二 女房の保護
水無月(六月)二十一日。夜九ツ半(午前一時)。
夜盗が去り、しばらくすると布佐は気づいた。口から大量に出血していたが這い上がって壁を伝って歩き、家の外へ出た。そして、ここ神田花房町の料亭兼布佐から、知古である神田佐久間町の町医者
「松月先生・・・、助けて・・・」
布佐は竹原松月の家の玄関の引き戸を叩いたまま、その場で気を失った。
竹原松月は玄関の物音に気づいて目覚めた。妻の奈美に動かぬよう言い含め、玄関に立った。閂を外し、そっと静かに玄関の引き戸を開け、倒れている布佐を見て、一瞬に、料亭兼布佐が『寝首かき一味』に襲われたと確信した。竹原松月は密かに奈美を呼んで口止めした。
「奈美っ。兼布佐が夜盗に襲われたらしい。布佐さんを匿うから戸締まりして、人が来ても戸を開けるなっ。この事を他言するなっ」
「わかりました」
布佐の状況を判断した竹原松月に、妻の奈美は納得した。
ここ五年、商家の主夫婦が寝込みを襲われて首を斬られ、金子を奪われる夜盗被害が半年に一度の割で続いていた。夜盗は『寝首かき一味』と呼ばれている。
竹原松月の機転で、布佐は湯島の円満寺に匿われ、深夜にもかかわらず、初老の与力、
夜八ツ(午前二時)過ぎ。
布佐が気づいた。見覚えない部屋の褥に身を横たえていた。記憶が朧で何があったか思いだせなかった。
「布佐さん。安心なさい。ここは円満寺の奥座敷だ。
口の中を切っていたので縫合した。
此処に来る前、兼布佐の中を見て、藤堂八十八さんに事情を話した。布佐さんと兼吉さんは死んだものにした故、布佐さんの身は安全だ。
子どもたちが居なかったが、何があったか話して下さらぬか」
そう言いながら、竹原松月は布佐の脈を取った。
竹原松月の隣に、この円満寺の丈庵住職と、町与力の藤堂八十八が居る。料亭兼布佐の女将の布佐と亭主の兼吉は、丈庵住職と藤堂八十八とも顔なじみだ。馴染み客の皆に、料亭兼布佐の女将の布佐は子ども思いの気丈で知られている。
布佐は懸命に、何があったか、思いだそうとした。
「四人の夜盗が入って亭主を殺して三百両の金子を奪い、娘の由紀を連れ去った。
私を捕えていた夜盗の肌けた右胸に、辰巳下がりの彫り物があった・・・」
と言ってどっと布佐は泣き崩れた。そして、記憶が定かではないが泣きながら、料亭兼布佐に押し入った夜盗を説明した。息子の芳太郎は隅田村の布佐の両親に預けてあり、料亭兼布佐には居なかった。
「こんな折に済まぬが、夜盗に心当りはありますか」
初老の与力藤堂八十八は、本当に済まないと思いながら尋ねた。
「無いです・・・。亭主が三百両も金子を貯めていたのも、今夜、初めて夜盗の口から聞きました・・・」
「ご亭主を亡くし、娘を拐かされて大変と思いますが、また後日、話を伺いますので、気を悪くしないで下さい」
藤堂八十八は布佐を気遣った。
「はい・・・。ああ、由紀を連れ去った夜盗は女で、由紀の歳を知ってました・・・」
布佐は泣きながら呟いた。
「娘の名はどう書きますか。身体に痣など何か特徴が有りますか」
「名は『由紀』です。特徴は・・・、思い出せません・・・」
布佐は由紀の身体的特徴を思い出せなかった。布佐は顎をしたたか打って一時的に意識を無くしていたため、記憶が定かでないのは致し方なかった。
「有り難うございます。休んで下さい。
松月先生、休ませてあげて下さい」
「これを飲んで下さい。痛み止めと気を楽にする薬です」
「はい・・・」
竹原松月は布佐に煎じ薬を飲ませた。
役目柄とは言え、亭主を斬殺されて娘を拐かされ、金子を奪われた布佐にいろいろ尋ね、済まない事をした・・・。
そう思いながら、藤堂八十八は夜盗探索の手がかりまとめた。
一、夜盗は四人、一人は女だ。
二、夜盗は亭主が金子を貯めていたのを知っており、しかも娘の歳も知っていた。
三、夜盗の一人は右胸に辰巳下がりの彫り物がある。
夜盗は亭主の知り合いか、事前に料亭兼布佐を探っていたのは明らかだ・・・。夜盗探索の手がかりはそれだけだ・・・。
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