と化していた。



 神無月(十月)十五日。宵五ツ(午後八時)。

 日本橋元大工町の大工の又八が、霊岸島の越前松平家下屋敷の賭場に現われた。

 又八は大工の腕は良いが大の博打好きだ。まともに働けば実入りは人並み以上だが博打好きが高じ、夜づっぱりで賭場に詰めているため、昼夜が逆転した生活を続けている。


 今宵も、又八は越前松平家下屋敷の賭場の帳場に得物を預け、持金の一両(四千文)を百文の掛札四十枚に交換し、賭場に座った。

 又八は客の賭け方を見ながら、客全員の賭る丁とは逆の、半に掛札一枚を賭けた。

 又八は勝った。


 また客の賭け方を見ながら、客全員の賭る半とは逆の、丁に掛札一枚を賭けた。

 また、又八は勝った。


 今度は掛札二枚を丁に賭けた。すると半に賭けていた客の大半が丁に掛け直した。

 結果は、又八と客の大半が負けた。


 ちくしょうっ。最初は勝ってたのに、客が俺の勝ち運に乗りやがって運気を持っていっちまいやがった・・・。あの商家のモンの勝ち運は、俺のものだったはずだ・・・。又八は、又八とは逆の半に賭けた商家の主らしき男を睨んだ。

 次は小口で、こっそり賭けよう・・・。そう思う又八だが、いざ賭け始めると熱くなって、全てを忘れるのが又八の常だった。

 勝った負けたが続き、最後に又八は負けた。元金の一両を全て擦ってしまったのである。

 畜生、全部、擦っちまった・・・。蕎麦を食う銭もねえ・・・。そう思って又八は賭場を出た。



 又八の後から、若えモンが賭場を出てきて又八に声をかけた。

「おうっ。擦っちまったんか。飲む銭もねえだろう。奢るぜ。ついて来な」

 若えモンは上背があり、見た目は役者の様ないい男だ。

「ありがとうよ。最初は運がついてたのに、運を取られちまった」

「客は、勝ってる客の運気に只乗りしやがる。ろくな考えもねえくせに・・・」

 若えモンは又八を連れて越前松平家下屋敷を出た。


「ところで、おめえさん、なんて名だい。俺は元大工町の大工の又八だ」

 又八は若えモンに訊いた。

「俺は龍芳たつよしだ。遊び人よ」

 龍芳は左の襟を肌けた。月明かりの下、賭場での酒と夜道を歩いて身体が暖まった事もあり、首から肩にかけて手の平の大きさの赤い昇り龍が浮き上がっている。

 月明かりに赤い昇り龍を見て、又八は、昇り龍の彫り物だ、と思った。こいつは単なる無頼漢じゃあねえぞ・・・。顔繋ぎしておいて損は無さそうだ・・・。


 又八と龍芳は霊岸橋を渡った。表茅場町へ歩いて越中橋を渡り、日本橋通一丁目に出た。又八の長屋がある日本橋元大工町は目と鼻の先だ。

 龍芳は又八を日本橋通の担い屋台の樽に座らせ、酒と肴と握り飯を注文して言った。

「あんな賭場でチビチビやっても、でかくは儲けられねえ。

 まあ、飲んでくれ」

 龍芳は二つの茶碗に徳利の酒を注ぎ、酒と肴と握り飯を又八に勧めた。


「ちょうだいするぜ。なんかうめえ話でもあんのか」

 そう言って又八は茶碗を取って酒を飲んだ。

 こいつ、俺の素性を知って鎌をかけて来やがった・・・。くそっ、空きっ腹に酒が酒が沁みるぜ・・・。


「うめえ話はある。米沢町の廻船問屋、福田屋の主夫婦の病死を聞いてんだろう。

 俺の探りじゃあ、抜け荷の儲けを盗みに入った夜盗が、主夫婦に毒を盛ったのさ。御上はその事に気づいちゃいねえが、同業の手口は、俺にはすぐわかる・・・」

 龍芳は酒を飲みながら、夜盗の手口を語った。

「そんなこったろうと思ったぜ」

 この若えモンも、夜盗か・・・。


「ほとぼりが冷めたら、またやるだろうよ。うまく話に乗りてえもんだ」

 龍芳は、ぐびりと音を立てて茶碗の酒を飲んだ。

「俺に心当りがある。話をつけてやってもいいぜ」

 やはり、鎌をかけてやがる。ならばその話に乗ってやるぜ・・・。

 又八がそう思うと龍芳は落ち着いて言う。

「ならば、さっきの賭場で俺に繋ぎをつけてくれ。掛札は俺が持つ」

 龍芳は、また、ぐびりと音を立てて茶碗の酒を飲んだ。


 この若えモン、俺の話に慌ててねえぞ。腹が据わってやがる・・・。素性を知りてえが、今はこの若えモンがいつ賭場に来るのか、訊くのが先だ・・・。

「昇り龍の兄貴は、いつ賭場に現われるんだい」

「五日、十五日、二十五日に賭場に顔を出す」

 龍芳は茶碗の酒を飲みながらそう言った。

「わかったぜ」

「まあ、飲んで、食え」

 龍芳は又八の茶碗に酒を注いで己の茶碗に酒を注ぎ、また、酒と肴を注文した。



 その十日後。

 神無月(十月)二十五日。宵五ツ(午後八時)。

 越前松平家下屋敷の賭場で、又八はしばらく博打をすると、隣に座っている龍芳に小声で耳打ちした。

「町方の探りが続いてっから、ほとぼりが冷めるまで動かねえらしい。また繋ぎをつけるそうだ」

「わかった。おう、また飲もうぜ。今日の勝ちは二分(二千文、掛札二十枚)だ。また奢るぜ。今後も繋ぎを頼むぜ」

「あいわかった。俺も運が向いてきたが、飲むのもいいもんだなあ」

 今日の勝ちは一分(千文、掛札十枚)だ。この昇り龍の若えモンと居ると、運気に恵まれる・・・。そう思いながら、又八は昇り龍の若えモンと共に越前松平家下屋敷を出た。


「昇り龍の兄貴は、仕事は何をしてるんですかい」

 夜道を歩きながら、又八は龍芳に訊いた。

「頼まれれば、探し物から始末まで、何でもする始末屋さ」

 又八は一瞬身震いした。この若えモンは殺しを請け負ってる刺客じゃねえのか・・・。

 そう思って又八は訊いた。

「始末の仕方はどのように」

「頼まれた通りに、何でもするぜ」

 龍芳は上背があって見た目は役者の様ないい男だ。この容姿から残忍な殺しは想像できない。その事が一層、又八の想像力を掻き立てた。

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