三十一 藤堂八郎の説明
「十六年前、夜盗四人が料亭兼布佐を襲い、主の兼吉を殺害して金子を奪い、娘の由紀を拐かした。女房の布佐は深手を負ったが、神田佐久間町の町医者竹原松月に助けを求めた。
事件の証人は女房の布佐だけです。
町医者竹原松月は円満寺の丈庵住職と共に、夜盗が布佐を口封じせぬよう、女房を円満寺に匿い、事件を内々に北町奉行に知らせた。
北町奉行は布佐を下女として円満寺に匿わせ、その一方で手をまわし、事件当時、祖父母の元に泊まりにいっていた当時十歳の子息の芳太郎に、料亭兼布佐の身代を継がせるべく裏から料亭兼布佐を仕切り、芳太郎に仇討ち許可証文を与えて板前修業と剣術修行させ、元服すると料亭兼布佐を継がせ、北町奉行所の密偵として夜盗一味を探らせた。
料亭兼布佐に夜盗が入った翌年。廻船問屋黒川屋に夜盗が入り、抜け荷の儲け三千両と一歳に満たぬ一人娘と、裏大福帳七冊が奪われた。黒川屋安兵衛の申し立てによれば、黒川屋安兵衛は人足に扮して大黒屋に潜入し、己の裏大福帳一冊を大黒屋の奥座敷で見つけたが、己の正体の発覚を恐れ、裏大福帳をそのままにして黒川屋に逃げ帰った。
その後、盗まれた黒川屋の裏大福帳一冊が北町奉行所に届けられ、黒川屋の抜け荷が発覚し、黒川屋安兵衛は処罰された。
一方、芳太郎は、その後、北町奉行所が仕切る料亭兼布佐の実質的亭主になり、板前を続けながら賭場に出入りして父を殺害した夜盗を探ったが、夜盗が大黒屋である証は掴めなかった。手掛りは兼吉の女房の布佐が見た夜盗の一人の右胸にあった辰巳下がりの彫り物だけです」
「では、その芳太郎が私の父母、大黒屋清兵衛夫婦を斬殺したのですか・・・」
私の父母、大黒屋清兵衛夫婦が夜盗なら、私は拐かされた料亭兼布佐の娘で芳太郎は兄だ。清兵衛夫婦は育ての親だ。多美は黒川屋安兵衛の娘だ・・・。
「芳太郎は北町奉行所の密偵として夜盗一味を探っているだけです」
「いったい、私は誰の娘ですか。多美は誰の娘ですか」
「料亭兼布佐の娘は『由紀』です。当時の娘は己を『ゆき』と呼んでいました。『雪さんが一歳の頃、いつも両親を探していた事』から判断して、料亭兼布佐の拐かされた娘と思いますが、確証は有りませぬ
黒川屋安兵衛の娘の名は登美です。雪さんより一つ下です」
「両親は、育ての親で、夜盗だったのですか」
雪は己の気持ちをどのように言えばよいかわからなかった。
「今は証拠がありませぬ故、そこまで結びつけられませぬ。料亭兼布佐に入った夜盗を捕縛すれば全てが判明します」
藤堂八郎は雪の育ての親が夜盗か否か、断定を避けた。
雪は番頭が話した事を言った。
「父は私に、父母も大番頭と番頭も、越中の氷見の出だと話しましたが、番頭の三吉は、
『私は大番頭の与平さんといっしょに奉公に上がりました。郷が同じ美濃国ですから』
と話し、今は大番頭も番頭も三十代半ばだと話しました。二人とも二十歳前後で大黒屋に奉公したことになります・・・」
「それは重要な証言です。まとめると、
一、この抜け荷の大福帳。
二、人別帳に寄れば番頭と大番頭は越中の氷見の出だが、番頭は、己と大番頭が美濃国の出だと言った。
三、雪さんが一歳の頃、いつも両親を探していた事。
これらの事から大番頭と番頭を詮議できますが、これだけでは二人が料亭兼布佐の夜盗とは判断つき兼ねます。決め手がありませぬ」
藤堂八郎は証言だけでなく、夜盗の証拠を得たかった。
「夜盗の証が必要ですね・・・・」
二人が夜盗である証をどうやって集めたらよいもの・・・。
雪は考え込んだ。
「話は変わります。このたび大黒屋に夜盗が入った折、大黒屋の奥庭で見張っていた夜盗は、雪さんより背が低い女と言ってましたね。
上女中の沙希さんの背丈は雪さんより低いですね」
藤堂八郎は大黒屋に何度も顔を出している。上女中の沙希の背丈は確認ずみだ。
「はい・・・」
藤堂様は上女中の沙希を疑っている・・・。
雪は両親が殺害された当夜を思い出した。
奥庭で見張っていた夜盗は私より背が低い女だ。あの折、すでに多実は大黒屋にいなかった・・・。あの女は上女中の沙希だろう・・・。
夜盗二人の身体つきは大番頭と番頭に似ていた。父を斬殺した夜盗の左肩から胸に昇り龍の彫り物があった事は、誰にも話していない。藤堂様に話していいものだろうか・・・。
そう思いながら、雪は思い切って言った。
「今まで誰にも話さなかったのですが、父の首を斬った夜盗は左肩から胸に昇り龍の彫り物がありました。私は、大番頭と番頭の素肌を見た事がありません。奉公人に聞いた事もありません。今まで話さなかったのは、夜盗が大番頭に似てたから警戒してました・・・」
「それは良き判断でした。もしもの場合は雪さんの身に害が及びますから、話さずにいて幸いでした・・・」
そう言って藤堂八郎は、本音を話してしまった、と思いながら話をまとめた。
「では、これまでの話を全てまとめましよう。
一、大黒屋に入った夜盗は、抜け荷の品が何かを知っていた。
二、夜盗の左肩から胸に昇り龍の彫り物があった。
三、夜盗の体型は、大番頭、番頭、上女中に似ていた。
そして、
四、この抜け荷の大福帳。
五、人別帳に寄れば番頭と大番頭は越中の氷見の出だが、番頭は、己と大番頭が美濃国の出だと言った。
六、雪さんが一歳の頃、いつも両親を探していた事。
やはり、大番頭と番頭が夜盗でしょうね・・・」
藤堂八郎は縺れた糸を解くように考えを巡らせた。
「兼布佐の女将の布佐さんは、今も円満寺に居るのですか」
雪は料亭兼布佐の女房の居所を確かめた。布佐さんに、夜盗の人相などを訊けぬものか思った。だが、料亭兼布佐に夜盗が入ったのは十六年も前だ・・・。
「布佐さんは円満寺を出て、安針町で金貸しをしてます。
兼布佐の名は、主の兼吉さんと女房の布佐さんの名からつけたのです」
布佐は北町奉行所からの指示で、円満寺で下女をしていたが、円満寺での年期奉公が明けたことにして、安針町の鍼医室橋幻庵の燐家で金貸しをしている。
布佐の金貸しは多額を貸付けぬが利息が安く評判だったが、四年前の六月から利息を二倍にし、頻繁に息子の芳太郎と会うようにしている。全てが料亭兼布佐に侵入した夜盗を炙り出す、北町奉行からの指示だ。藤堂八郎は、雪に妙な詮索をさせぬために、布佐が芳太郎と頻繁に会っている事を話さずにいた。
「私が布佐さんを訪ねてはいけませんか」
雪は藤堂八郎に問いただした。
「今は会わずにいるのが賢明です。と言うのは布佐さんが金貸しの利息を上げました。布佐さんから銭を借りている無頼漢の口から、布佐さんの存在が夜盗に知れれば、夜盗は布佐さんを口封じに現われます」
雪は驚いた。北町奉行所は何をする気だっ・・・。
「では、布佐さんは囮ですかっ。危険ではありませぬかっ」
「始終、燐家で町方が見張っています」
「そうですか・・・」
布佐さんに危険が及ぶ前に、布佐さんの娘について知りたい、と雪は思った。
「くれぐれも、これまで話した事は他言はなりませぬぞ」
「わかっております・・・」
全て自分の目で確かめるしかない。布佐さんに会ってならぬなら、菩提寺の住職に会ってみればよい・・・。雪はそう思った。
藤堂八郎は雪の思いが分った。
「菩提寺の丈庵住職に、布佐さんの事を尋ねよう、などと考えてはなりませぬ。
丈庵住職にも口止めしてあります。雪さんが布佐さんの事を探っていると知れば、丈庵住職は北町奉行所にその事を知らせます。
雪さんが布佐さんを探っている、と夜盗一味が知れば、布佐さんの所在が明らかになり、夜盗は布佐さんの命を狙うはずです。布佐さんの立場はそれほど危ういから、町方が始終監視して警護しているのです。
菩提寺に墓参りに行くのはかまいませぬが、決して、丈庵住職に布佐さんの事を話してはなりませぬぞっ」
藤堂八郎は雪を睨んで念を押したが、雪が丈庵住職に、布佐の事を尋ねるだろうと思っていた。
藤堂八郎の鋭い眼差しに、雪は思わず身震いした。
「わかりました。
ところで、多美は何処に身を隠しているのですか」
「よく、身を隠したと気づきましたね」
「はい、『芳太郎は北町奉行所の密偵として夜盗一味を探っているだけ』と聞きましたから、多美はどこぞで夜盗の懇談を知り、夜盗の手から逃れるために、その芳太郎に匿われているのですね」
「北町奉行所でその事を知るのは北町奉行と私だけです。
決して他言はなりませぬぞ」
藤堂八郎の眼差しが険しくなったが、雪の目に安堵の涙が浮んだ
「ありがとうございます。たった一人の身寄りです・・・」
「なあに、いずれ、身寄りが増えましょうぞ」
「えっ・・・」
藤堂八郎は驚く雪にほほえんだ。
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