九 奪われた、娘と三千両と大福帳

 料亭兼布佐に夜盗が入った翌年。

 水無月(六月)六日。夜九ツ(午前〇時)。

 小雨がそぼ降る深夜、日本橋富沢町の御堀端にある、廻船問屋黒川屋の奥座敷に夜盗が入った。


「でけえ声を出すんじゃねえ。

 女房とガキを殺られたくなかったら、抜け荷で儲けた金子を出しな」

 親分格の夜盗が静かに主の黒川屋安兵衛を問いただした。

 黒川屋安兵衛はもう一人の夜盗に羽交い締めにされ、匕首を喉に当てられている。女房の三津も他の夜盗に羽交い締めにされ、匕首を喉に当てられて口を押さえられ、声も出せずにいる。そして、もう一人の夜盗は、黒川屋の一人娘、一歳未満の登美とみを抱えて今にも圧死させる気配だ。


「なにをするっ」

 登美を抱いている夜盗を見て主の黒川屋安兵衛が喚いた。

「抜け荷で貯め込んだ金子があるだろう?出しな。

 おっと、でけえ声を出したり、騒いだりすると、娘の命はねえぜ。

 それに、おめえが抜け荷で儲けた事を、俺たちが知ってるのを、なぜだと思う。

 役人にも、腹黒いのがいてなあ。探りで得た結果を知らせてくれるってもんさ。

 俺たちが金子の箱を持って戻らねえ折は、火付盗賊改方が抜け荷を探りにここに入る。逃れようはねえぜ。まあ、抜け荷の見逃し料の二千両や三千両なんて安いもんよ。

 だから、騒ぐんじゃねえよ」

 親分格の夜盗は主の黒川屋安兵衛を優しく諭すように言った。


「わかった・・・。土蔵の鍵と、金蔵かねぐらの鍵だ。」

 黒川屋安兵衛は、首に駆けていた革紐の鍵を渡した。

「おとなしくしてろ・・・」

 親分格の夜盗がそう言うと、黒川屋安兵衛と女房の三津を羽交い締めにしている夜盗二人が、匕首の柄尻で安兵衛と三津の後頭部を殴った。

「うぅぅっ・・・」

「あぁぁっ・・・」


 二人は気を失った。一人の夜盗が登美を抱いたまま、四人は奥座敷の夫婦の寝所を出て、奥庭に降りた。辺りを警戒して見まわし、誰もいないのを確認すると、奥庭から土蔵の塗り壁戸に、足音も立てずに近づいた。

 子ども抱いた夜盗が辺りを警戒して見張った。三人の夜盗が土蔵に忍びこみ、千両箱を一つずつ背負って出てきた。三人の懐には抜け荷の大福帳が全部で七冊あった。その間、子どもを抱いた夜盗は土蔵の周囲を見張っていた。

 夜盗たちが土蔵から離れた。奥庭の隅に行き、塀の裏木戸を開けて静かに裏木戸を出ていった。その間、夜盗に抱かれた登美は眠ったままで、声一つ立てなかった。


 この夜盗事件は、抜け荷の咎を追求されるのを恐れ、主の黒川屋安兵衛が北町奉行所に届け出なかったため、表沙汰にならなかった。



 時が経ち、安兵衛と女房三津の後頭部の傷が癒えたが、一人娘の一歳に満たない登美を拐かされた心の傷と怒り、三千両と全ての抜け荷の大福帳を奪われた怒りは癒えるはずがなかった。

 頭の傷が癒えるにつれ、火付盗賊改方は黒川屋の抜け荷の事など何も探っておらぬ事が判明し、主の黒川屋安兵衛は、抜け荷をしている同業者が夜盗に入った、と確信した。

「くそっ。夜盗は抜け荷の手口を知っている商人あきんどだ。儂らと同じ廻船問屋だ・・・」

 主の黒川屋安兵衛は、何としても、夜盗の廻船問屋を探し出してやろう、と思った。

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