二十 又八の誘い
三年後。芳太郎は二十五歳になった。
水無月(六月)十五日。曇天の暮れ六ツ半(午後七時)。
龍芳と大工の又八は、霊岸島の越前松平家下屋敷の賭場にいた。
「これを使ってくれ」
この日、龍芳は一両を掛札四十枚に換えていた。この中から二十枚を又八に渡した。
「毎回、すまねえ。恩に着るぜ。
お返しと言っちゃあ、なんだが、後で耳寄りな話がある。
ほどほどに切り上げて、いっぱい飲みながら聞いてもらえねえだろうか」
「ああ、いいとも」
そう答え、龍芳は掛札五枚を半に賭け、又八は掛札一枚を丁に掛けた。
龍芳は勝った。掛札が五枚増えて手持ちは二十五枚になった。又八は負けて手持ちは十九枚だ。
次ぎに龍芳は半に掛札十枚を賭けた。又八は龍芳の勝ち運にあやかって半に六枚賭けた。
龍芳と又八は勝った。龍芳の手持ちの掛札は十枚増えて三十五枚、又八は六枚増えて二十五枚になった。二人合わせて掛札二十枚、二千文(二分)の勝ちである。
「さて、このくらいで、切り上げるとするか。
換金しねえで、次回の遊びに掛札を取っておけば、胴元は気を良くするぜ」
そう言って、龍芳は又八に目配せした。
この賭場から銭金が外に出れば胴元は気にする。しかし、掛札は焼き印しただけの樫の板だ。
「胴元さん、次回もまた遊ばせていただきますんで、今日は札を持って帰らせていただきますが、ようござんすか」
龍芳は丁重に言って胴元を見た。
「お持ち帰りくださいまし。次回のお越しを待っております」
龍芳と又八が換金せぬと知り、胴元は愛想良く答えている。
「それでは、これでお暇します」
龍芳と又八は、賭場で遊ばせてもらった礼を言い、賭場を出た。
龍芳と又八は霊岸橋を渡って表茅場町へ歩き、越中橋を渡って日本橋通一丁目に出た。
いつもの日本橋通の担い屋台の樽に座り、酒と肴と注文した。
「さあ、摘まんで飲んでくれ」
龍芳は又八の茶碗に徳利の酒を注いで、己の茶碗にも酒を注ぎ、串に刺した大蛤の煮付けを口へ入れると、茶碗の酒をいっきに飲み干した。
「いやあ、うめえなあっ。勝ったことだし、気分がいいぜっ」
「いやあ、今日の勝ち運は凄かったぜ。もっと続けたかったが、何事にも、引き際があるってモンよ。俺は龍芳の兄貴からそれを教わったぜ。
ところで、龍芳の兄貴は、葉月(八月)八日の夜九ツ(午前〇時)、身体は空いてっかい」
「実は七日の夜に、始末があってな。金貸しから取り立てを頼まれてる。日中は顔を出すとマズイから、夜中にしてくれと、先方からの要望でな。場合によっちゃ、焼きの二つ三つ入れなきゃなんねえのさ。すまねえなあ」
「そうか、残念だなあ・・・」
「でかい仕事かい」
「ああ、大仕事だ。夜回りしようと言う話があってな・・・。
その日、俺は野暮用があって、代わりの人足を探してたのさ」
夜回りとは盗っ人の間で交わされている、夜盗をする、の隠語だ。
「おめえさんも、始末をするのかい」
「始末って程じゃねえが、まあ、それなりにな・・・」
又八は無頼漢仲間から、大口の強請の依頼を受けていた。又八は続ける。
「今のところ、夜回り人足は三人だ。あと一人いれば仕事が楽なんだが、まあ、三人でなんとかなるはずだ・・」
「どこを夜回りするか、わかってんのか」
三人の夜盗が誰か知りたいが警戒されては困る・・・。下手に詮索して己を探られたら、今までの苦労が水の泡だ。又八が話すのを待つしかない・・・。
「いや、聞いてねえんだ」
又八は事実を話した。
龍芳と又八の話は小声だった。担い屋台の煮売屋に聞かれていなかった。
「まあ、飲んでくれ。仕事の話。ありがとうよ。
おうっ。酒と肴を追加してくれっ」
龍芳は又八の茶碗に徳利の酒を注ぎ、酒と肴を追加注文した。
「ちょうだいするぜ」
二人は明け方まで飲んだ。
「龍芳の兄貴の
「亀甲屋の裏長屋さ」
「というと、兄貴は亀甲屋の元締と・・・」
又八は、龍芳が香具師の総元締である亀甲屋の藤五郎の所縁の者と思った。
翌日。
水無月(六月)十六日。雨の明け六ツ(午前六時*日の出の30分前)。
芳太郎は神田花房町の料亭兼布佐を出た。
半時足らずで八丁堀の与力の藤堂八十八藤堂八郎の屋敷に着いた。
「芳太郎さん。朝早くにどうした」
そう言いながら、藤堂八郎は下女に朝餉を用意させた。
「急ぎの繋ぎです。元大工町の長屋に暮す又八と出くわしてもいけませぬので」
北町奉行所に出入りする呉服橋御門は日本橋元大工町のすぐ傍だ。日本橋元大工町の長屋に暮す又八を警戒して八丁堀に藤堂八郎を訪ねた旨を話し、又八が語った、葉月(八月)八日の夜九ツ(午前〇時)過ぎの夜襲を報告した。
「夜襲は葉月(八月)八日の夜九ツ(午前〇時)過ぎ、襲撃先は不明か・・・」
藤堂八郎は考えこんでいる。
「はい、又八は知らぬと言っていました。嘘ではないようです」
「相分かりました。引き続き、探って下さい」
藤堂八郎は説明した。
布佐は又八から、夜盗の手口を教えたのは大黒屋の番頭の三吉だ、と聞いている。夜盗が三吉の仲間か否かは不明だ。大黒屋がどこぞの大店を襲うとしても襲撃先が分からぬ限り夜盗を待ち伏せできぬ。大黒屋は常に町方が見張っている。夜盗が大黒屋なら直ちに知らせが来る。
「わかりました。探りを続けます。近いうちに次女の多美に近づきます」
「相分かりました。これから仕入れですか」
「はい、魚河岸に行きます」
「朝餉を食してゆきなさい」
「はい」
藤堂八郎は柏手を打ち、下女に朝餉を運ばせた。
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