十九 夜盗侵入

 翌年。芳太郎は二十二歳になった。


 水無月(六月)三日。夕七ツ半(午後五時)。

 布佐の金貸しの利息が今月からひと月に六分(百分の六)、十日で二分(百分の二)一日二厘(千分の二)になった。すでに利息の変更は藤堂八郎が手筈を整えている。


「くそっ、婆めっ。利息を上げやがってっ」

 大工の又八が一分金を一枚握り締め、ブリブリ文句を並べ立てながら、安針町の布佐の家から出てきた。布佐から銭を借りるなら、まともに働けば良いのだがそうはゆかない。何かにつけて遊び仲間の無頼漢が又八を博打に誘うのだ。


 水無月(六月)十日。夕七ツ(午後四時)。

 布佐は若い男と共に神田湯島の円満寺へ行くため、日本橋安針町から室町通りへ出て筋違橋御門を目差して北へ向かった。布佐は跡をつけている大工の又八に気づいた。


 又八は、布佐が若い男と会っているのを目撃してあらぬ噂を広めた。

「金貸しお婆が利息を倍にしやがった。挙げ句、若えモンと歩いてたぜ。

 貢いでるんじゃねえのか」

 そのため、安針町の金貸しお婆の布佐は、悪どい貸付けをして若えモンに貢いでいる、と噂になった。悪どいと言っても利息はひと月に六分(百分の六)、十日で二分(百分の二)一日二厘(千分の二)だ。高利貸しに比べれば遥かに良心的だが、世間は理不尽な口車に乗るのが常だ。

「お婆、若えモンに貢ぐのに溜めこんでるぜ。

 寝込みを襲って、溜めこんだ金子をもらっちまおうってもんよ」

 酔った挙げ句、又八は根も葉も無い噂を広めた。世間は、布佐が若えモンに多くの金子を貢いでいると思った。

 世間の噂を聞き、与力の藤堂八郎や円満寺の丈庵住職は、夜盗を炙り出す策が順調に進んでいるのを理解した。



 翌夜。

 水無月(六月)十一日。夜四ツ(午後十時)。

 布佐の家の、奥座敷の雨戸が音も無く開いた。そして障子戸が開き、黒覆面の男が、寝ている布佐の首を背後から羽交い締めにして首に匕首を当てた。

 布佐は料亭兼布佐に夜盗が入った十二年前を思い出したが慌てなかった。燐家で町方が手筈を整えて夜盗侵入の合図を待ってる・・・。こいつが誰か探ってやる・・・。

 布佐は夜盗に対する気構えができていた。布佐は落ち着いて夜盗の手を見た。有明行灯の薄明かりに、夜盗の手や指の傷痕がはっきり見えた。この傷痕は大工の又八だ・・・。

 夜盗の正体を知って布佐は騒がず静かにした。


「おとなしくしろ。首を斬られたくなかったら、金子を出せっ」

 又八は、布佐が金子を溜めこんでいると思い込んで押し入っていた。

「ここには一両(四千文)も無いわさ。

 こないだ、一分金(千文)を一枚借りにきた者がいたわさ。

 十日で利息は二分だから、十日後に返す分は、元金と合わせ、一分と二十文だわさ」

 有明行灯の明かりは暗いが、大工仕事で傷ついた手や指の傷跡は、明らかに大工の又八だった。


 又八は正体がバレたのを知り、ぎょっとしたが居直った。

「利息を倍にして貯めたこんでんだろう。溜めこんだ金子を出せっ

 あの若えのは誰だ。貢いでんだろう。違うか」

「おや、あんた、あの若いモンと知り合いかえ」

「知らねえから訊いてんだっ」

「耳を貸しな・・・」

 布佐は首に匕首を当てられたまま又八に呟いた。

「あれはなあ、昇り龍の龍芳っていって、あたしの身内さ・・・」


「なんだってっ。あの若えモンは龍芳の兄貴かいっ」

 布佐の話を聞き、又八の声が震え、手が震えた。

「あたしゃねえ、あの若いモンに、始末を頼んでんのさ。

 銭を貸した相手は、全てあの若いモンに伝えてあるわさ。

 あたしを殺れば、あんたも殺られる。それも、ちっとずつ切り刻まれて嬲り殺しだわさ」

「わかった。今日は帰る。ありがたく思えっ」

 又八は震える手で匕首を退けた。布佐の首を絞めていた腕を解いて匕首を懐の鞘に納め、その場から立ち去ろうとした。


「待ちなっ。夜盗の手口、誰に聞いたか教えなっ。

 答えねえと、うちの若いモンが黙っちゃいねえよっ。

 その耳と鼻をくっつけておきたかったら、話すんだねっ」

 布佐は声を押し殺して又八に言った。


「わかった。龍芳の兄貴には内密にしてくれ。頼むぜ。

 実は・・・」

 又八は、夜盗の手口を大黒屋の番頭の三吉から聞いた、と言って詳しく説明した。


 布佐は又八の言葉に驚いたが、それを顔に出さなかった。

 又八は話し終えると、

「龍芳の兄貴には、黙ってておくんなせい。

 借りた銭はきっちり返しますんで」

 と御辞儀して家から出ていった。


 翌朝。

 水無月(六月)十二日。暁七ツ半(午前五時)。

 布佐は、昨夜の出来事と、又八が語った夜盗の手口を、燐家の鍼師室橋幻庵宅に詰めている同心岡野智永に伝えた。

 直ちに岡野智永は北町奉行所へ走り、布佐の語った事を藤堂八郎に伝えた。

「わかった。ご苦労だった」

「大黒屋清兵衛をしょっ引きますか」

「又八と三吉が、そんな事を言った覚えは無い、と言えばそれまでだ。確たる証拠を掴まねばならぬ。引き続き、警護を頼む」

「わかりました」

 岡野智永は納得して鍼師の室橋幻庵宅へ戻っていった。

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