はじめてのおしごと
「今日が初出社日かあ」
くがっちが就職が決まった工場にたどり着いた。
中堅の製造会社らしいが、工場はかなり大きい。
工場の正門付近にいると、総務の人がやって来て案内してくれた。
「初めまして、本日からどうぞよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
総務の人があいさつしてくれている。
くがっちは派遣で入っているので、低く見られるのではと警戒していたが、この人は丁寧な対応を続けてくれていた。
働きぶりが良ければ正社員登用制度がある会社ということも関係しているかもしれない。
ロッカー、食堂と次々に案内され、ロッカーで作業着に着替えたら食堂で待機してくれと指示を受けた。
何でも、食堂で安全教育をするとのことだ。
くがっちが作業着に着替え終え、食堂の席で待機していたその時だった。
年老いた男性がくがっちの方へゆっくりと歩いて来た。
「安全担当の斎藤です。どうぞよろしく」
安全担当の男がぶっきらぼうにあいさつを始めた。
もはや慣れ過ぎてしまっているのか、かなり淡々と説明が始まった。
くがっちは自分の身を守るために必死になって聞いている。
全国の労働災害の話、工場で発生した過去の労災といった話を斎藤が展開していた。
「この件で被災者は足の骨を複雑骨折してしまった。ちょっとしたことが原因で重大災害が発生するもんだ。分からないことがあれば迷わず班長に確認を取るようにな」
聞けば聞くほどに身が縮こまってしまうような事例ばかりだ。
そして斎藤がヒヤリハットとハインリッヒの法則について話をし始めた。
ここまで来るとだいぶ眠気が襲ってきたのか、くがっちがうとうとし始めた。
すると、唐突に斎藤が両手をくがっちの前で叩いてみせた。
大きな音にくがっちが驚きおののいている。
「くれぐれも油断めされるな!」
斎藤が注意を促す。
注意の仕方にしては比較的優しいのかもしれない。
今度は斎藤がヒヤリハットやハインリッヒの法則について説明をし始めた。
「1件の重大災害には29件の軽微な災害があり、その背景には300件のヒヤリハットが存在するというものだ。重大災害を未然に防ぐためには、日頃からヒヤリハットがあれば無くしていくように努めることだ」
目をかっぴらいてくがっちが斎藤の話を聞いている。
それはそれであまりいい状態で聞いていると言えないのではないだろうか。
「最後に、万が一仕事中に災害があったら迷わず連絡すること!」
「はい」
「労災隠しとへそくり隠しは犯罪だからな!」
「は、はい」
残念ながらこの場にツッコミは一人もいない。
こうして安全教育を終えたくがっちは人生初の仕事を行うこととなる。
「班長の佐々山でーす。よろしくね」
今度はえらいフランクな班長がくがっちを担当していた。
班長としては若手なのだろう。
そして陽キャの匂いがプンプンしている。
くがっちは年が近い人が出てきたからか、ちょっと緊張がほぐれた。
くがっちの仕事内容はラインで製品の検品を行う作業だ。
「お願いするのは流れてきた製品全部の外観検査と、100個に1個検具にはめて検査をするのが仕事ね。品番によって若干違いがあるから品番間違いのないように注意してねー」
佐々山がさらりと説明を始めた。
さも簡単そうに説明をしているが、人生初労働のくがっちはそうもいかない。
「あと分からないことがあったら遠慮なく聞いてね。何回言えば覚えるんやーとかそんなめんどくさいことは言わないつもりだから」
佐々山がこれまた軽いノリでくがっちに声をかける。
しかし、佐々山の上司の係長や同じラインのお局社員がくがっちに向ける目は冷ややかだ。
こいつちゃんと仕事が出来るだろうか、すぐ辞めるんじゃないかといった疑念の視線をくがっちにぶつけている。
それでも、初日から職場でいじめられているわけではないので、くがっちはある程度安心して仕事をすることが出来ていた。
少しずつ作業に慣れ、自分のペースを掴みつつあった、そんな時だった。
現場であまり見慣れない帽子をつけた社員が我が物顔で工場を歩いている。
この工場は帽子やヘルメットの色でどこの部署の人間か分かるようになっている。
黄色が製造部、赤が品質管理部、オレンジが技術部といった感じだ。
その男はオレンジ色の帽子なので技術部だ。
技術部の男がくがっちの方へと歩み寄ってきている。
正直言ってかなりのプレッシャーだ。
「おい、ここの穴と穴の間の寸法」
「ええと、この二穴間の長さが3cm……、ええと」
「エンジニアに向かってcmなんか使ってんじゃねえぞおらあああん!」
技術部の男は大声でくがっちをどやしあげている。
いかにも昭和の技術畑のおっさん感が出ている。
「そこの二穴間は30ですね。端々じゃなくて芯々で」
「おおそうか、ふーん」
佐々山が助け舟を出してくれたおかげでくがっちは助かった。
そう言って技術部の男は満足してラインを後にした。
「ごめんねえ、うちの技術課長あんなんで」
「いえ」
「自分が正しいと信じて疑わないから、ありゃ死ぬまで治らんな」
佐々山が技術部の男の後姿を見てぼそりと呟く。
そうこうしていると休憩時間のチャイムが工場内に鳴り響く。
「さあ、休憩しようぜー。久我くん飲み物飲みに行こうよ」
佐々山がいの一番に自動販売機の方へと向かって行った。
くがっちも慌てて佐々山について行った。
佐々山は飲み物を片手にくがっちと話をしていた。
「久我くんは何か夢中になってやってることってある?」
「相方とお笑いやってます」
余りにも正直すぎるくがっち。
そういう話は基本的に相手にバカにされる可能性が高かったりする。
なので初対面の相手にするのは悪手であると言える。
「いいじゃん! 変なことでなかったら何か夢中になれることがあった方がいいよ。仕事なんておもんないんだから」
だがしかし、意外にも佐々山はくがっちのことを馬鹿にすることはなかった。
「こっちもちょっと見てもらっていい?」
そう言って佐々山がスマホの画面で写真を見せてくれた。
そこにはタイ、ヒラマサ、タチウオを船上で釣り上げた班長の写真が映っている。
「俺は釣りが大好きでねー、こればっかりはやめられそうにないんよねー。だから久我くんも夢中になってお笑い楽しんでね。後こういった話はしたい人にだけすればいいから。したくない奴にこんな話しても全然おもんないし、馬鹿にされることも結構あるから気をつけてね」
佐々山がワンポイントアドバイスをつけていろいろと教えてくれた。
面倒見のいい班長でつくづく良かったとくがっちは思った。
くがっちは初仕事を終え、ロッカーで着替えをしていた。
むさい男だらけのロッカーだが、意外にもくがっちは気にしていないようだ。
「さとるが服とか買ってくれたんだから、恩を仇で返すわけにはいかないな」
まずは悟に借金を返すことが優先である。
「それに、社会人経験がネタ作りに活きるって教えてくれたし……」
「面白いネタを作るためなら……」
くがっちは当然お笑いのことだって考えていた。
悟からのアドバイスではあるだろうが、それを信じて働いているのだ。
一つも無駄にはしないつもりでくがっちは一生懸命生きている。
「それでお金がもらえるなら一石が何鳥になるかな、ぐへへぐへへ」
そしてくがっちは色々とやらしい考えも持っているようだ。
どれくらいお金持ちになれるかな、とか。
どれくらい女性にもてるかな、とか。
どれくらい有名になってちやほやされるかな、とかだ。
全て煩悩と言ってしまえばそれまでだろう。
だが、そんな煩悩が邁進するためのエネルギーになるならば、それはそれでいいだろう。
こうしてくがっちの初めてのお仕事は何とか終えることが出来た。
今後忙しくなるので残業がありえるだろうが、それはまだ分かっていない。
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