悟、思い出の場所に行く
一方悟は、一人でどうしても行きたい場所があった。
学生時代に悟がバイトをしていたカフェだ。
ここには学生時代の思い出が詰まっていると言っても過言ではない。
無念の退学を余儀なくされたくがっちにはちょっと良くないかなと思い、まだくがっちを連れて行ったことはなかった。
そもそも平日は会社員、休日は漫才かネタ作りの日々なので、中々くがっちを連れ出せないというのもある。
「マスター元気にしてるかな? お店はやってるようだから、そこは安心してるんだけど……」
悟はバイトで通っていた懐かしの道を歩いていた。
学生時代の良かったことや悪かったことを、ふと思い出してしまった。
そしてついに、懐かしのカフェにたどり着いた。
表に置いてあるメニュー表とサンプルが懐かしさを感じさせる。
外から覗くと、お客さんがちらほらいるのが悟には分かった。
「良かった」
悟がカフェのドアを開けると、若いバイトの女の子が接客をしていた。
「いらっしゃいませ。一名様ですか?」
「はい」
悟が返事をすると、すぐにカウンターの方へと案内された。
「マスター」
「おおっ、懐かしい顔だ。元気にしてたかい?」
「おかげさまで、元気してますよ」
「何にするんだい?」
「ブラックコーヒーのホットとホットサンドで」
「あいよ」
久しぶりとは思えないほど、悟とマスターは軽快なやり取りをしている。
悟はマスターの作るコーヒーもさることながら、ホットサンドがすごく好きなのだ。
悟は久しぶりに頼むメニューに心を躍らせていた。
メニューを待ちながらスマホを覗いていた。
「仕事はどうしてるんだい?」
「不動産の営業をしていますよ」
「そうか、大変かい?」
「うちはぼちぼちってところですね」
「最近は色々と価格高騰していってね。三島君がバイトしてくれいていた頃よりメニューの値段を上げてしまったよ……」
マスターと悟が世間話をしていた。
やはり、値上げの余波は様々な場所に波及しているようだ。
マスターのお店も当然例外ではない。
悟はマスターと話をしていて気分がよくなったのか、ちょっとずつネタになりそうなことをスマホにメモし始めた。
もしかしたらこれもまとめ上げればネタに出来るかもしれない。
「随分とスマホにお熱のようだが、まさか闇バイトか!」
「何でそう思ったんですか……」
「流行ってるから」
「せめてそうでないと信じて欲しかったですね」
唐突にマスターが質問をしてきたが、悟は淡々と答えた。
いくら問題になっているとはいえ、悟としては自身のことを信じて欲しかったものだ。
悟がそう思うのも当然だろう。
「それにしても、随分必死になってやっているね。作家を目指しているのかい?」
今度はマスターの奥さんから声をかけられた。
マスターの奥さんには、バイトでする業務を色々と教わったものだ。
懇切丁寧に教えてくれたのを今でも思い出す。
「ではないですね。実は、漫才をやっていまして。スマホにネタを書いているんです」
「三島君らしいようならしくないような」
悟はマスターの奥さんにさらりと答えてみせた。
マスターの奥さんがちょっと驚きの表情を見せる。
「はーい、ブラックコーヒーとホットサンドね」
マスターがカウンター越しにメニューを渡してくれた。
コーヒーの香ばしいいい匂いが悟の鼻腔をくすぐる。
悟はコーヒーをすすり始めた。
このお店のコーヒーは、コーヒー豆を独自のブレンドで挽いて出している。
コーヒー豆に詳しくない悟だが、このコーヒーが美味しいという事だけは分かる。
「やっぱり香り高いから好きだな。ここのコーヒーは」
悟がゆっくりとコーヒーをすすり始めた。
そしてホットサンドに手を付ける悟。
こんがり焼かれた食パンの間には、チーズとベーコンが挟まれている。
味付けはマヨネーズと塩コショウだ。
ブラックペッパーの香りがほのかに伝わってくる。
悟がホットサンドを頬張る。
「美味い。これだよなあ」
食べた者を満足させる確かな味がそこにはある。
悟は我慢できずにもう一口、二口と食べていく。
これは食べる勢いが止まりそうにない。
「美味しいかい?」
「はい、とても」
「漫才と言ってたが、三島君は何か大きい大会に出たりするつもりなのかい?」
「そうなんですよ」
「年末にやるあれかい?」
「ではないですね。『腹筋BREAKER』ってやつです」
マスターと悟が漫才のことで話をしていた。
マスターも漫才のことが好きなのか、興味津々で悟に質問している。
「そうだったのか。お店休みにして見に行こうかな?」
「そこまでしなくてもいいですよ」
マスターが唐突にとんでもないことを言い始めたので、悟が制止する。
そうこうしているうちに、悟はメニューを全て食べ終えてしまった。
余りにも美味しかったのであっという間だった。
「ごちそうさまでした。マスター、また来ます」
「おお、ありがとうね。またおいで」
「待ってるから」
マスターとマスターの奥さんから優しい言葉をかけられ、悟は胸がいっぱいになった。
ちょっと名残惜しいが、悟は店を出て行った。
「今度はくがっちも連れて行くか」
そんなことを思いながら、悟は帰路に着いたのだった。
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