十二 大黒屋に潜入

 長月(九月)二十一日。昼四ツ(午前十時)。

 安吉と五助は、日本橋米沢町の国問屋、大黒屋の人足場にいた。


「新入りはこっちに来て、届けを書けっ。書けぬ者がいたら、書いてやれっ。

 お墨付きがある者はここに出せっ」

 荷揚げの段取りをする大黒屋の世話役は、神無月(十月)の人足届けを人足たちに書かせた。日本橋富沢町の御堀端にある廻船問屋黒川屋の人足だった安吉と五助は、廻船問屋黒川屋の女将三津のお墨付きを世話役に渡し、「人足届け」を書いた。


「お前たち、黒川屋で何をしておった」

 世話役は安吉と五助の住いを確認しながら訊いた。

「あっしは舟からの荷下ろし。こいつは降ろした荷を蔵へ荷運びでやす」

 打ち合わせどおり、五助は安吉の兄貴分として受け答えした。

 五助は上背が五尺九寸、安吉は五尺四寸。五助は肩幅が広くがっしりした体躯で、安吉は五助より小柄だ。安吉が五助より歳上だが、どう見ても、見た目は五助が安吉の兄貴分だ。


「黒川屋の荷揚げが減って、人足が余った、とあるが、本当か」

 世話役はお墨付きを見ながら訊いた。

「へい、主が体調を崩して商売に身が入らねえ、と人足の間で・・・」

「そうか、災難だったな・・・。では、ここでも、同じように働いてくれ」

 世話役はそう言って安吉と五助に頭を下げた。


 こうして安吉と五助は、苦もなく、神無月(十月)の国問屋大黒屋の人足になった。安吉と五助は他の人足たちと共に、荷揚げ作業の見張り役と手下に率いられ、人足場から船着場へ移動して荷揚げ作業を始めた。



 それからひと月後。

 神無月(十月)二十日。昼八ツ半(午後三時)。

 安吉と五助が船着場に集ると、荷揚げ作業の見張り役が安吉と五助を呼んだ。

「安吉と五助は世話役の所に行け。特別な話がある・・・」

 見張り役はそう言ってニヤリと笑っている。


 五助は、何か不始末をしでかしたか、と安吉を見た。安吉は、話を訊くまではわからぬ、と五助に目配せした。二人は船着場を離れ、奉公人用の通用口から大黒屋に入った。

「おお、こっちに来ておくれ」

 店に入ってきた二人を見て、世話役は二人を店の座敷に上げた。

「風呂に入っていますか」

「へい、毎日入ってます。荷揚げの後は特に長湯を。それが何かありますか」

 五助の返答に、世話役は、脇に置いてある小袖が乗った盆を、二人の前に滑らせた。

単衣ひとえ物と襦袢と足袋です。これを授けますから着換えなさい。

 二人にそれぞれ四枚ずつあります。汚れたら新たな小袖に着換え、いつも小綺麗にするのです。冬になったら、あわせ物を用意します。

 さあ、この場で着換えなさい。草履はやめて足袋を履き、そこの土間に用意した雪駄を使いなさい。着換えながら、聞きなさい・・・」

 二人は作業用の衣類、半纏、腹掛け、股引きから小袖に着替え、足袋を履いた。その間に、世話役は二人に今後の仕事を説明した。


 荷揚げ人足として安吉と五助は、

「あの二人、無駄口は言わねえし、荷揚げの働きに無駄がねえ。

 俺たちの話をよく聞き、仕事に間違いがねえ。

 俺たちの間違いでさえ、他の人足に知られぬよう、こっそり教えてくれる」

 と、船着場にいる荷揚げ作業の見張り役と手下に認められていた。


 その事を聞いていた世話役は、いったいどういう事か、密かに二人を監視した。

 確かに荷揚げ作業の見張り役と手下が言うように、安吉と五助の荷揚げ作業の働きには無駄が無い。口が固く余計な事を言わぬ。荷揚げをそつなくこなし間違いがない。無関心かと思えばそうではない。見張り役と手下の指示を覚えていて、見張り役と手下がうっかり見落とすと、見張り役と手下を立て、他の人足に気づかれぬよう、見落としをこっそり教えている。

 人を使う立場にとってこれほどの人材は居ない、と世話役は思った。

 世話役は、安吉と五助を店で使おうと思った。荷揚げした品々を店に運び、見本として店先に並べるのである。

 と言うのも、大黒屋はこの葉月(八月)九日に開店したばかりで、今は大番頭と番頭はいない。そのため、奉公人の与平が大番頭を、三吉が番頭の役目をこなしているが、あまりに気が利かぬ二人に、主の大黒屋清兵衛は業を煮やし、馬喰町の居酒屋、角源で知り合った隠居、新大坂町の廻船問屋吉田屋の元大番頭の田助に、

「店の切り盛りを伝授して欲しい」

 と大黒屋の世話を頼んだ。

 世話役となった田助から見ても、大番頭を気どった与平も、番頭を気どった三吉も、鼻っ柱が強いだけの間抜けで目端が利かず、店のあらゆる段取りを世話役の田助がこなす日々なのである。



「そこでじゃ。安吉と五助は儂の手下となって、この店の切り盛りに加勢して欲しいのじゃよ。いかがかな」

 説明し終えた世話役の田助は、安吉と五助を見て笑み浮かべた。荷揚げ人足から足を洗って大黒屋の奉公人になるのだ。荷揚げ人足をしている安吉と五助にとって良い話のはずだ・・・。

「奉公人になれって事ですかい」

 五助は世話役の田助に訊いた。

「そうですよ」

 世話役の田助は穏やかに答えた。

「給金はどうなりやすか」

 安吉は給金が気になった。

 荷揚げ人足の手間賃は、その者の働きによるが、おおよそ日に百五十文である。(1 両=4 分=16 朱=4000 文、1 両が二十万円とすれば、一文は50円。百五十文は7500円)


 今のところ、八吉は独り者という事になっているが、五助は女房持ちだ。

 五助は働きが良いので給金は、百五十文に礼金が上乗せされ、二百文ほどになる。荷揚げ人足として稼ぎが良い五助が奉公人の丁稚などになろうものなら、五助は大黒屋に住み込みになって衣食住は与えられるものの、無給の無休だ。恋女房の美乃が路頭に迷ってしまう。


「日当は二百二十文と礼金です。昼餉も用意します。長屋からこの店に通ってください。

 ただし、仕事の内容は他言無用ですよ」

 世話役の田助は安吉と五助に念を押した。

「よおござんす。よろしくお願いします」

 安吉と五助は衣食付きの日当二百二十文で、大黒屋の番頭と手代という立場になった。なった。もちろん、隠れ大番頭は世話役の田助である。

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